92 伝承
会議室というのは、常設展示室と違い、非常に明るかった。木目調の壁に囲まれた正方形の部屋で、上から見ると楕円形のテーブルが中央に置かれていた。
すみれはこの部屋の奥側の席に座らされ、笠間の説明を受けることになった。笠間は、汚らしい絵巻物を持ってきて、それを手の中で巧みに回転させながら、次へ次へと送っていった。すみれは胡麻博士の表情を窺った。胡麻博士はあからさまに興奮している目つきで絵巻物を眺めていた。
「こちらの絵巻物の説明は、後で致しましょう。それでは、早速、白月浜神社に伝わる伝承をお話しします」
「お願いします」
胡麻博士は、座ったまま、テーブルに頭をぶつけそうな勢いでお辞儀をした。
「昔、この村の長者の娘が、不治の病に倒れ、海の彼方にある竜宮に旅立ってしまいました。娘を失った長者があまりに悲しむので、見かねた野の狐が、娘そっくりに化けて長者の家に帰りました。長者は娘が生きて帰ってきたと思って喜びました。ところが、何年かして、娘がまったく年を取らないことを不思議に思った長者が、訳を尋ねると、狐は自分の正体を明かして、野に帰ってしまいました。長者は、娘の死を知り、悲しみのあまり、自ら命を絶ってしまったのです。その父子の墓は、江戸時代まで白月浜神社の境内にありました。今では、浄念寺の境内にあります」
「なるほど!」
胡麻博士は満足げに頷いた。
その時、すみれは妙な気持ちになった。この話、どこかで聞いたことがある気がしたからだ。しかし、すぐにはそれが何か分からなかった。
笠間は、胡麻博士を喜ばせることに成功したと思って、先ほど送っていた絵巻物に手をかけ、そこに描かれた絵の説明を開始した。
そこには少女に化けた狐が長者と建物の中にいる姿が描かれていた。また右側には、海に導かれてゆく少女の姿を見ることができた。
「これは、江戸時代に、この伝承を描いたものになります。こちらに見えているのが、竜宮に旅立った娘さんです」
「竜宮に行ったと言うのは、他界したということでしょうなぁ。竜宮とは、日本に古くから伝わる常世の変化形で、海洋の他界になります。死体を川や海に流した水葬から、海上にそうした他界があることが信じられたのですな」
と胡麻博士は言った。
それを聞いて、本当にそういう出来事があったのか、とすみれは想像した。
(だとしても、娘を思う父親の気持ちというものは計り知れないものがあるな。死んだと思っていた娘が、ある日、帰ってきたら、そりゃ喜ぶよね。あの長谷川東亜だってそうだったし……)
その時、すみれはあっと思った。すべてがつながったのだ。そして興奮した状態で立ち上がり大声で叫んだ。
「こんなことって……!」
笠間はすみれの声に驚いて、手に持っていた絵巻物を破りそうになった。すみれは興奮した様子で胡麻博士に話し始めた。
「渚ちゃんですよ、竜宮に旅立った娘さんっていうのは……。長者というのは、長谷川東亜。そして、娘さんそっくりに化けて長者の前に現れたのは、未空ちゃんじゃないですか!」
胡麻博士は、意味が分からず、すみれを落ち着かせようと、立ち上がった。すみれは驚愕のあまり震えていて、胡麻博士の手を思い切り払うと、
「このことを祐介さんに伝えないと!」
と叫んだ。
すみれは鞄を持つと、突然走り出し、会議室を飛び出した。胡麻博士の声が後ろから聞こえていたが、それを振り切って、白月浜神社に向かって走っていった。




