81 胡麻博士とコーヒー牛乳
根来警部は、胡麻博士と共に温泉から上がり、更衣室で浴衣を着ると、工藤旅館のロビーの赤いソファーに並んで座り込んだ。二人は、ロビーの片隅にある冷蔵ショーケースからコーヒー牛乳とフルーツ牛乳の瓶を、勝手に一つずつ取り出していて、蓋を開けると、飲み始めた。
胡麻博士は嬉しそうに笑った。
「美味いですなぁ。やはりこんな時はコーヒー牛乳ですな」
「そうですね」
とは言ったが、根来が飲んでいるのはフルーツ牛乳である。
根来は、胡麻博士に、あまり興味はないだろうがと思いつつも、殺人事件の説明をした。すると胡麻博士は最初、自分は民俗学の調査で来ただけですからな、と言い訳がましいことを言って、捜査に関わることを頑なに拒んでいたが、それでも終いには、羽黒さんの妹さんのためならできるだけ協力はしましょう、と言った。
根来は、別に協力してもらう必要もないと思ったが、なんとなく間がもたなかったので、説明しただけだった。さらに、そういえば明日は白月浜神社に行くんですよ、と根来は付け足した。
「それはまた、奇遇ですなぁ」
と胡麻博士は嬉しそうに言った。
「奇遇と言うと……」
「実は、わたしも明日は白月浜神社に行こうと思っていたんですよ。民俗学の調査がありましてね」
「はあ、なるほど」
「そういうことでしたら、ご一緒しましょう」
根来は、あまり大所帯になっても困る気がしたが、自分が白月浜神社について何も知らなかったので、胡麻博士も何かの役に立つかもしれないと思った。
「それで、胡麻博士は、白月浜神社の何を調べようとしているのですか」
「ええ。実は、白月浜神社というのはなんでも鎌倉時代からこの地にあるそうですがね。白月浜神社の隣に、神仏習合している時代の名残で、浄念寺というお寺があるのです。えっと、神仏習合をご存じですかな。いや、そもそもお寺と神社の違いは分かりますか?」
「さあ、お寺なんてものは、門の両側に金剛力士か、風神雷神が祀られているもので、神社だとそれがなくて、鳥居になるのでしょうか」
と根来は少ない知識を振り絞る。
「まあ、そんなところですな。当たってもいないが、間違ってもいない。もっとも簡単に言うと、お寺は仏教で、神社は神道なのです。しかし、この二つの宗教が、日本では、一時期、合体していたわけです。それは平安から鎌倉にかけての……。否、もっと早くからですな。日本に仏教が伝来した年は諸説あって、歴史学的に信憑性が高いのは西暦五三八年なのですが、この頃から、既存の信仰と外来の信仰の仏教が、どういう形で一体化してゆくかが最大の問題だったわけです。この当時の話で面白いのは、日本と言う国は、卑弥呼の昔から巫女さん文化でしょう。どうも仏教伝来当初の僧侶というのは、尼さんだったそうですな」
「それで、浄念寺がどうしたんですか」
脱線の多い教授だな、と勉強の嫌いな根来は眉をひそめた。
「ああ、すみませんな。つまり神仏習合と言うのは、二つの宗教がある理論によって、混ざり合ったわけです。つまり、仏教の仏が化身となった姿が、八百万の神々であるということ。なので、白月浜神社と浄念寺も、江戸時代までは、一体となっていたわけです。それが明治の神仏分離令で、引き離されたわけです。こういう事例は全国的にあるのですよ。例えば、奈良の興福寺と春日大社はかつて一体のものだった……」
「はあ。で、それが、何の……」
「また脱線してしまいました。すみませんな、どうも。ところが、白月浜神社と浄念寺には、非常に興味深い伝承がありましてね。これが実話か、何かを比喩しているのか、どうか疑わしいところではありますが、白月浜の地で長く語り継がれてきた、非常に不思議な言い伝えがあるのです。これについて、白月浜神社の神主さんと、浄念寺の住職さん、そして資料館に勤める学芸員の笹間さんというお方に、詳しくお話を伺いたいと思いましてな」
「そうですか。それは是非、そうしてください」
胡麻博士の調べようとしていることが、事件と関係があるとは根来には到底思えなかった。なんか長々と歴史の話を聞かせられたな、と思って、根来は、飲み干したフルーツ牛乳の瓶の底を眺め、少し静かになっていた。




