76 栃木の宇都宮と東京の石神井公園
犯人が、下心をもって忍び寄る梶原から未空を守ろうとした、あるいは恋愛のライバルとして排除しようとしたのなら、中川旅館の死体は一体、何を意味するのだろうか。そこが問題である。東京石神井に住む会社員国吉平治は、吸入器に付着した青酸カリによって毒殺されていた。そして、彼はいまのところ、梶原との接点は何も見つかっていない。
「ところで、国吉平治という名前に聞き覚えはありませんか」
「国吉平治ですか。さあ、どなたですか」
と薫は本当にピンと来ていなそうな声を上げる。
「東京石神井に住む会社員のようですが……」
「知りませんね」
「梶原さんの話にも、こういう名前の人物は出てきませんでしたか」
「わたしの覚えている限りでは、一度も……」
祐介は、昼間、根来警部が会社に問い合わせて、被害者の生前の写真をファックスで送ってもらったので、現在もその写真を持っているはずなのだが、どこにしまったのか忘れてしまった。鞄を探ったが、見つからなかった。よく考えてみると、今は根来警部が持っているはずなのだ。
「その方が務めているのは、どんな会社ですか。もしかしたら職種によっては、画家である梶原さんと仕事上のつながりがあるかもしれません」
と薫の方から助け舟を出す。だが、案の定、社名を出しても、ピンと来た様子はなかった。
「マスクなど生活用品を製造している会社なのですが……」
「マスクですか。梶原さんは、日ごろマスクなんてしていませんでしたからね。梶原さんの人間関係を熟知しているわけではありませんが、私は、そういう方は存じておりません。それで、その方が事件と関係あるのですか」
「いえ、あくまでも可能性に過ぎないんですけどね」
と祐介は言葉を濁らせる。中川旅館の事件は喋りすぎない方がいいだろうと思ったのだ。
会社の関係ではないとすると、住んでいる場所に接点があるのだろうか、と祐介は推理する。国吉平治は東京の練馬区石神井町に住んでいる。最寄りは西武池袋線の石神井公園駅という話だった。池袋から電車で十分前後の位置にある駅である。
「梶原さんはどこにお住まいでしたか」
「確か、栃木県の宇都宮だったと思います。餃子をいつも自慢していましたよ」
祐介はその言葉に表情を曇らせる。思ったように捜査が進まないのだ。栃木県の宇都宮と東京都の練馬区では、離れすぎている。
すみれは群馬県の前橋に住んでいるので、東京の地理に疎く、石神井と言われてもピンとこないが、栃木県の宇都宮と離れていることは言われないでも分かる。それに、祐介と薫の表情を窺って、今の状況を想像している。
「東京都の練馬区、石神井町という地名になにか心当たりはありませんか」
「シャクジイ……、ああ、石神井公園のあたりですか。さあ、何もありませんね。私自身は行ったこともないし……」
「そうですか」
祐介は頷いた。あとは、被害者のふたりがこの白月浜に到着してから何らかの接点がなかったかという問題になる。
「梶原さんが、白月浜に到着したのはいつですか」
「彼は前日の夜から、長谷川東亜先生のご自宅に泊まっていたようですね。町に到着した正確な時間は知りませんが、自宅から出るのが仕事のせいで遅れてしまい、東亜先生のご自宅に到着したのはもう夜遅かったそうです」
「事件当日は……」
「事件当日の昼間は、町を観光していたらしいですね。画家ですから、早い時刻から東亜先生の美術館に赴いたり、浜辺の景色を見学したり、それと午後は、白月浜神社にお参りしたそうです」
「白月浜神社……」
祐介はその言葉を聞いて、暗闇に一条の光が差したように感じられて、ぼそりと呟いた。




