68 すみれの妄想
恋とは偉大なる勘違いだと、すみれは思う。しかし、それは間違いない事実だとしても、自分の心はたちまちそれにとらわれて、身動きがつかなくなる。あるいは、疑心暗鬼に体が無闇に突き動かされる。そして、それは他のどんなことよりも幸せに満ちている。
あの祐介さんとの生活が、ささやかな幸せを共有する日常がこの先待っている、とすみれは妄想する。ふたりで家近くのデパートに買い物にゆき、包丁やまな板や皿を購入する。すみれが、わたし料理下手なんだよね、上手く作れるかな、とうつむきながら自信なさげに言うと、祐介が、それなら一緒に作ろうか、僕も苦手だけど、どんなことでもふたりで一から始めていこうよ、と言う。そう言ってふたりは笑い合って、ふたりで調理器具を購入する。あれやこれや冗談を言いながらも、ふたりは幸せを感じ合っている。それはどこまでも広がってゆく、すみれの妄想であり、この上ない幸福だと心の底から思うのだが、その度に、現実の冷たい肌触りが、その妄想を打ち壊してしまう。
(すべては夢だ……)
すみれは、頭痛を感じながらも、ベッドに座ってしまうと結局、堂々巡りが始まるので、できるだけ気持ちをほぐそうと室内をうろうろした。
「いてて……」
すみれは首が痛かった。祐介があの部屋に入ってきた時、自分が呼び寄せたにも関わらず、あまりにも唐突な再会だったので、恥じらいや驚きに全身がこわばって、思わず瞬間的に顔を横に背けようとし、首をひねってしまったのだった。
だんだん、自分の態度がぎこちなくなってきたと思った。自分が意識しすぎているせいだということは分かっていた。しかし、自然に会話したいという気持ちがかえって、そういう意識を強めていた。
(変な素振りをしていたら、嫌われてしまう……)
すみれは、ペットボトルの水をぐいっと飲んだ。そして、気合いを入れた。
(とにかく、会ってお話をするんだ。そうしなくちゃ、何も始まらない……)
自然な会話ができるか、ということがすみれにとっては重大問題だった。
妄想上のデパートでの会話を実現するには、天邪鬼ともとられてしまう行動をなくさないといけないとすみれは考えながら、窓の外の漆黒の浜辺を見た。
「大丈夫?」
未空はいよいよ心配でいられなくなったようで、ベッドからぴょんと降りると、すみれの元に近づいてきた。
「大丈夫。大丈夫。ちょっと気分転換したいからロビーにでも行こうかな」
「あんまり無理しないでね」
と未空はきょろりとした目をして、心配そうに言った。
すみれはホテルの部屋から出ると、廊下をふらふらと歩いた。自らの歩調に急かされるように、思考がぐんぐん動いてゆく。
(事件が起きたというのに、不謹慎かな。祐介さんも今は未空ちゃんのことで頭が一杯だろうに……、わたしは)
そう言って、エレベーターに飛び乗り、ボタンを押すと、一階に向かって急降下してゆくのを感じた。
(祐介さんはわたしを見ていない。わたしだけが祐介さんのことを考えている。ただ、わたしだけがもがいている。一人ぼっちで……)
その時、一階に到着し、ドアが開いた。




