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66 窮屈な水槽の中

 胡麻博士と英治は、使い終わった皿を返却口に戻し、食堂を後にすると、アーチ型のガラス張りの天井の海底トンネルのような廊下を歩いた。見上げると、強い光が差し込む中に、尾びれが黄色の太った魚が心地よさげに泳いでいる。


 英治は、こんな時に胡麻博士と再会できたことを不思議な縁だと思った。思えば、昨日、一人ぼっちになった時に、高杉薫と出会ったことも、不思議な縁だった。もうどうしようもないという時に限って、そうした不思議な縁に巡り合えるというものなのだ。高杉さんは今、どうしているだろう、と英治は思った。そして、また会いたい気持ちに襲われた。それは恋愛感情ではなかったが、あの人のなにか、人を見透かしたような、超然としたところに惹きつけられていた。

 もし、これが恋愛感情であったら、と英治は妄想する。それは叶わぬ恋心だろう、と。それは高杉薫があまりにも物事の道理を知り尽くしているように感じられるからだった。そういう人は尊敬に値するが、彼女の神秘的で高尚な存在感からは、二人の恋愛生活という日常がまったく想像できなかった。

(そんなことを考えてはいけない……)


 いずれにしても、英治は、自分には赤沼麗華という想っている人がいるのだから、それがもうどうしようもないところに行き着くまで、他の人との恋愛を夢想することは罪悪という気がした。しかし、それは上手くいっていない恋愛だった。英治は曖昧な関係を続けようとする麗華の気持ちがはっきりと掴めなかった。

 麗華との曖昧な関係を脱することができないのは、自分の求愛の思い切りが足りないからだ、という気もした。しかし、今、思い切ろうとしたら、麗華は、自ら身を引いてしまうのではないか、という嫌な予感が英治にはあった。その麗華の態度が、英治は理解できず、寂しさを感じるのだった。赤沼家の再興という重圧が、麗華を消極的にさせているのかもしれない、と思った。それがあるがゆえに、中途半端な関係が続いているのかもしれない、と思った。


 英治がそんなことを感じて、ぐったりとしていると、胡麻博士が何かを見透かしたように言った。

「英治さん。魚たちがこんなにのびのびと泳いでいるのに、あなたはいつも縮こまっていますな」

 そう言われて、英治は、はっと顔を上げた。

「僕はどうしようもなく寂しいんです」

「寂しいのは、あなただけではなくてね」

 と言って、胡麻博士は笑った。


「好きな人がいるのですが……」

 英治は、赤沼麗華とのことを赤裸々に喋った。そして、自分にまとわりついている寂しさはすべて、このせいだと告げた。すると胡麻博士は微笑んで、こう言った。

「そのお方も、あなたと一緒になれないことがとても寂しいんですよ」

「それなら何故……」

「あなたに背負わせたくないからですよ。あなたを苦しめたくないのです。だから、すべてが曖昧なままなのです」

 胡麻博士は、一匹の魚を見つめた。

「ああ、水槽の中は窮屈ですな……」

 胡麻博士は、腕時計を見つめると、

「また明日にしましょう。わたしは今から長谷川東亜先生の美術館に行きます。あなたはもう少し、魚たちを見つめているとよいでしょう。心が休まるはずです」

「わかりました」

「それでは、明日、会いましょう」

 胡麻博士は、英治を気づかうように微笑むと、出口を向かって歩いていった。

 英治は、この時まで、自分の寂しさに打ちひしがれることはあっても、麗華の寂しさを考えたことがなかったことに気づいた。そして、それが分かると、彼女の気持ちを(おもんぱか)って、自然と涙が頬を伝った。彼はそれを人に見られないように水槽に向かって、しばらく一人で魚を見つめていた。

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