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64 ナポリタンスパゲティ

 英治は、ぼんやりしながら、胡麻博士を目の前にしていた。なんでこんなところで、この先生と出会ったのだろう、という違和感が頭をもたげてきた。そうこうしているうち、番号札の番号を呼ばれ、ひよこのような可憐な少女から、カレーライスとナポリタンスパゲティを受け取った。胡麻博士の分も、英治が受け取って、テーブルに運んできた。

「ありがとうございます……」

 と胡麻博士は、禅僧のような慎みのある態度で言うと、ナポリタンスパゲティにフォークを刺した。

「ナポリタンスパゲティというのは、なんだか日本らしいですな」

 と胡麻博士は、しみじみと呟くと、フォークをくるりと回した。スパゲティの麺が、フォークに巻き取られて集まってきて、玉になる。それを口に運ぶ。白髪まじりの口髭が赤くなり、胡麻博士はそれを、丹念にナフキンで拭き取る。


「日本らしい……、でもスパゲティはイタリアのものでしょ?」

 と英治は、その意味が分かったようで分からなかったので、聞き返した。

「そう、スパゲティは確かにイタリアのものですな。イタリアは日本ではない。しかし、そもそも日本らしさとはそういうものではないのです。たとえば、あなたは日本らしさというと禅寺の枯山水のようなものを思い描くのではないですか?」

「それは……確かに。詫びとかさびとか……」

「しかし、禅とは本来、中国のものですな。もっと言えば、インドの……」

「元々は外国のものだと。でも、それはどこかで日本風になったのではないですか?」

「かもしれません。ただ、気をつけなければならないのは、我々が思い描く日本像、それはどこまで正確なものでしょうかね。本来ならば、我々のまわりにあるものすべて日本ではないですか?」

「はあ……」

「情緒すらも固定観念によって支配されているのです。英治さん、この水族館に日本の情緒を感じましたか?」

「いえ、日本の情緒とは思いませんでした……」

「我々は脳裏に日本というイメージを作っていて、それを大切にしています。それは素晴らしいことです。しかし、その反面、実生活に溢れた情緒の多くを見逃しているのです。情緒や美を感じるときにはくれぐれも気をつけるべきです。純粋な目には、日本の情緒というのは、あらゆるところに現れているわけです」


 という訳のわからない説教を聞きながら、英治は、カレーライスを食べた。そもそも日本なんてものはあるのだろうか、とカレーライスを見つめながら思う。

「でも、伝統は美しいものです。禅寺の枯山水、白鶴のような城郭、面影を残す宿場町、そういうものを僕たちは日本らしさとか、和風と呼んだのではないでしょうか。せせこましい池袋の雑踏の中で生きていると、時々、そんな日本を感じてみたくなります」

 胡麻博士は、ふふふ、と微笑んだ。


「胡麻博士は仰る日本とは、国家とか伝統のことではなく、実生活にある日本という意味だと思うんです。確かに、僕のまわりにあるありとあらゆるものは日本です。そこにあるのが日本の情緒であり、日本の美です。でも、僕はなんだか知らないけれど、ある特別な日本というイメージの方を愛しますね……。京都の寺社とか、東京の下町とか……」

 そんなことを語っているうちに、カレーライスを食べ終わってしまった。胡麻博士の鋭い視線を浴びながら、こんなことを語っているのは、冷や汗の出ることだった。


「日本という言葉がわからないんです」

 と英治は、分からなくなってきて、そう締めくくった。

「京都の寺社、東京の下町も、イメージの中の情緒と、実体験に現れる情緒とは、まったく別のものですよ」

 と胡麻博士は言った。

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