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62 ピラルク

 英治にとっては、久しぶりのイルカショーだった。子供の頃、親に連れられて、水族館に来たことはあったが、大人になってから一人で遊びに来ようと思ったことは一度もなかった。だから、こうして胡麻博士と二人並んで、飛び上がるイルカを見ていると、胸深く沈殿している感情が、ふつふつと湧き上がってくるようだった。それでも、子供の頃のように、わーとかきゃーとか、自然に声が上がることもなかったし、これはこれでよいものだ、と変に頭で納得してしまうところもあった。

 それに比べて、隣の胡麻博士は、両手を握りしめて、今からスキージャンプでもするかのように前のめりで、イルカたちの姿に見惚れていた。そして時々、椅子の上で、小さく飛び跳ねながら、ばちばちと拍手をした。

「いいですね、いいですねぇ」

 そう言う度に、胡麻博士は、なにやら期待のこもった目で、英治を見るので、英治は苦笑いを浮かべて、曖昧に返した。


 イルカたちは大変美しい艶やかな肌をしていて、飼育員の合図に合わせて、青いプールから飛び上がり、空中で体を揺すっていた。そして、その度に、客席に水が降りかかってゆくのを英治は何度も見た。

「イルカだなぁ、やっぱりイルカですよ」

 なにがやっぱりなのか分からないが、胡麻博士はしきりにそういうと、また椅子の上に座ったまま小さくジャンプした。


 イルカショーはあっという間に終わった。楽しかったせいか、それは本当に短く感じられた。実際は何十分だったのだろう、と英治は気になり、腕時計を見ようとしたが、帰ろうとする人の波を見た瞬間、すっかり興味が失せてしまった。

「どうでしたか?」

 と胡麻博士は立ち上がり、鞄を持つと、英治に尋ねた。

「楽しかったですよ」

 と英治は答えた。実際、楽しかったのだが、感想を言う段になると、それは我ながら白々しく台詞めいて感じられた。その上、どこが楽しかったか、さらに言わなければならないという強迫観念のようなものが襲ってきた。

「あんなにイルカって高く飛ぶものなんですね」

 もちろん英治が感動したのは、そんなことではなかった。しかし、彼は胡麻博士に何か言わなければならなかった。


「イルカは高く飛びますよ」

 胡麻博士は気にしていない様子で、そう言った。そして、微笑みながら、プールを名残惜しそうに眺めた。

「行きますか」

 英治は、そう言ってから、胡麻博士の感無量の時間を奪ってしまった気がした。

「ええ、行きますとも」

 と胡麻博士は気にしていない様子で、階段に向かって歩き出した。


「あとはふらふらと水族館の魚たちを見てまわりましょう」

 と胡麻博士は、英治を生徒のように思っているのか、先導をきって、階段を登り始めた。それから上は、大変な人の混みようで、胡麻博士もサンドイッチの具のような気持ちで、押し流された。

 英治は、胡麻博士からはぐれないように気をつけながら、人をかき分け、屋内に入っていった。


「ここはどこだ……なんだか、不気味だな……」

 と胡麻博士は呟いた。そこは一段と薄暗いところで、ライトアップされた巨大な水槽が並んでいる。その水はターコイズのような、あるいは、緑のような美しい色をしていた。水上には、うねうねと曲がりくねった幹の植物が天井に向かって伸びていて、緑の葉やツタが水面ぎりぎりまでかぶさっていた。それらも光が当たり、明るくなっている。さながらジャングルだった。水中には、岩肌が広がっていて、その中を奇妙な魚たちがゆったりと泳いでいた。先が細くなった焼き芋に大きな尾びれをつけたような魚で、肌は黒っぽかったが、白い筋が何本も入っていた。

「ピラルクですな……、するとここはアマゾンのエリアか……」

 とアマゾンの世界が現れたような水槽を前に、胡麻博士はぶるりと震えた。

「アマゾン……」

 英治は、その水槽の中に引き込まれた気持ちになって、急に恐ろしくなった。

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