5 長谷川東亜美術館
窓の外の風は強いらしく、木の枝が揺れている。
すみれの乗っているバスはぐんぐんと緑地の中に入り込んでいった。曲がりくねった道路には濃い影が落とされ、いかにも涼しげな様子である。すみれが車窓から景色を眺めると、なだらかな山を背にして、古めかしい洋館が丘の上に建っているのが遠見にも分かる。
「あそこが長谷川東亜先生の自宅なんだ」
と未空が指をさした。すみれはへえと呟いて、あらためてその洋館を見つめた。それは赤みを浴びた外壁の四階建てで、まるで中世の城か、教会のような見た目だった。しかし、鉄の棒の上に鉄球が付いている異様なモニュメントが備えられているのも見えた。それは、なんだか、よく分からなかった。こんな洋館に住んでいる人間はよほど変わり者なのだろう、とすみれは思った。
すみれは未空の方を向いて、
「未空ちゃんは、その先生に会ったことがあるの?」
と尋ねた。
「ううん。先生は滅多に外部の人と会わないんだ」
未空はそう言うと、少しだけ残念そうな表情をした。そして、彼女はまた外の景色を眺めて、
「もうすぐ着くかな」
と呟いた。
途端、視界が開けて、モダンな四角形、白い箱のような美術館が前方に現れた。それはなんだか山の中に突然、宇宙人の乗り物が現れたような違和感だった。三階建てぐらいなのだろうか、窓がひとつもないので見当がつかない。すみれは窓から建物に見入っていると、未空がちょいと腕を突いたので振り向いた。
「ここだね」
「うん」
バスは建物の前の広場に停車し、ふたりは降ろされた。バスの運転手は、アメリカの交響楽団の指揮者のような顔をしていて、ふたりが降りるのを確認すると、ドアを閉めた。他に降りる客はいなかった。バスはまたどこかに向けて走り出した。
箱のような建物をみると「長谷川東亜美術館」の文字が正面にある。美術館の前には、七つの球体が転がっているようなオブジェがあった。すみれにはこの意味がわからなかったが、変てこな感覚が自然と身体中から起こってくるようでもあった。
ふたりはあたりの景色を眺めてから、心を落ち着かせて、建物の中に入っていった。
薄暗い館内に入るとすぐに受付があった。そこには黒髪を結っている清楚な、それでいて風変わりなことに青い唇紅を塗っている三十歳ぐらいの女性が座っていた。盛り上がっている胸元が官能的なオーラを漂わせている。肌は照明のせいか、メイクのせいなのか、全体に灰色に近く見える。また、ところどころ金粉がまぶされているかのような肌である。おそらく本来は美人なのだが、そういう一般的な美的感覚とはまた違う主張のせいで、異次元からやってきた宇宙人のように見えている。
「いらっしゃいませ」
「すみません。大人一枚と子供一枚……」
とすみれは言ってから、未空ちゃんはもう二十二歳だった、と思い直した。
「おほほ。もう子どもではないでしょう?」
と受付の女性は、一般人とは波長の違う笑い方をして、未空の胸の膨らみをちらりと見た。
「じゃ、大人二枚で」
「どうぞ。お一人様、五百円です」
とその宇宙人は言って、チケットを手渡した。
「順路は左まわり。それでは、宇宙との交信をお楽しみくださいませ」
最後、一瞬、聞き捨てならない言葉を彼女は吐いたようだったが、すみれはこの妙な空気に圧倒されてしまい、何も冷静に考えられなかった。