58 未空の無実
死体が人形であったとか、被害者がまだ生きているといった説はいかにも突拍子がなかったが、それなりの説得力はあったものらしく、国木田はしきりに頷いていた。
祐介は、さらに未空の無実を証明すべく、あることに触れた。
「あれほど、大量の血が床に広がっていたのですから、犯人は当然、返り血を浴びたはずですよね」
「それは確かにそうですね」
「しかし、未空の服には、血がついていなかった。室内に血が付着している服はありましたか?」
「ありませんでしたね」
と国木田は、苦い表情を浮かべる。
「それならば、未空が犯人だというのは不自然ではないですか?」
「しかし、着替えたという可能性がありますからね」
「しかし、そうも考えられないのです。未空がもし返り血を浴びた洋服を着替えて、それをどこかに捨てに行ったのだとしたら、ベランダ側から放るか、あの短い廊下のドアから外の長い廊下に出るしかないわけです。しかし、ベランダ側に放ったのなら、それを外側にまわって自分で拾う余裕はなかったはずです。ベランダの下には何かありましたか?」
「いえ……」
国木田は首を横に降る。
「つまり、現在そこにないのはおかしいです。また、床の血は、短い廊下の右端から左端まで広がっていましたから、小柄な未空が、それを踏まずに死体まで飛び越えて、外の廊下に出ることは不可能ではないですか?」
床の血が発見時に踏み荒らされていなかったことは、あの後、現場に駆け込んできた数人の証言ではっきりしている。つまり、そのあとは、彼らの足で、床の血は若干、踏み荒らされてしまったわけである。
「では、はじめからドア側にいて、被害者を刺した後、ドアから廊下に出て行ったとしたらどうですか」
と国木田は必死になる。
「それならば、どうやって、ベッドにまで帰ってきたのですか」
国木田は悩ましげに頭を下げる。祐介の攻撃は継続する。
「第一、被害者の梶原氏が、未空を渚さんだと思って、言い寄ったことに未空が抵抗して刺したのだとしたら、その時に未空が、私服でも、長谷川家のパジャマでもない、全く別の服を着ていたというのは状況的に不自然です。そして、未空が殺人を犯したのなら、なぜすみれさんに電話をかけたのですか。犯人ならば、このことをまず隠蔽すべきではないでしょうか」
「それは確かにそうです。しかし、犯人が何を考えていたのか、それははっきりとしないものです」
「いずれにしても、死体が回収されていない状況で、部屋に鍵がかかっていたという話だけで、未空を有罪にするのは難しくないでしょうか。執事が管理していたという鍵も、本当に誰も使用できない状況だったのか、確認する必要があると思います」
「それは確かにそうです」
と国木田は、冷静に反論され続けて、だんだん自信を失ってきた様子だった。
「捜査は慎重に行うつもりです。こちらも未空さんが犯人と断定してはいません。ただ、疑わしいのも事実なので、捜査はさせていただきますが、あくまでも、今のところはこちらも捜査段階でして……」
と言ったきり黙ってしまった。何を言っても、祐介に反論される気配があったので、国木田は、青白い顔をして、ふらふら立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。
「やったな。どうにかなりそうじゃねえか」
と根来はふうと安心したようなため息をついた。時間稼ぎにはなったようだ。その隣で、祐介はまだ安心できないので、捜査を続行しようと決めた。根来も、中川旅館で見つかった死体の第一発見者であるから、しばらく捜査の協力をすることにして、その実、独自の捜査を続けようと考えていた。一体、どこを捜査するべきだろう、と二人は考えた。




