39 青年の涙
そこにいる青年は、未空を見て、しばらく放心したように立ち尽くしていた。ふたりは見つめあったまま動かなかった。そして、彼はそっと微笑むと、目頭が熱くなったらしく、一筋の涙を落した。
「渚……」
未空は、この状況に困り、どう反応したらよいのか分からず、首を横に振った。
「生きて帰ってきてくれたんだね」
そう言われても、未空には何といってよいのか分からない。青年は多くの感情が溢れ出してきているらしく、涙を拭いながら、言葉を探しているようである。
「長かった……、君が、どこか遠いところに行ってしまってから……、あの月のように遠いところへ行ってしまってから……」
未空は、その言葉はわたしにかけられるべきものではない、と思った。しかし、いつまでたっても、自分の唇は固く閉ざされたままだ。こういう時の焦ったさは我ながらたまらないと未空は腹立たしく思う。
青年は、未空が何も言葉を発さないことに疑問を持ったらしい。
「ねえ、なにか、僕に言ってくれないか?」
青年の寂しげな表情を見て、未空は一歩引きさがった。その途端、青年の表情は悲しみの色に曇った。やってしまった、と未空は思い、もうじっとしていられなくなった。そこで未空は、ひょいとその場から逃げることにした。
「渚!」
青年を振り切ると、そのシアタールームから抜け出し、未空はただ一人、冷たい静寂へと向かってゆく。未空の常套手段である。未空の背後には、長い廊下が続いていた。その先の青年の顔を、未空はずっと思い浮かべている。
未空はとにかく、誰も追って来れない場所にゆこうとした。また、階段を降りる。
未空は、あの青年は渚という少女のことが好きだったのだろうと思った。だから、未空はなんとも説明することができなかったのだ。自分が何かを言った瞬間、青年の期待は裏切られ、失望がその顔を覆うことだろう。その時、少女は死んだものとなる、少なくとも青年の意識の中では。未空はそれから逃れようとしているのだ。
未空はそのまま、屋敷の中庭に飛び出し、暗闇の中を駆けた。心地よい風が吹きつけてくる。ここは丘の上だ。月が天空に浮かび、光を漂わせ、深い闇がその遥か高みから降りかかってくる。
(外でしばらく時間を潰そう……)
そう思った途端、未空は中庭の歩道を踏み外し、急な芝生の丘を転がり落ちた。未空はつんざくような悲鳴を上げ、丘の下の冷たい石段の上に仰向けとなった。
悲鳴を聞きつけて、先ほどの青年が裏口から飛び出してきて、すぐに未空を助け起こしたが、この時、彼女はすでに気を失っていた。
「渚……」
青年は、未空をぎゅっと抱きしめると、おでことおでこを合わせ、再会に感激している様子。そして背中と膝裏を抱え、いわゆるお姫様抱っこをして、裏口へとゆっくり歩いて行った。




