3 白月浜グランドホテル
すみれは、未空と英治と共に、ホテルへ向かっている。しかし、どんなホテルかは知らなかった。彼女は、どうせ大したものではないだろう、とホテルを見てがっかりしないように、心の準備をしているのだった。
途中、右側に白磁のように綺麗な門があり「白月浜グランドホテル」の文字が掲げられていたのを見た英治は、率先して、その中に入って行った。すみれもそれについて中に入った。
その先には、緑の豊かに茂る坂道がさらに右に曲がりつつ続いていた。ああ、この坂道を登らなければならないのか、とすみれは面倒くさく思いながらも、汗を拭き拭き、無言で坂道を登った。坂道の途中からは、浜辺の賑やかな人混みが左手に見えていた。
そのうち、丘の上にそびえ立つ、白色の巨大な建物がはっきりと見えてきた。それは天空に向かって伸びているバベルの塔のようだった。
坂道を登り切ると、そこには噴水のある広場が広がっていた。すみれはようやく一息ついた。あたりにはヤシの木が植えられていて、とても日本とは思えない。まるでハワイだ。ちなみに車道は、建物の向こう側の駐車場へと続いているらしい。
すみれは噴水の前に立って、あらためて建物を見上げた。それは十五階建てぐらいの、とても清潔で上品な印象の白いホテルなのだった。玄関の右横には「白月浜グランドホテル」の文字が見えている。また玄関の両側にも、ヤシの木が植えられていて、いかにもリゾート地という雰囲気を醸し出している。すみれは感心した。
「ここだ、ここだ」
と英治は満足げに言った。
(こんな綺麗なホテルに泊まれるなんて夢のようね。あとは羽黒さんさえ居てくれれば……)
とすみれは思った。
夢のような想像をしているすみれだが、目の前には相変わらず、探偵助手の背中があった。彼は噴水にもヤシの木にも見向きもせず、ガラス張りの自動ドアに向けて、まっしぐらだ。もう少しゆっくり歩けばいいのに、とすみれは思ってしまう。
未空はというと、マイペースにふらふらとハワイアンな景色を眺めながら、すみれの後ろを歩いていた。すみれは気を遣って、ふたりのちょうど間あたりを歩いている。
三人がホテルの玄関に入ると、そこは高級感の溢れるロビーになっていた。あたりには赤色の絨毯が敷かれ、木の色の柱が並んでいた。黒い色のソファーと木造りのテーブルがいくつも並び、天井には金色のシャンデリアとランプが吊るされている。奥には、黒光りしているグランドピアノまである。あらゆるものが琥珀色の照明で美しくライトアップされていた。その中を観光客や、スーツ姿の人々が慌ただしく動いている。右横のフロントもまた艶やかな木でできていて、そこに立っている受付嬢は、三人に気づくと丁寧なお辞儀をした。
英治は、荷物を預けようとしている。彼は慌ただしく、フロントに歩み寄って、スーツケースをホテルの受付嬢に渡しながら、不自然な世間話をした。
「いやぁ、暑いですね。夏だからかな。冬ならもっと涼しいのにね。でも暑いのもわりと好きなんですよ」
(何、馬鹿なこと言ってるんだろう……)
すみれと未空は、そんな英治を放っておいて、フロントから離れ、ロビーの横の眺めの良いカフェテリアにふらふらと歩いて行った。そこには木造りの丸いテーブルのまわりを椅子が囲み、正面には大きな一枚の窓ガラスが張られて、そこから青い海が日に輝いているのが見渡せた。
「ここ、いいね」
とすみれは未空に話しかけた。
「そだね……」
「後で来ようね」
「うん」
未空は子供のように無邪気に瞳を輝かして、海の青い色を眺めている。本当にこの子は純粋なんだろうな、とすみれは思った。
「やあやあ、君たち。荷物はもう預けたよ。さあ、出かけようか」
と英治が後ろから話しかけてくる。何気ない一言なのに、すみれは、やれやれ、と思った。
(なんで私はこの人と一緒に旅行してるのかな。私が本当に一緒に旅行をしたかったのは、探偵助手ではなく、探偵の方なのに……)
とすみれは思った。
実は、すみれは私立探偵の羽黒祐介に恋をしていた。羽黒祐介は池袋に探偵事務所を構えていて、来年、三十歳、史上最高の美男子であり、同時に、数々の難事件を解決してきた天才である。彼と共に東京で事件の捜査をした数日、すみれはあることがきっかけで祐介のことが好きになったが、気持ちを告げられなかった。そのまま、群馬に戻って、悶々とした片想い生活を続けている。
(てっきり、今回の旅行も、私立探偵の羽黒祐介さんが来るとばかり思っていたのに、前日になって、来るのは英治さんらしいと知って、がっかりしたもんだ)
すみれは、この旅行で祐介の気持ちを知ろうと、相当な覚悟でやってきたのだった。先祖の墓参りもしたし、神社にもお参りしたし、父親の顔を見るのもこれが最後かとさえ思った。それなのに、前日、一緒に旅行するのは室生英治だと電話で告げられたのだった。
(まあ、それでも、家でひとりでじっとしているよりは良いかな。よし、この英治さんから羽黒さんの情報を聞き出せるだけ聞き出そう!)
とすみれは前向きに思った。
「なんか、さっきから僕のこと、見ていません?」
と英治は不審げな顔ですみれを見た。そして、いかにも怪訝そうに、
「まさか、変なこと考えてないでしょうね」
と言ったのだった。
「えっ、いや……」
突然、こんなことを言われると焦る。弁解しようと口を開くと、すかさず英治は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、僕には、赤沼麗華さんという想っている人がちゃんといるんです」
(し、失礼な、誰があんたなんかと!)
とすみれは思った。
(こんなやつと結ばれるのなら、タワシと付き合った方がましよ……)
と心の中で思っても、さすがに本人の前では言えない。しかし、腹が立ったから踵を返した。
「わかった。わかった。未空ちゃん、さっさと行こ!」
英治もまた片想いをしている相手がいるらしかった。しかし、そんな情報すらもすみれにとってはどうでもよかった。大切なことは、ここには羽黒さんがいないということなのだ。