30 居留守
根来は、主人の方に振り向き、物々しい口調で語り出した。
「実はね、私は群馬県警の刑事なんですが……。そう、今日は、捜査でここに来ているんですよ。それでね、ちょっとの間、あなたの車をお借りしたいのですが……」
「えっ、刑事さんなんですか……」
根来は自分が刑事であることを主人に伝え、プレッシャーをかけることによって、主人の車を借りることにしたらしい。祐介は笑いそうになった。主人は真に受け、おっかなびっくりした表情を浮かべ、
「あの、なにか事件ですか?」
と尋ねた。根来は真剣な表情で頷き、主人をぎろりと睨みつけると、
「ええ、これは事件なんです」
と語った。根来にとっては、娘が芸術家の破廉恥なパーティーに参加することは重大事件に他ならない。
店主は慌てて了承した。警察官に反抗するとろくな目に合わないという印象があったのだろう。
二人は、主人に案内されて外に出た。旅館の駐車場に停まっている車に乗り込み、そこからカーナビの指示にしたがって、長谷川東亜の洋館に向かって車を走らせた。
車は、街灯の美しい温泉街からどんどん離れて、人気のない草木の生い茂った道の暗闇の中へと入り込んでいった。
祐介は念のため、あの憐れな助手に電話をかけた。英治はすみれや未空と共に白月浜グランドホテルに泊まっているはずである。
電話に出た英治は、きっとビールでも飲んで、すでにベッドで眠っていたのだろう、はじめは言葉が鮮明ではなかった。こんな時間に祐介から電話が来るなんて思っていなかったのだろう。今、根来警部と白月浜に来ているなどと言うと、英治はなかなか状況を理解できないらしく、うろたえていた。
「もう二人は帰ってきた?」
と祐介が尋ねると、
「いや、僕はすみれさんや未空とは部屋が違うから分からない。今、行って確かめてみる」
と言って、しばらく声が絶えたのちに、
「部屋にはまだ帰っていなさそうだ」
といかにも眠そうな声が聞こえた。
祐介はやれやれと思って、返事をすると電話を切った。ちょうどその時、木の間から長谷川東亜の城のような洋館の影が見えてきて、すぐに眼前に西洋風の立派な門が見えた。
「よし、早速、挨拶といこうか……」
根来は道の脇に車を停めて、ドアから飛び出すと、門に駆け寄った。祐介も追いかける。根来はインターホンを鳴らした。が、反応がない。
「おかしいな、パーティーをやっているはずなのに。誰も出ない」
洋館を見ると、窓から明かりが見えている。
「本当に後ろめたいことでもしてるんじゃねえか。居留守を使うなんて……」
根来は、不満げに言った。そして洋館に向かって、オペラ歌手と同等の声量で、
「警察だぁ! 出てこんかい!」
と叫んだ。驚いた鳥がばたばたと木から飛び去っていった。しかし、人が出てくる気配はまったくない。祐介もいよいよ違和感を感じ始めた。本当にすみれや未空の身に危険が及んでいるのではないか、しかし、確証は持てない。祐介と根来はしばらく、門の前で粘った。
時計を見ると午後十一時。祐介は根来の顔を見ると、
「どうやら不審者と思われているようですね……」
と言った。
「かもな、帰るしかねぇのか……」
と根来も不満げに言った。




