29 中川旅館
羽黒祐介は、満腹感に苦しみながら、新幹線が到着した福島駅から電車で白月浜町へと向かった。
一体、この苦しみはなんだろう、と腹を抑えながら考えると、今の今まですっかり忘れていたが、池袋の事務所でチャーハンと餃子を食べたのに、また新幹線内で鱒ずしを食べてしまったせいだと気づいた。
根来は、二人前を平らげても、まだ腹が減っているらしく、ちらちらと街の店の看板などを見ていた。
白月浜町に着いたのはもう夜のことで、時計を見るともう十時である。芸術家のパーティーはすでに始まっているに違いないが、駅前からバスはもう一本も走っていない。祐介は、どうしよう、と困った。
「とりあえず、泊まる場所がなけりゃどうしようもないからさ。このあたりの中川旅館っていう、旅館みてえな民宿みてえなところに、チェックインするとしようぜ」
という根来の一言もあって、二人は静まり返った店と店の間、暗い夜道をとぼとぼと歩いた。このあたりは温泉街なのであるが、賑やかな通りから外れてしまっているために、まったく人気がない。
さらさらと黒い川が流れている。その上を橋が架かっていて、そこを越えて、左手に進めば観光スポットである白月浜神社、まっすぐ道なりに進むと、白月浜の商店街が近いようである。
白月浜の名前の通り、夜空を見上げると白い月が雲の間から光を落としている。いやに静かだ。二人は怖がるでもなく、ただ夢心地で歩いた。
二人が温泉街に入ると、そこは旅館がいくつも建ち並ぶ、曲がった石畳の坂道が続くところだった。その右側に古めかしい旅館が建っている。生け簀には鯉がいて、ガラスの中には、いかにも高そうな壺が飾られている。建物自体は上等な印象ではないが、赤っぽい照明によって、「中川旅館」と記された看板も少しばかり雰囲気が出ている。
「ここだなぁ」
と根来は言って、祐介の返事も待たずに、自動ドアに近づいた。
あんまり遅いから、もう今日は来ないのだろうと思っていた旅館の主人は、突然、現れた根来に驚き、目を瞬かせながら、カウンターに宿帳などを用意をした。
根来は、荷物を渡しながら、
「今から長谷川東亜の屋敷に行きてえんだが……」
と主人に語りかける。
「はあ、長谷川東亜先生の」
「バスはあるかい」
「この時間、もうありません」
「なんだって……」
当てが外れたので、根来は途端に不機嫌になった。パーティーに間に合わなかったら、はるばるここまで来た意味がなくなってしまう。
「なんとかならないのか。電車は……」
「駅は、白月浜駅しかありません」
「屋敷に徒歩でいくと……」
「二時間ぐらいかかりますか。山の方ですからね……」
根来は、祐介の方をちらりと見て、
「一体、どうしたらいいんだ……」
と呟くように言った。
祐介は、
(知らんよ……)
と思った。




