26 上野駅の思い出
羽黒祐介は事務所を出て、池袋駅から山手線の電車に乗り、上野駅に向かった。祐介がホームで腕時計を見ると、電話を受けてから三十分後のことであった。探偵であるからいつでも外出できるようにしているので、支度は手間取らなかったのだ。
池袋駅から上野駅までは山手線で二十分弱かかる。その間は、都内の冷たいビルの間を抜けてゆくような感覚を味わう。
祐介が車内で、周囲の人を見ると、皆、そばにいながら、別の世界にいるように無関心に振る舞っている。
ピンク色の髪で、全体的にふっくらした女子大生がスマートホンを片手に持って、夢中でなにかをしている。祐介は彼女が何をしているのか知らないし、これからも知ることはないだろう。
ドアの付近に立って、窓の外を眺めると、暗闇にビルの灯りが流れてゆくのはまるで川のようである。東京はどこもかしこも明るい。この街は寝静まることを知らない。
祐介はこのようなうだるような夏の夜に、冷房の効いた車内にいると、夢のように感じることがある。
夏の夜は幻想的である、と言い切ると、物足らなくなって、なんだか夏祭りにでも迷い込んでみたくなる。
祐介が、上野駅のホームに降りると、暗闇に浮かぶ船のようなホームは白く照らされていて、人々はその上をどこか夢見がちな足取りでうろついてる。
祐介は、根来が待っているであろう中央口に向かうために、エスカレーターを下ってゆく。エスカレーターを下ってゆく感覚も、よく味わってみると不思議である。地の底に吸い込まれてゆくようで、そんな感覚が今夜はやけに冴え渡っているようだ。
祐介は、この上野駅が懐かく感じられた。何年も訪れていないわけではない。ただ、懐かしさが込み上げてくる夏の夜に突然、迷い込んでしまったみたいだった。
祐介が思い出していたのは半年前のことだった。すみれとふたりでこの上野を歩きまわった。事件の捜査をしたのだ。すみれを守ると誓った。あの時のことが脳裏に浮かんできて、その思い出が、まるで星空のように輝いて感じられた。
(夏の夜は不思議だ……)
祐介は夢心地で、中央改札に向かって歩いた。そこは改札機が横一列に並んでいる。その先は広いホールのようになっていて、まばゆい照明に包まれた中に、店舗などが並んでいる。祐介は一旦、改札から出ることにした。
祐介がICカード乗車券を使って、外に出ようとすると、残金不足らしく、警報が鳴り、フラップドアが閉まった。祐介は弾き返されたみたいになって、恥ずかしく思いながら、乗り越しの精算機に向かって歩いた。
気を取り直して、改札から出て、中央改札のあたりをうろついていると、五分ほどして、人混みの中から見慣れた屈強な男性がゆっくり歩いてきた。
「羽黒。遅かったな……」
根来警部であった。眉のかっちりした強面の醤油顔が、昔の映画俳優のようでもある。その顔は少しやつれている。祐介は、やれやれ、と思った。
「根来さん。いいんですか。これから福島なんかに向かって……」
「だって、心配じゃねえか。いいんだよ。向こうに行けばなんとかなるさ」
根来はそう言うと、駅弁の入ったビニール袋を持ち上げて、
「お前も食料を調達しておいた方がいいぞ。これは長旅になるかもしれんからな」
と真剣な表情で言った。




