19 ブレンドコーヒー
(妙な集まりには参加してほしくない、か……)
英治はそう言われても何と答えてよいか分からなかった。というのも、英治はそのパーティーについては何も知らないのだ。したがって、祐介を安心させるような言葉はなにも思いつかなかった。英治は、ぼんやりとして、目の前の海を見つめた。
『英治。君もそのパーティーについていくことはできないのかい?』
英治は、祐介の声を聞いて、頭を抱えた。
「僕が……? だって僕はそのパーティーに呼ばれてさえいないんだよ」
『そりゃ、分かるけどさ。でも、世の中には悪い男もいるし……そんな奴に、声でもかけられたら』
そんな心配をしているのか、このお兄さんは、と英治は思った。妹の心配をする兄。それはどこか微笑ましかった。でも確かに、芸術家の男なんて大体変わり者で、手癖が悪いイメージがある。おまけに常識がない。何をしだすか分からない連中だ。青白い顔を浮かべた不健康な芸術家たちの集い、退廃的で不道徳なパーティーの狂乱、猥雑な有り様を思い浮かべた。祐介はそんな雰囲気の中に自分の可愛い妹を放り込みたくないのだろう、と英治は思った。
英治は困った。なんとかして、祐介の心配の種を取り除いてあげたくなった。その時、不意に名案が浮かんだ。
「そうだな、それなら、いい方法がある。僕が知り合った舞台役者の女性だけどね、彼女、長谷川東亜先生の知り合いでね,彼女もそのパーティーに参加するそうなんだ。そして、彼女は今僕がいるホテルのどこかに泊まっている。どうだろう。彼女に相談を持ち掛けるのは……?」
『その人はまともな人なのか?』
「まともさ」
と英治は断言した。言ってしまってから、何の根拠もないことに気づいた。しかし、彼はそう断言せざるをえなかったのだ。彼の中の薫は活き活きとして、輝いていた。彼女がまともでないわけがない。
純粋な直感の力強い流れが英治の心を暖めて、彼に疑いを抱かせる隙を一切与えていなかった。
『それなら、その人に相談してみてくれ。まともな人が側にいてくれるだけで安心だよ』
「そうだろう」
『そうしてくれ。じゃあ、英治、また電話するよ』
「わかった」
『楽しんでくれ』
「うん」
電話は切れた。英治は鞄に携帯電話をしまった。途端にやることがなくなり、なにか落ち着かなくなって、英治は椅子の上でもぞりと座りなおした。腰骨のあたりがつんと痛くなった気がした。足首も冷たくなった。
その間も、海は目の前の窓ガラスの向こうで沈黙を守っていた。ブレンドコーヒーのカップを持った店員がそこに現れた。
英治は、ブレンドコーヒーのカップを受け取って、砂糖やミルクも入れず、一口飲んだ。粉っぽい舌ざわり、優しく濃厚なコーヒーの風味が彼を夢心地にさせ、幻のように甘い香りが鼻から抜けてゆく。英治の体はしびれたようにそこから動けなくなった。
英治は、しばらく物思いにふけったまま、そのコーヒーの味わいを堪能した。
カフェに流されている曲は、ジャズだった。あまり騒々しくないピアノ曲。弾いているのは、ウィントン・ケリーといったところだろう。
厳選されたピアノの音色は、大粒の雨が突然、傘に落ちてきて音を立てるように、宙を弾んでいた。
また考える。
(高杉さんは、どこに行けば会えるのだろう……)
その答えは、いくら考えても見つからなかった。




