107 思い出のこの場所で
英治は、ゆかりの秘密のことで頭がいっぱいになった。しかし、彼は、自分の頭に浮かんだ推理に確信が持てなかったので、ゆかりにそのことを切り出す勇気がなかなか湧いてこなかった。的外れなことを言って、彼女に嫌われてしまうことを恐れていたし、なによりも、彼女を傷つけてしまったら取り返しがつかなくなるとも思っていた。
ゆかりは、先ほどからなにか一人で考え込んでしまっていて、英治の声がまるで聞こえていないかのようだった。その重く沈んだ表情をみていると、英治は居てもたってもいられなくなる。どうすればよいだろうと悩んだ末、英治はゆかりを連れて、白月浜わくわくパークから出ることにした。
英治は、ゆかりを励まそうとした。しかし、ゆかりのデリケートな部分に触れずに、当たり障りのない言葉だけで励ますのは非常に困難だった。英治は、ゆかりが気分転換できる場所を探し続けたが、それがどこなのか英治には分からなかった。商店街のありとあらゆるものがゆかりの目に映っていないようだった。
「ゆかりん……」
英治は、思い切って、ゆかりを励まそうと商店街の真ん中で声をかけた。その時に誤って、心の中で呼んでいるゆかりんという呼び名を口にしてしまったのだが、それについて、ゆかりは全く気にも留めていない様子で、
「室生さん。ここらへんでお別れにしましょうか」
と小さく漏らした。
「どうして……」
「迷惑をかけてしまいそうだから……」
それを聞いて、英治は言葉にならなかった。英治は、この場でゆかりから離れる気持ちにはなれなかった。もっとゆかりのそばにいたかったし、ここで別れたら、ゆかりにとっても最大の危機が訪れるのではないか、と恐ろしい予感が脳裏をよぎっていた。英治は、最後の賭けに出ることにした。
「ねえ、僕についてきてくれるかな」
ゆかりは、はっとした眼つきで英治を見つめると、不安そうな表情を浮かべていたが、彼を信じてみようと思い切ったのだろう、小さく頷いた。
英治は、これは大変な過ちになるかもしれない、と思っていた。それでも、彼はゆかりを連れて、商店街を突き進んでいった。
向かう先に見えてきたのは白い蠟燭のような白月浜タワーだった。以前、高杉薫に連れられて、英治が訪れた場所だった。
「ちょっとパン屋さんに寄るね」
「………」
英治は、一階のパン屋さんであんぱんを一つ購入すると、ゆかりを連れて、白月浜タワーの展望台に登った。そこからは今日も、パノラマの窓ガラス越しに、晴れ渡っている青空と、美しく煌めく海が一望できるのだった。
「もしよかったら……」
英治はその場で、ゆかりにあんぱんを手渡した。ゆかりは、驚いた様子で、しばらく無言になった。それから二人は巨大なガラス窓に向かった長椅子に並んで座り、数分間、会話も生まれなかった。ゆかりはあんぱんをじっと見つめている。ゆかりの目には、大粒の涙が浮かんできている。
「室生さん、どうしてこれをわたしに……」
「高杉薫さんが教えてくれたんだよ」
ゆかりはその言葉を聞くと、こくんと頷き、涙を手のひらで拭って、微笑んだ。その朗らかであどけない笑顔には、純粋な美しさが満ちていた。
「薫さんとお知り合いだったんですね……」
その言葉を聞いて、英治はゆかりが長谷川東亜の娘、長谷川渚だと確信したのだった。




