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102 徳留ゆかり

 英治とその少女は、温泉街の方向に向かって並んで歩いて行った。英治は、なんと話しかけてよいか分からなくなって、自分がこの子の名前をまだ知らないことに気が付いた。

「ねえ、君、名前はなんてゆうの?」

 少女は、その言葉にはっとしたらしく、英治の顔を見ると、

徳留(とくとめ)ゆかり……」

 と答えた。


 ゆかりちゃんか、あだ名で呼ぶとしたらゆかりんだな、と英治は親しげに下の名前で呼びたい欲求が起きたが、さすがに初対面でそれはできないので、徳留さんと呼ぼうと思った。

「僕は、室生英治っていいます」

「ムロ―さんですか。どんな字を書くんですか」

「調理室の室に、生きると書いて、室生です」

 と英治は以前、高村薫に、室生犀星と同じ室生です、と説明してもまるで通じなかった反省から、こんな説明をした。

(それにしても、ゆかりんは、本当に未空ちゃんに似ているな)

 と英治は、ゆかりの顔をまじまじと見つめながら思った。


 三十分ほどして、温泉街にたどり着いた二人は、数ある旅館のうち、内村旅館という特に古びた旅館の建物の前についた。英治は、ゆかりが財布を取ってくる間、外で待っていようかと思ったが、ゆかりは気さくに室内に誘った。

 英治は、男子禁制の世界に入るような気持ちで、ゆかりの部屋に上がると、トイレの他に、畳の間が二つ横並びになっていた。

「ここで待ってくださいね」

 と、ゆかりは告げて、隣の部屋に入り、自分の鞄の中身を漁りはじめた。英治はその隙に、室内をよく眺めると、窓の外には川が流れているようだったが、窓際には簡易的な物干しが吊るされ、白いTシャツの裏側に、淡い水色のブラジャーとパンティーが干されていて、隙間風に靡いている。英治は、目のやり場に困った。しかし、こんなものを干しているところを見ると、この地に長期滞在するつもりなのだろうか。一体この子は、何者なのだろう、と英治は考えた。


 ゆかりは千円札を持って、隣の部屋から現れた。

「ありがとうございました。おかげさまで無銭飲食をしないですみました」

 そう言いながら、ゆかりは英治の手のひらを開いて、そこに千円札を押し込んで、無理に握らせた。まるで英治が、受け取りを辞退することを前提としているかのようなゆかりの行動だった。

「ありがとう。まあ、くれぐれも気を付けてね」

「ところで、あの、この後、お時間ありますか」

「えっ、なんで」

 と英治は少しドキリとした。可愛らしい女の子にこんなことを尋ねられて、悪くない気持ちだった。

「お時間があるのならもう少し一緒にいてほしいんです。わたし、白月浜でずっと独りぼっちだったんです……」

 とゆかりが寂しげな表情を浮かべ、意味ありげに微笑むので、英治は無性にドキドキと胸が高鳴ってしまった。そして、いやいや自分には大切な人がいるのだ、ともう一度、赤沼麗華のことを思い出した。ああ、彼女はどこにいるのだろう、彼女と上手くいくのだろうか、と英治は悲しくなった。


 いずれにしても、目の前のゆかりの寂しげな眼差しに見つめられている限り、彼女を一人ここに置いて出てゆくこともできなさそうだと思った。なにか訳ありな空気を感じる。

「うん。僕でよければ……」

「ありがとうございます。ここは散らかっているから、一緒に外に行きましょう」

「うん。でも、目的地はあるのかい?」

「そんなものはありませんよ」

 英治は、ゆかりのなんだか遠慮のない言葉の数々に、変にぎこちなくなる。

「室生さん。あなたとわたしが出会ったのは、きっと何かの運命です。わたし、そんな気がします」

「運命って……」

 英治は、その言葉に恋愛めいた匂いを感じ、ますます緊張してきた。

「運命と言うのは、つまり、僕と君が、その……」

 英治の妄想は艶っぽいものとして膨らみすぎて、もう訳が分からなくなってきた。誘惑的な気がして、英治は一人で焦った。その気持ちの打ち消しに必死になっている英治は、この少女がもつ寂しげなオーラに惹かれ、気持ちを分かってあげたくなって離れることができなくなった。

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