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9 英治の気持ち

 室生英治は、魚の匂いのする賑やかな商店街を一人で歩いていた。あたりを眺めると、さまざまな海産物が店頭に並べられている。魚の銀色の肌が輝いていた。観光客の姿も陽に当たって、いやにはっきりと見えた。ちょうど昼頃なのだ。


 しかし英治は寂しい気持ちで胸が一杯になっていた。今こうして、とぼとぼと海鮮丼の食べられる店を探していても気分は一向に優れなかった。

(すみれさんは、なぜあんなにも怒ってしまったのだろうか。自分がそれほどの失言をしたとも思えないけど……なにか、すみれさんのコンプレックスに触れる発言をしてしまったのだろうか。まさか海鮮丼を食べたいと言ったせい……。でも、海鮮丼には何の罪もないはずだ。海鮮丼に何の恨みがあると言うんだ。理由はどうであれ、このままホテルですみれさんと再会しても、すんなりと仲直りできる気がしない。もちろん宿泊する部屋は、男女で違うから気まずくても何日か過ごせないことはないけど……。しかし、まあ、気まずいままなんて最悪だな。ちゃんと謝るべきだろうか。それも火に油を注ぐことになるかもしれないけど)

 くよくよ考えているうちに、その通りの尽きるところまで到達してしまい、英治は来た道を引き返した。


 ここは白月浜の主要な観光スポットのひとつである白月浜商店街だ。近くの港から水揚げされたばかりの海産物を売る店がずらりと軒を連ねていて、いたるところに幟が立っていて「海鮮丼」や「寿司」の文字が見えている。

 露店には、つみれを煮込んでいる鍋や、浜焼きも見えている。どんな人間でも食欲の湧くような商店街の中で、英治だけは一向に食欲がわかなかった。英治は幽霊のような足取りで歩いている。


 英治は堪りかねて、携帯を取り出し、すみれにメールで謝罪すべきか悩んだ。しかし、もっと事態が悪化しないものかと不安だった。

『ごめんね』

 と文字を入力して、何を謝っているのか自分でも分からず、またその文字を消した。

 この事態を祐介に連絡すべきか。しかし大事になることを英治は恐れた。


(それにしても、なぜ、こんな旅行の同行を引き受けてしまったのだろうか。最悪じゃないか)

 だんだん、英治は不機嫌になってきた。自分はこんなにも理不尽な目にあっているのにも関わらず、まるで罪人のように、ずっと後悔と反省ばかりしてきた。だけど本当に自分のせいだけなのだろうか。そもそもどんな理由があれ、人にあんなにきつく当たってよいものか。そこには八つ当たりの感情があったんじゃないのか。もっと言い返してやればよかった、そう思うと英治は悔しい思いがした。先ほどまで理由もわからずに謝罪しようとしていた自分の芯のなさ、情けなさにも腹が立った。

 そうして彼は、息が詰まるような思いで、人混みの中をさまよい、押し流され、人にぶつかりながら、立ち止まることもできずに、ついに一軒の店の中に入った。


 その店は、海鮮丼の「みよし」という。

 入ると左側にカウンターがあり、右側にお座敷があった。観光客で混んでいた。英治はいらっしゃいませの声も聞こえずに、ぼうっとしていると、エプロン姿の女性店員がでてきて、右側のお座敷に案内された。

 英治は席につくと、渡された煎茶を一口すすり「海鮮丼」と告げた。

「大盛りにできますよ?」

 英治はエプロン姿の店員の笑顔を見て、首を横に振ると、

「並で……」

 と言った。


 英治は、並といったことが惨めに感じられた。大盛りを食べる予定だったからだ。店員の遠ざかる後ろ姿を見て、ああ、やっぱり大盛りにしてもらおうか、などと後悔するうちに、かえって胃が痛くなってきた。

 しばらくぼんやりとしていると、店の中に一人の女性が入ってきた。身長が高く、目鼻立ちのはっきりとした美しい顔つきの、まるで宝塚歌劇団の男役のような、きりっとした印象の女性なのだった。

 続いて、エプロン姿の女性店員の申し訳なさそうな声が聞こえてきた。

「今ねえ、混んでるんですよ」

「満席ですか」

「ええ。相席でよければ、すぐにご用意できますけど。でも、あの男の人の席になりますけど、それでもいいですか?」

「ああ、大丈夫ですよ。お気になさらず」

 相席か、そうなるのか、と英治は盗み聞きしながら、慣れぬことに鳥肌が立つような気がした。

 そうして女性はつかつかと英治のもとに歩み寄ってきて、

「お隣、いいですか?」

 と尋ねた。


「あ、はい。大丈夫ですよ」

 女性はさっと座り、ベリーショートの茶髪をさっと撫でた。そして英治の浮かない表情をちらりと見るなり、

「観光ですか?」

 と尋ねてきた。

「え、ええ」

「それにしちゃ、あまり楽しくなさそうですね……」

「いえ、ちょっと一悶着ありましてね」

「そうですか。一悶着ね。でも、あまり考えすぎないことですよ。人生に失恋はつきものですからね」

 いきなり決めつけないでくれ、と英治は思った。

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