7 懐かしい場所
止まらなかった涙が一瞬で引いた。
「ちょっ……」
何故彼がそこに居るのか。緑チェックのシャツを羽織った私服姿。
見てしまった事を後悔する顔だ。
しかし、ゆっくりとそこを離れた修司がそのまま見逃してくれたと思ったのも束の間、あろうことか彼は店内に入り、芙美の所にやってきた。
芙美はひりひりと腫れた瞼をもう一度強く擦り、後ろに立つ修司へくるりと椅子を回す。
「何してるんだ? 一人で」
「お昼ご飯……です」
初めて交わす言葉。羞恥心に顔を上げる事ができず俯く芙美に、修司は「そうか」と辺りを確認する。
「でも、何でもないから気にしないで。大丈夫だから」
「……強がれるなら平気だな」
心がチクリと痛んだ。
同じクラスで寮生、けれど声の記憶すらないほどに遠い存在だった彼に助けられた。
「ありがとう」
「別に何もしてないし」
少しだけ落ち着いて顔を上げると、無愛想な修司がうっすらと笑っているように見えた。
「く、熊谷くんは、買い物か何か?」
「散歩」
「散歩……なんだ」
一人で町の散歩とは意外だ。
「そういえば、アンタ名前何だっけ?」
学校で何度も繰り返した自己紹介。
彼はずっと外を見ていたから聞いていないとは思ったが、それでよく泣いている芙美に気付いたと感心してしまう。
「有村芙美、です」
もう一度自己紹介。彼を真似て名前だけ言うと、修司は「覚えとくよ」と笑った。
「じゃあ、また寮で。もう泣くなよ?」
そう言って、修司はさっさと店を出て行ってしまった。
あまりクラスの輪に入らず、孤独でニヒルな男子だと思っていたが、他の男子より落ち着きがあると言ったほうがしっくりくるような気がする。どこか大人びていて、何故か父・和弘を思わせた。
彼の背中が小さくなっていくのを見送って、芙美は再びテーブルに向き、冷めたハンバーガーを頬張る。
隣の客が入れ替わって、サラリーマン風のスーツ姿の男がコーヒーを飲んでいた。苦味のある香ばしいその香に、芙美は記憶の風景を垣間見る。
大魔女が力を与えた魔法使いは五人で、芙美と類、弘人以外に女子が二人居た。その一人・粟津咲の祖父が経営する喫茶店に、何度か皆で集まった事がある。
あそこが仲間への手掛かりになるかもしれない――そう期待を膨らませるが、思い浮かぶのは店内の風景ばかりで場所どころか店の名前すら浮かんでこない。
「どこ……だったかなぁ」
テーブルに頬杖をついて、芙美は唸った。
住宅地の中にある、常連客しか来ないような小さな喫茶店だ。コーヒーの匂いが店いっぱいに漂っていて、白髭のマスターがいつも甘いカフェオレを出してくれた。
高校生の町子は、自転車でそこに行っていた。家から少し離れていて、暗くなると弘人が「女の子一人じゃ危険だから」とやたら心配して家まで送ってくれた。
「どこだったかなぁ」
頭を捻るが、記憶の風景が店から中々抜け出す事ができない――けれど。窓に、小学校の校舎が映った。
「そうだ!」と閃くように蘇る小学校と、その脇の高架線を走る電車の風景。芙美は飛びつくようにスマートフォンを握って地図を開くと、駅からの線路を辿った。
町子の家とは反対方向。駅から二キロほど南下した線路脇に小学校を見つける。
まだ時間は二時前。五時過ぎの電車までに駅に戻れば、六時半の夕食に間に合う事ができる。
芙美は残りのハンバーガーと手付かずのポテトを頬張り、少し薄くなってしまったコーラを流し込んだ。