6 偶然そこに
(加代……?)
近所に住んでいた、町子の幼馴染だ。
昔より少しふくよかになって眼鏡を掛けているが、目尻の黒子が記憶を蘇らせる。
懐かしさが込み上げるが名乗る事はできず、芙美は斜めに提げた鞄の紐を両手でぎゅっと握り締めた。
「佐倉さんの知り合いで」
「夏樹くんの? そうなんだ」
芙美が頷くと、加代は身体を回して家を仰ぎ見た。
「夏樹君が大学に入る時、引っ越してしまったの。その後にウチがここに来たから」
加代は神妙な面持ちで視線を返し、「ごめんなさい」と謝る。
「その後の事は、詳しく聞いていないのよ」
申し訳なさそうにする佳代に、芙美は「気にしないで下さい」と両手を胸の前に広げた。
大学入学と言えば七年前だろうか。大好きだった町子の家があった場所に住んでいたのが、彼女で良かった。建物は無くなってしまったが、嬉しいとさえ思ってしまう。
「ありがとうございます」
そう頭を下げ、芙美は坂を下りた。手掛かりはないけれど、望みが消えたわけではない。
☆
一度駅に戻って、今度こそ弘人の家へ向かう。
調べた通りのバス路線。少しずつ変化した町並みをしばらく眺めていると、大きな貯水池に記憶が蘇ってきた。
バスを下りて、細いカーブを入り込んだ奥に、予想通りの大きな家があった。
緩い坂に並ぶゴツゴツした石垣の溝を、指でなぞった事がある。変わらないなと手を這わせて、芙美は閉められた門の前で、大きく息を吸い込んだ。
興奮しているのが良く分かった。あのまま生きていてくれたら、彼は今三十一歳だ。
「こんにちは……じゃなくて、久しぶり! ……違う。えっと……別の人が出て来たら、どうしよう」
寸劇でもしているかのように一人小声で呟きながら最初の言葉を探すが、テンポの速い心臓の鼓動がそれらをポンと打ち消してしまう。
とりあえず会ってから決めようと決意して門の横にある小さなインターホンを押すが、遠い位置で響いたブザーは住宅街の静かさに掻き消え、シンと静まり返ってしまった。
彼に会いたくてここに来たのに、少しだけホッとする自分に気付いて、芙美は呆れて頭を押さえた。
☆
昼過ぎの駅は予想以上に混雑していた。
駅ビル内のファーストフード店に入り、お昼を食べる。一応『お嬢様』なのだが、基本自由主義な都子の教育方針と町子のお陰で、こんな場所での一人ランチも御手の物だ。
特に成果が上げられないまま予定が全て消化されてしまい、八方塞の状態。
窓際のカウンター席で道行く人の流れを見つめながら、ぼんやりとハンバーガーを食べている自分が虚しく感じる。
今頃弘人に会えて、懐かしさに浮かれている自分を想像していたのに。
ここは、町子が弘人と歩いた町だ。二人の思い出がありすぎて、ガラス越しに通り過ぎていく恋人たちを妬ましいとさえ思ってしまう。
急に目頭が熱くなって慌てて鞄を開くが、タオルやハンカチを忘れてしまっていた。
困った果てに芙美は手の甲で涙を拭う。それでも、とめどなく流れる滴がトレーを濡らした。
通り行く人々が芙美に目を向けるが、足を止める事はない。席の左右に座る客も視線を逸らすように身体を外側に傾けた。
同情や優しさを求めたいわけではない。だから早く涙を止めたいのに、我慢しようと思う程、それは意思を反して流れ続ける。
ぐっしょりと濡れた袖を瞳から離すと、ふと窓越しに視線がぶつかった。
芙美が一気に頬を赤く染めたのは、その相手が『ニヒル』なクラスメイト、熊谷修司だったからだ。