47 過去と今
『奴』に会った不安と恐怖で一睡もできなかったらどうしようという心配は、呆気なく杞憂に終わってしまった。
泣き疲れたせいで、安定の七時間睡眠だ。
定番のラブソングが流れる中、メグに肩を揺すられて芙美はようやく目を開く。
「おはよう……」
まどろんだ意識に、メグが「頭ぐしゃぐしゃだよ」と慌てる姿が飛び込んでくる。
「早く起きて! 芙美ちゃんにお客さまだって。ミナさんが談話室に来るように、って」
「こんな早くに誰が来たって言うのよ。お客様……って?」
お客という言葉に眠気が一気に抜けて、芙美はがばっと上半身を起こした。
昨日のダムの記憶が目覚めの悪い脳みそを刺激して、弘人と薫の可能性を掻き立てる。
しかし詳しく話を聞くと、客は一人だという。
「さっき階段から少し見えたけど、メガネ掛けたショートカットの綺麗な女の人だったよ」
とのこと。しかし、ショートカットの女性に心当たりはない。
「誰だろう」と頭をひねりながら、芙美はゆるゆると制服を着こんだ。「ほら早く」と急かしながら、メグが寝癖だらけの髪をセットしてくれる。彼女渾身の『今日の髪型』は、耳位置のツインテール、赤リボン付きだ。
足早に階段を下りる。
談話室の扉を叩いて返ってきた声に、芙美はあれと眉を寄せた。
「咲ちゃん?」
彼女の声だと確信してドアを開ける。しかし、中に居たその姿を見て芙美は仰天した。
「ええええっ! どうしたの? その髪!」
髪がなくなっていた――もとい、昨日まであったストレートロングの髪が、ばっさりとなくなっていたのだ。これは十六年前、町子が生きていたころの咲を彷彿とさせる、赤ブチの眼鏡にショートカットの懐かしい姿だ。
「あの後思い立って、友達の美容室でさ。どう? 似合う?」
「似合うよぉ! ビックリしたけど。昔に戻ったみたいで可愛いよ」
「良かった。ほら、長いままだと邪魔だし、薫と被るだろ?」
「そんなことないよ。タイプが全然違うし。それより昨日は何もなかった?」
「あぁ。怖いくらい静かだった。逆に心配にもなるけど、お陰で間に合った」
咲はソファの上に置かれた紙袋に両手を入れて、そっと中身を持ち上げた。ふわふわと現れた大量の白い布とレースに、芙美は「わぁ」と歓声を上げる。
「魔法少女は、このくらい着とかないとね」
どうぞ、と渡されて芙美は目を輝かせる。真っ白なレースやフリルがたくさん付いた、フリフリのワンピースだ。
「すごい、もしかして咲ちゃんが作ったの?」
「プロじゃないから見えないトコとか怪しい縫製があるけど、頑丈には縫ってあるから。サイズ合わなかったら直すから着てみて」
咲は謙遜してそう言うが、裏返した所の縫製も素人目には全く問題ない。
「こんなの作れるなんて、器用すぎるよ。ありがとう。咲ちゃんの分もあるの?」
「まさかぁ。こんなの着れるのは十代の魔法少女だよ。着せ替え人形の趣味に付き合うと思って着てくれれば、私は満足なんだから」
「今の咲ちゃんだって似合うと思うよ?」
素直にそう思ったが、咲は手を横に振りながら大声で笑って「ほら」と服を勧めた。
芙美はワンピースを目の前に広げて眺めてみる。
町子が着ていたのは、確かコスプレ好きの咲の友人が作ったものだった。デザインはその時と少し違うが、リボンやフリルがふんだんに付けられたお姫様のような服は、それだけで興奮してくる。
「じゃ、着てみるね」と弾む足取りで芙美が部屋中のカーテンを引いてドアの鍵を閉めると、咲は「どうぞ」と背を向けた。
「昨日は眠れた?」
「うん――たくさん眠れたよ」
魔翔の話をしようかためらって、けれどすぐに自分の中では『言わない』と結論付けた。
取引はしない、大丈夫、と自分に言い聞かせながらワンピースの袖に手を通す。
「なら良かった。最善のコンディションで挑みたいからね」
「そろそろ、なのかな」
いつ始まってもおかしくない。覚悟は決めているつもりだ。
「あぁ、今日だと思う。どうせなら放課後まで待ってほしいけど、そういうわけにはいかないかな。ミナの居場所はバレていないと思うけど、きっと来るよね、あの二人なら」
「そう――だよね」
「昨日二人の力を見て、改めて思った。もう、どこに隠れたって嗅ぎ付けてくるよ。だから、ここで待ってて良いと思う。異次元を作って、私が死なない努力をすればいい――ね?」
咲の作る異次元が頼りだ。例えここで戦闘になっても、外への被害は防ぐことができる。
「あの二人の目的は、一般人を殺すことでも町を破壊することでもなくて、ミナを魔翔に捧げることだからね。無理矢理ここに攻撃を掛けてくるわけじゃないよ、きっと」
「きっと」と繰り返して、咲は肩越しに芙美を振り返り、にっこりと微笑んだ。
「あと、一つ言っとかなきゃな」
そして、諸連絡でもするかのような軽い口ぶりで、突然咲は告白した。
「私、類が好きだったんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
あまりにも唐突に言われてしまい、きちんと理解しないまま返事してしまった。視線を返して五秒ほど過ぎてから「ええっ」と叫んで、背中のファスナーが開いたまま咲に向く。
「えっ? 修司?」
「修司じゃないよ。あくまでも、類。彼のことがね――って、恥ずかしくなるからあんまり聞かないで」
咲は照れながら短くなった髪を撫でる。
髪を切ったのは、彼のことも関係しているのだろうか。
「昨日ね」と呟きながら咲は芙美の後ろに回り背中のファスナーを上げると、撫でるようにスカートのフリルを整えた。
「薫に聞かれたんだ。芙美や修司に付いてるのは、類のことをまだ好きだからなんじゃないかって。でも違うって答えたし、そうではないんだよ。私はこっちが正しいと思って居る。それだけのことなんだよ」
「う、うん。咲ちゃんがいてくれるのは心強いよ」
渡されたニーソックスをはくと、咲は「似合う似合う」と手を叩いた。照れ臭いなと思いながら、芙美は壁の鏡で確認する。
さっきまで着ていた制服よりスカートの丈が大分短めだ。全体の白に、メグに結んでもらったリボンの赤がよく映えていた。
「ねぇ咲ちゃん、修司はそのこと知ってるの?」
「まさか。ちゃんと告白したわけじゃないし。芙美に似てアイツ鈍感だからね」
そう言って咲は、芙美の前に回り込んで両肩に手を乗せた。
「だからもし芙美が修司を好きになったら、私に遠慮はしないんだよ?」
昨日ミナに同じセリフを言ったばかりだった。
「これだけは言っとかなきゃ、って思って」
遠慮してるのは咲のほうなんじゃないか、と思ってしまう。町子の時から今まで彼女の気持ちに気付いてあげることができなかった。
「私は――どうなんだろう」
素直にそうだと思えれば良いのに、と思ってしまう。過去への想いに咲は色々な決断をしたのだと思うのに、自分はまだまだ弘人への気持ちを切り捨てることができない。
「ごめんね、咲ちゃん。私はまだよくわかんないよ」
修司が嫌いなわけではないのだ。いつも側にいて「守る」と言ってくれた彼の真意は、「仲間だから」なのではないかと解釈してしまう。
「人を好きになるって、そういうもんだよ」
咲が時計を確認すると、六時四五分を指していた。食堂が開く時間で、ドアの向こうが騒がしくなってくる。
「朝食の時間かい。ごめんね、早く来ちゃって。でも、早い方がいいと思って」
「うん。咲ちゃん、ありがとう」
この格好のまま食堂には行けない。芙美はとりあえず元の制服に戻ろうと首のファスナーに手を掛けるが、まさにその瞬間『奴』の音が耳を貫いた。
気付いたのは咲と同時だった。
キンと鳴る耳鳴り。それもいつもの比ではなく、脳天を突き刺すような鋭い音が響きだした。




