46 町子
「まだ眠れないの?」
そうメグに聞かれてから、既に一時間以上経ってしまった。
疲れているはずなのに、布団の中で目を閉じても全然眠気が下りてこなかった。眠ろうとすればする程意識がはっきりしてきて、芙美はベッドから下りて机のライトを点けた。
メグが可愛らしい寝息を立てているのを横目に、芙美はベッドに座り、枕元に置いた魔法使いの杖を両手に握りしめた。
次の戦闘で今度こそ前に出ることはできるだうか。足手まといからの脱却――自分の行動のせいで悪い結果を招くことは避けたい。
『だから、私が強くしてあげるよ』
突然耳に入ってきた声に、芙美は「えっ」と耳を疑った。部屋には自分とメグ以外、誰もいないはずだ。
けれど確かにその声は聞こえた。
知らない女の声。
恐怖に声を出すことができず、うつむいたまま芙美は口をパクパクとさせる。すぐそこに何者かの気配を感じるのに、顔を上げることができなかった。
一瞬幽霊かと怯えて、そんなわけはないと自分を奮い立たせる。
「――誰?」
メグを起こさないように小声で尋ね、返事を待った。
魔翔ならいつものようにキィキィ鳴いて出てくるのだろうか。いや、沸いてから時間が経過しているのなら、声や爆音が聞こえなくても不思議はない。それに芙美が耳にしたのは音ではなく言葉だ。
けれど、例外はある。
――「魔法使いは意識が弱まると、魔翔の声が聞こえるんだ」
その言葉を思い出した途端、身体がガクガクと震え出す。
「どうして――」
その時が来たというのか。疲れのせいで聞き間違えたのかもしれないと自分を宥めようとすると、タイミング悪く声が返ってきた。
『怯えなくていいよ。私が守ってあげるから』
弱みに付け込んで、『奴』は優しい言葉を掛けてくる。けれどそんな言葉の中身よりも、相手の声に芙美はハッと目を見開いた。
深く沈んでいた記憶の断片が、フワリと浮かび上がった気がした。
知ってる声――恐らく、間違いない。
何故? と問い掛けるより早く、顔を起こして『彼女』を確認していた。
黒い魔翔――目がなく白い口。
いつも出て来る魔翔の定義に当てはまるのに、それは獣ではなく人型で、芙美の知っている人物の形を模している。
『大丈夫、怖くないから』
中学校の合唱祭に、問答無用でアルトにさせられたコンプレックスの低い声。横から見える丸い鼻、そして羨ましいほどのサラサラストレートロングの髪。
「町子――なの?」
戦う事に何のためらいもなく、自分に素直だった佐倉町子だ。
「どうしてそんな身体をしているの? 町子は私。町子は死んだんだよ?」
彼女はもう死んでいる。
肉体は焼かれ、魂は芙美として生まれ変わっているのだ。
『そう、町子は死んだの。だから町子は貴女じゃない。貴女は有村芙美でしょう? 私は貴女を助けたくてここに来たの』
それが彼女である訳はないのに。平然と言い放つ黒い町子は、『さぁ』と白い唇の端を上げて手を差し出してくる。
この手を取ったら楽かもしれない。心に響く心地よい言葉だ。
類も弘人も、この言葉を聞いたのだろうか。
「その手は取らない。町子にそっくりだけど、町子は私だから。貴女じゃない」
手を取るまいと、芙美は両手を腰の後ろへ隠した。
『強がることないよ。どうせ戦ったって、貴女はみんなの邪魔になるだけ。15年もブランクがあるんだから仕方のないことなのよ』
「そんなの、わかってるよ。でも……」
『言うこと聞けば、薫より強くなれるよ』
なんて魅力的な言葉だろう。誰よりも強くなりたいとずっと思っていた。
けれど、まだ自分は正気だ。
強い視線で魔翔を睨むと、
『弘人も喜んでくれるよ?』
奴は巧みな返事を返してくる。
弘人の名前は少しだけ自分を弱くする。けれど――。
――「気を付けてね」
これは都子を泣かせてまで選んだ道だ。
「嫌だ。私は取引なんてしない!」
挑むように声を荒げた。すると、
「ん? 芙美ちゃん……?」
寝ぼけた声のメグが少しだけ起き上がり、芙美はすかさず「ごめん、何でもないよ」と謝って、彼女に背を向けて無言で魔翔に構えた。
右手の杖は、いつでも発動可能だ。
精一杯の強さを表す。弱みを見せなければ魔翔の声は聞こえないはずだ。
頑固とした意思を前に、魔翔は白い口をにやりと曲げて、霧散してしまった。
良かったと安堵して、芙美はその場にぺたりと座り込んでしまう。
本当にこんなことがあるのか――と、自分の弱さに涙が出てくる。
強くならなければ、すぐにでも彼女に飲み込まれてしまいそうだ。
「ダメだな。こんなトコで泣いたら、また町子が来ちゃうよ」
再び目を閉じたメグを一瞥する。芙美は枕元に置いてあったタオルを強く目に押し当て、「強くなれ」と呪文のように何度も唱えた。




