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42 彼を走らせる衝動

   ☆

 翌日。前日までの雨も上がり、放課後には校庭のぬかるみもすっかり乾いていた。

 魔法使いに戻った最初の登校で、芙美は一つ忘れていたことを思い出す。

 魔翔は魔法使いに沸くということだ。


 授業中にふと魔翔が沸いて、修司が威嚇(いかく)して追い払った。それは芙美に沸いた小さいものだったが、その場で戦うこともできず、放課後再び襲ってきた魔翔を校舎裏の隅で、修司が片付けた次第だ。


「ちょっと懐かしいって思っちゃった」

「何呑気なこと言ってんだよ。ほら、祐の応援に行くんだろ?」


 杖をズボンのポケットにしまい、修司が校庭へと足を向けた。

 陸上部の使っているグラウンドには、既に見慣れない紫色のジャージを着た集団が集まっていた。

 その中に、懐かしい茶色のセーラー服を着た女子が混じっている。強豪校同士の合同練習のせいか、見学者も多かった。

 メグの姿もあったが、芙美はあえて少し離れた場所でその様子を見守った。


 軽いウォーミングアップの後、それぞれの競技が始まる。

 短距離が始まって数人目。あっという間にスタート位置に祐の姿が現れた。隣に並んだ篠山の選手がその人であると、メグの表情を見てすぐに分かった。


 相手の彼は背が小さめの筋肉質で、スラリと背の高い祐とは大分タイプが違っていた。

 パン、と空に向けられたピストルの音で走り出す二人。


「いけ、祐!」


 何も知らない修司は、張り切って声を上げる。


「祐くん! がんばって」


 湧き出す声援の中で、メグの声が一際響いていた。

 二人はほぼ真横に並んで走っていたが、メグの声に答えるようにラストのコーナーで祐が追い抜いてゴールへ飛び出た。


「すごい、野村くん!」


 芙美まで興奮して、鷲掴みにした修司の腕をぶんぶんと揺さぶる。

 勝者の祐を称えて歓声が高まる中、ふと校庭の隅で別の声がざわめいた。


「何かあったのか?」


 声の方に目を向けても答えはハッキリしなかったが、校舎の側に居た生徒たちがグラウンドに背を向けている。

 芙美が視線を止めたのは、その奥――ふと見上げた先に白衣姿の夏樹が寮までのなだらかな坂を全速力で駆け上っていく姿が見えた。


「ミナになんかあった?」


 昨日のメグの言葉が蘇る。


 ――「夏樹先生ってミナさんの事好きなんじゃないかな」

 ふと沸いた嫌な予感は、そのまま現実となってしまう。ミナが突然倒れたのだ。


   ☆

「ミナさん!」


 ヤジ馬たちを掻き分けて、芙美と修司は寮母室へ駆け込んだ。

 部屋の中にはベッドに横になったミナと白衣姿のままの夏樹がいるだけだ。


「コラお前たち、生徒は勝手に入ってくるなよ」


 夏樹は二人を外へ追い出そうとしたが、ミナが「この子たちは構いません」と二人を迎えた。

 不本意な表情を(にじ)ませつつも、夏樹は素直に「そうですか」とベッドサイドの椅子に腰を掛ける。


「二人とも驚かせちゃってごめんなさいね。少し寝れば平気だから」


 いつもよりトーンの落ちた声で謝るミナ。上半身を起こそうとするのを夏樹に阻止されて、枕へと頭を誘導された。


「駄目ですよ、寝てて下さい」

「佐倉先生も、すみません。わざわざ来ていただいて」

「俺の事なら気にしないで下さい。保健の原田先生を呼んであるので、すぐに来てもらえると思います」


 突然自分にふられて、夏樹は頬を赤らめながら逃げるように洗面所へ行った。そして用意してあった洗面器の氷水で解熱用のタオルを絞って戻ってくる。

 ミナに一言「すみません」と断りを入れてから額へ乗せるところが、姉の目には初々しく映ってしまう。彼の気持ちがメグの言う通りなら、それはどれだけミナに届いているのだろうか。


「ありがとうございます。久しぶりに色々してしまったから、疲れちゃったのかも」

「無理しないで下さいね。私たちにできることがあれば言ってください」

「わかってる。ありがとう、芙美。修司も」


 寝たままの状態でうなずくミナは、小声ながらも嬉しそうだ。

 そんな時、修司のポケットで着信音が鳴った。古風な黒電話音が静かな部屋に響く。


 画面を見た彼の眉間にぐっと皺が寄る。何となく予感がして芙美が覗き込もうとするが、修司は「すみません」と断り、素早く部屋を出て行ってしまった。

 彼を追った視線が扉で遮断されてしまい、仕方なく部屋へ戻すとミナが芙美を見つめていた。


 夏樹がいるせいで詳細を話すことはできないが、彼女も同じ予想をしているのだろう。

 芙美は、スカートのポケットに入った杖を布の上からそっと確認した。


 修司はすぐに部屋へ戻ってきた。入って早々、夏樹を無視した報告をする。


「芙美と二人でダムに行く。他の二人が会いたいって言って来た」

「ダム……」


 緊張が走って芙美はぐっと背筋を伸ばした。あの日以来ダムには行っていない。


「ダム?」


 そしてそれは、夏樹の前で触れてはいけないワードなのだ。


「ダムって何だ? ダムに行くのか?」


 夏樹は昔、高校生の姉を亡くしている。

 ダムで絶命した町子。みるみるうちに彼が困惑の表情を見せた。


「えっと……違うのよ。これは……」


 芙美がうまく説明できずに慌てていると、


「ミナさんはここで休んでいてください」


 修司が早口にそう伝えて、「行くぞ」と芙美を促した。


「おい、お前たち」


 手で阻もうとする夏樹への手段なのか、ミナは彼の左手をぎゅっと握りしめた。

 「ミナさん……」と頬を更に紅潮させた夏樹は、もはや骨抜き状態だ。大魔女ながらにしての、魔性の女である。


「二人とも、無茶しちゃだめよ?」

「はい」


 二人同時に返事する。そして芙美は険しい表情の夏樹を呼んだ。


「夏樹、ミナさんを守ってあげて!」


 芙美の言葉に夏樹は一瞬驚いた表情を見せたが、それを払いのけるように声を荒げた。


「わかってるよ!」


 ふんっと背を向けた夏樹が小さい頃の面影と重なって、芙美は思わず吹き出してしまった。



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