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39 記憶にはない記憶

「何で、忘れてたんだろうね。こんなにハッキリ思い出せるなんて」


 寮の敷地へ少しだけ車を移動させて、咲はエンジンを切った。


「傘は後ろに積んであるよ」


 そう伝えた本人は、傘もささずに雨の中を駆けていく。

 次に下りた修司が傘を下ろそうとするのを「平気だよ」と遠慮して、芙美は水溜りを避けながら軒下へ走った。


 三人を前にして、ミナは「おかえりなさい」と笑顔で迎える。

 咲はまじまじと彼女の顔を見つめて、大きく頷いた。


「そうだよ、アンタだよね」


 返事の代わりに微笑むミナ。修司はその前に出て、眉をひそめる。


「ずっと知ってて、俺たちを見てたのか」


 二人がそんな言葉を投げる相手がミナであることが、芙美には不思議でたまらなかった。記憶が戻らない芙美にとって、彼女は寮母のミナでしかない。

 ミナは吸収するように二人の言葉を受け止めて、「そうね」と呟いた。


「本当はまだ隠してるつもりだったんだけど、こんなに早く芙美が復活するなんてね」


 うっすらと笑んだ瞳を険しくさせて、ミナは三人を見渡し、


「空気の流れが良くないの。とりあえず話は長くなりそうだから中に入った方がいいわね」


 と、戸口へ身体を向けてしまう。

 芙美は他の二人と視線で合図し合って、小さく頷いた。ごくりと飲んだ息を苦しく感じる。

 濡れた髪から水が滴るのを手の甲で拭うと、咲がハンカチを差し出してくれた。


「ありがとう」

「いいんだよ。それより大魔女、一つ聞いてもいいかい? アンタは今何歳なんだ。私たちが魔法使いになったのは、もう十六年も前の事なのに、今の姿は私より幼く見える。人間じゃないのかい?」

「人間じゃない、ってのは語弊があるけど。貴女の言っている人間の定義からは離れていると思うわ」


 三人に背を向けたまま、ミナはそう返事すると、「長生きしてるのよ」と加えて、扉の向こうへ入って行った。


 荷物を咲の車に積んだまま三人は寮の中に入り、一階の奥にあるミナの部屋へ入った。

 日曜日の浅風寮は、雨のせいか人の気配を多く感じる。昼食時を過ぎたばかりのカレーの匂いが漂う中、上階の賑やかさが下まで届いていた。

 部屋に入ってそれは若干遠のいたが、時折響く足音が、ここは寮の中だよと主張してきた。


 初めて入る寮母の部屋は、芙美の部屋とは間取りが大分違っていた。シャワールームの付いた、二間続きの広い部屋だ。

 ソファの置かれたリビングと、奥の部屋にはベッドが見える。家具の一つ一つが新しいものではなく、落ち着いた木目で纏められていた。


「前の寮母さんが使っていたものを、そのまま使っているのよ」


 物珍しそうな顔で部屋を見渡す芙美にミナは説明して、「風邪ひくと大変よ」と籐の引き出しから取り出したタオルを三人に渡し、ソファを勧めた。

 咲は頭からタオルを掛けてソファに座ると、うつむいたままボソリと口を開いた。


「そうやって優しくされても困るよ。私は魔法使いになったことを後悔してるわけじゃないから、アンタに恨みはない。けど、どうして今まで記憶を消してたのに、このタイミングで戻したのかを知りたい。アンタは説明が少なすぎるよ」


 三人が並ぶソファの向かいに腰を下ろして、ミナは「そうよね」と呟き、掌を軽く組んだ。三人に視線を送り、最後にテーブルに視線を落としたままその話をする。


「記憶を消したのは、貴方たち五人が魔法使いになったら、私なんていらないからよ。私にはもう戦う力が殆どないわ。だから、一緒に戦えるわけじゃないし。私を必要とする時なんて、貴方たちが魔法を放棄したいと思うときじゃないかしら」

「それだけじゃないよ。もっと教えて欲しいことは色々あった。アンタは私たちを魔法使いにして、あとは勝手にしろって捨てたようなものじゃないのかい?」

「そう取られても仕方がないわね。確かにそうよ。私自身、類や今の弘人と一緒。自分の運命を呪って、魔法から逃げたかったから」


 ミナは身体を起こし、静かに頭を下げた。修司が強く唇を噛んで、苛立った声を上げる。


「だったら、大魔女が死ぬと災いが起きるっていうのは本当なのか? 自分に力がないから、死を警戒して記憶を消したのか?」

「魔法使いが自らの死を望むことも含めて、私という切り札を遠ざけたかったのよ。力を失くした私でも、この肉は魔翔にとって格別の味らしいわ。私の肉を食べた魔翔は、他とは比べ物にならない力を得る――人間にも害を及ぼすような、ね。私が死ぬってことは、貴方たちの力もなくなるということ。魔翔を倒す人がいなくなれば、奴等の思う壺よ。人間にとっての災いが起きる」

「じゃあ、町子のしたことは正しかったんだね」


 横から覗き込んできた咲に、芙美は「う、うん」と頷いた。本当にミナは大魔女なんだなと思いながらも、まだ実感が沸かなかった。自分も早く思い出さねばと焦ってしまう。


「でもね、修司。あの日私はダムに居なかったのよ。確かにあの近くに隠れていたこともあったんだけど、貴方たちに力を託してからは、魔翔も沸かなくなったから山を下りたの」

「あの日の類の衝動は、無駄だったってことか」

「そんなに自分を悲観しないで。力を持っていれば誰にでも起こりうることよ。私は力がない分、感覚だけ敏感になっちゃってね。ここで働くようになったのは本当に偶然だったのよ。まさか転生した貴方達が来るとは思わなかった。それでね、考えたの。類や町子の悲劇をまた生まないためにも、私はもう逃げちゃ駄目だって。それで記憶を戻したのよ」

「そういえば……覚えてるよ、確か」


 咲がハッと顔を起こした。開いた口が何か言いたげに動いて、もう一度「そうだよ」とミナに告げた。


「アンタは言ったんだ。私たちに、強くなるな、って」


 「そうね」とミナは薄く笑む。


「貴方たちと魔翔がお互いに強くならないように。覚えててくれたのね」


 そうだったんだ、と芙美は眉をひそめる。そんな言葉すら覚えていない。

 横目に見る修司は、じっとミナを見つめていた。彼は記憶が戻っている。同じ転生したもの同志なのに、と羨ましく思ってしまう。

 ミナは立ち上がると、一人で奥の部屋に行ってしまった。

 視界から消えると、冷蔵庫の開閉音がして、缶ジュースを四本抱えて戻って来た。それらをテーブルの上に配り、再びソファに座る。ミナは自分の分の栓を開けて、ごくごくと一気に半分ほど飲み込んだ。

 さぁ行きますよと言わんばかりにドンと缶をテーブルに打ち付けて、ミナは背筋を伸ばして膝に手をのせた。


「前の五人の話をしましょうか」


 そう切り出した彼女が語りだしたのは、町子や類が魔法を得る前に、大魔女によって魔法使いになった、過去の五人の話だった。



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