37 ブランク
「な、なんでっ? お母さん!」
ここに来て杖の情報が聞ければと期待はしていたが、こんなにあっさりと現物が出てくるとは思ってもいなかった。
激しく動揺してしまう。
芙美は身体を震わせながら腫れ物に触るかのように手を杖へ差し出したが、しかし都子は一旦それを自分の胸元に引き戻した。笑顔だったはずなのに、何故か不安と戸惑いの色が滲んでいる。
「本当に、魔法の杖なの? これ……冗談じゃなくて?」
「ダムで死んだ佐倉町子が使っていた魔法使いの杖です。私たちはこれを探していました」
咲が説明すると、都子は唇を小さく噛んで杖を握りしめた。
「この棒は、あの女の子が最後にずっと握っていたのよ。救急隊に運ばれた時に落としたから返そうと思ったんだけど、傍から見たら木の棒でしょ? 警察の人には取り持ってもらえなくて。ずっと持っていたのよ。最初はこれが何だとか全然気にしてなかったんだけど、小さい貴女から『魔法使い』って言葉を聞いて、何か納得しちゃってね」
「そうだったんだ……」
「でも、これを貴女に渡すと、あの子と同じようになってしまう気がして、目につかない場所にしまっておいたの。これを持ったら、貴女も戦うんでしょう? 私には貴女がそんな目に遭うのは辛いのよ。今は私の娘なんだから」
戦わない、絶対に死なないと約束することはできないが、弘人や薫にも止められてまでもここに来た覚悟は変わらない。芙美は都子に頭を下げた。
「ごめんなさい、お母さん。私、強くなるから。それを持って戦わなきゃいけないの」
「――そんなに強くなったら、男の子に嫌われちゃうわよ?」
苦笑して、都子は一瞬躊躇するが、
「貴女は有村芙美なんだから、ちゃんとまたここに帰ってきて、元気な顔見せて。あの時と同じ思いはさせないでね」
都子の目が潤んでいた。
そっと渡された杖を受け取ろうとした時、一瞬弘人の顔が頭に浮かんだが、「ごめんね」と声を出さずに謝罪して、芙美はしっかりとそれを掴んだ。
待ち焦がれた感触を手で何度も確認する。
「ありがとうございます。私も全力で守るので」
咲が横で頭を下げると、都子は「いいえ」と首を横に振った。
「私には貴女たちがどんな経緯で一緒にいるかはわからないけど、仲間なら貴女も自分を大事にして。二人とも死んじゃ駄目よ」
「はいっ」と腰を垂直に曲げて、咲がもう一度「ありがとうございます」と礼を言った時、そのタイミングを待ち構えていたかのように、奴の声が頭上を走った。
キィキィ。
来た――と。全身が騒いで、芙美は片手を耳に添える。奴等の声に少しだけ頭が痛んだ。
まだ姿は見えないが、部屋のどこかに居るという気配はびんびんに伝わってくる。
突然表情を強張らせる二人に、都子は「え?」と眉をしかめた。
「二人とも、どうかした?」
「お母さん――」
一瞬、都子の存在を忘れていた。芙美は彼女へと駆け寄り、腕を掴む。
「家の外に出て待ってて。敵が、居るの」
「敵? ここに?」
周りを見回して取り乱す都子に、咲がすかさず「大丈夫です」と声を投げた。
「ここで待ってて下さい」
そう伝えて、咲は取り出した杖で魔法陣を描く。
「そうか、異次元! お母さん、すぐ戻るから心配しないで」
「えっ? 芙美……」
音が遠のいて、見慣れた和室が床からみるみると白に飲み込まれていく。目の前にいる都子の不安気な表情もまた空間から分離して消えてしまった。
白にすっぽり包まれた、咲の作る別次元。
魔翔はまだ見えない。
「芙美、落ち着いて。今日は見てるだけでいいよ。ブランクがあるんだから、徐々に慣れればいいんだよ」
久しぶりの戦闘を前に、緊張しているのが自分でもよく分かった。今までは見えるだけだった魔翔も、芙美を敵だと認識する。
咲と比べて弱い自分は、奴等の格好のターゲットだろう。杖を握った手が汗ばんで、息が荒くなる。
ボンと音がして現れたのは、尾が長く大きな鳥型の魔翔だった。少し離れた位置に浮かび、羽を広げて威嚇する姿は、二人を包み込んでしまいそうな程大きく感じられた。
「私が行く!」
奴は初対面じゃない。敵を前にして芙美は気張るが、「キィ」という声に足がすくんでしまう。けれど杖を回そうとした咲を止め、震える手で杖を握りしめ、前へ出た。
「油断しちゃダメだよ。でも、思いっきり行きな」
「うん。昔戦ったことがある魔翔だから、これは私に沸いてるんだよね。だから、私にも戦える。弱点は――光だ」
手を前に突き出し、杖の先端をぐるぐると何度も回した。流れ出る赤い文字。魔法陣が幾重にも重なり、芙美はその中心に魔翔を捕らえると、気合を込めて高く叫んだ。
「いけぇ」
声を合図に赤い光が魔翔目掛けて放射する。
羽ばたいて逃れようとする魔翔の動きが一歩遅かった。全身で光を受け、悲痛な声を何度も叫んだ。
「やるね、芙美」
親指を立てて称賛する咲。
魔翔は立ち上るように高く舞い上がり、呻くような断末魔を残して消えて行った。
「できた……」
ふにゃりと力が抜けて芙美はぺたりと地面に崩れた。ずっと震えていた手が止んでいる。
「お疲れさま」と咲に肩を叩かれ「ありがとう」と答える。
魔翔に対する恐怖もいつの間にか消え、戦えるという自信に変わっていた。
「じゃあ、戻るよ」
咲はそう言うと、空間を解いた。白い壁が解け落ちるように足元へ下がり、現れた和室に都子がいた。深い安堵の表情で駆け寄り、芙美をぎゅうっと抱きしめる。
「無事で良かった――」
「大丈夫だよ、一撃だったんだから!」
安心して、と言い掛けて、触れた頬の涙に気付いた。
それ以上何も言えずに、「うん」とだけ頷いて、芙美は都子の背中にそっと手を回した。
夕方、弟のトオルが帰宅して、久しぶりの実家での団らん。和弘はいなかったが、芙美は改めてこの家が好きだと実感する。
外は真夏のように暑かったが、クーラーをきかせて汗をかきながら食べた味噌煮込みうどんの味は、芙美にとって母の味だった。
昼間の戦闘も、魔法使いのことも、何事もなかったかのように話題に上ることはなかった。
そして、あっという間に時間が過ぎて、翌日の帰宅時間を迎える。
「気を付けてね」
別れ際も都子は魔法の事には触れなかった。隣にトオルが居たせいだろうか。背が高くて大きく見える彼女が、いつもより小さく見えた。
「お母さん――夏にまた帰ってくるね」
「楽しみにしてる」とそう笑顔で手を振ってくれた都子に、芙美は少しだけ後ろめたさを感じながら、後ろ髪を引かれる想いで背を向けた。
魔法使いに戻ることを後悔なんてしていない。
していない――のに。




