35 元ヤンキー
乗り換えの東京でザッと強まった雨も名古屋に着いた時にはすっかり上がっていて、眩しい程の強い日差しが雲もまばらな真っ青な空から二人を迎えた。
東北暮らしが慣れてきて、構内の人の多さに眩暈を覚える。あっちへこっちへと流れる人の波はついこの間まで日常的なものだったのに、自然にそこへ入っていくことができず、芙美は壁沿いを歩いて出口を目指した。
芙美の実家である有村グループの名を刻んだ看板があちこちに掲げられている。名古屋は東京に次ぐ第二の拠点だ。
咲が「やっぱりすごい家に生まれたよね」と感嘆の声を漏らし、芙美は「……うん」と頬を赤らめた。
そして、咲の声もやっと届くほどのざわめいた人ゴミの中で、彼の声が一本の線を辿るように真っすぐ耳に飛び込んでくる。
「芙美」
よく通る耳慣れた声に、芙美はハッと顔を起こした。声の方向に背の高い彼を見つけて、大きく手を振る。
人が集中する金時計のすぐ横。よくこっちを見つけたなと感心してしまう。
彼がここにいるなんて聞いてはいないが、居るかもしれないと心のどこかで思っていた。振り返された手に引き寄せられるように、芙美は咲の手を取って走り出す。
「芙美? どうしたの?」
身体を斜めに傾けて、咲は芙美のスピードを追い掛ける。突然の行動に慌てる彼女に、芙美は「お父さんなの」と説明して、進行方向の先で手を上げる和弘を視線で促した。
目の前で急ブレーキをかけた芙美を、和弘は笑顔で飛びつくように抱き寄せた。
「芙美、お帰りぃ」
「こんなトコで恥ずかしいよ、お父さん」
ふわりと香る空の匂いは、都子お気に入りの柔軟剤の香りだ。
ぐうっと身体を引き剥がして、芙美は「もぉ」と怒って見せるが、和弘は「はは」と笑うばかりだ。
背が高く、短い黒髪に二重のはっきりした瞳。かつては都子と同じ金髪のヤンキーだった彼も、今はその片鱗すら匂わせない完璧な有村グループの重役で、芙美の大好きな『お父さん』だ。
濃いグレーのスーツに、都子お気に入りの青いペイズリー柄のネクタイ姿。少し大きめのボストンバッグは、彼の出張のお供だ。
出張が入っていることは聞いていて、今回は会えないだろうと思っていた。
「このまま出張?」
「あぁ。時間があったから待ってたんだ。一目会いたかったからな」
きっちりとポニーテールに結ばれた芙美の頭頂部をぐりぐりと撫で、和弘は後ろの咲に気付くと軽く眉を上げた。女の子だからホッとしたというよりは、少し驚いた表情だ。
「お父さん、友達の粟津咲さんです」
「初めまして。芙美の父です。いつもお世話になってます」
改まって頭を下げる和弘を咲はボーッと見つめていたが、ハッとして「はっ、はいっ」と我に返った。芙美に身体を寄せて、こっそり「イケメンだね」と耳打ちする。
「友達っていうから、ルームメイトの子かと思ってたけど、お姉さんなら安心だな。これからもよろしく頼みます」
「こちらこそ、楽しませてもらってます」
和弘と都子は、咲や弘人たちと年齢がほとんど変わりない。町子も生きていたらこのぐらいなのだと思うと、不思議な感じがする。
「咲ちゃんは、喫茶店のお姉さんなの。チーズケーキが美味しいんだよ」
「そりゃ、お父さんも食べてみたいな。あっ、もう行かないといけないから」
腕時計を確認し、和弘は「送ってやれなくてごめんな」と謝って、もう一回強引に芙美を抱きしめてから、颯爽と人の流れの奥へ吸い込まれて行ってしまった。




