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31 失われてしまったもの

「戦わない方がいいよ、町子」


 弘人と二人で居たことを(とが)められる覚悟をしたが、薫の言葉は予想と少し違っていた。


「弘人を想って戻ってきた気持ちはわかるけど、彼はもう昔とは違うのよ」


 しゃがみ込んだままの弘人に「もう居ないわよ」と頭を撫でる姿は、小さい子供を宥める母親のようだ。

 弘人は荒い呼吸を繰り返し、顔を伏せたまま肩を震わせている。


「大丈夫なの?」

「発作みたいなものよ。少しすれば落ち着くわ。魔翔(ましょう)に出くわすと、毎回こんな感じ。ここは類が居るんだもの、魔翔が居てもおかしくないのに……油断したわね」

「類、って。弘人がいても魔翔は沸くでしょ? 弘人はいつもこうなの? 戦えないの?」

「戦えないわけではないんだろうけど、立ち向かう気力を失ってしまったのよ」


 かつて戦いに喜々していた弘人がとても小さく見えた。


「そんな……説明してくれる?」


 彼のことを知りたいと思うのに、薫は怒りを抑えるように芙美をきつく睨んだ。堂々としていて強くて美人で、髪型すら昔のまま。

 ただ、昔町子のいた弘人の横のポジションに今は彼女が居る。全ての事情を把握して。

 彼女にとって自分の存在は邪魔なのだろうか――その逆は? と芙美は自分に問い掛けて、答えを出す前に首を横に振った。

 薫はやがて細い息を吐き出すと、


「貴女のせいよ」


 きっと、それが彼女のすべての気持ちを集約した言葉だったのだろう。


「人間はね、自分に近い人が死ぬと死への恐怖が増すのよ。町子が死んでから、彼がどれだけ苦しんだか分かる?」


 ――「町子と類が死んで、私たちにも色々あったんだよ」


 咲の言葉が蘇る。

 その『色々』に触れてはいけないのだろうか。

 薫は怒りを通り越して、哀しい目をしていた。


「死んでしまったことを責めたりはしない。けど、生まれ変わってまで戦おうなんて思わないで。そっとしておいてよ。貴女が敵にやられる姿を弘人に見せないで」


 弘人にも同じことを言われたのに黙って引こうと思わないのは、きっと修司の存在があるからだ。彼も生まれ変わって、戦っている。自分の目標がそこである気がした。


「私には記憶があるの。芙美だけで生きるなんてできないよ」

「町子……そんなに頑固にならないで。記憶があったって、力を戻さなければ魔翔に怯えることもなく人並みの生活ができてたんでしょう? それでいいじゃないの。貴女が戦いを選んでしまったら、きっと……」

「きっと……? 何?」


 言葉をためらう薫の背後から、小さくメロディが鳴りだした。建物の中で鳴っているはずなのに、あまりにも静かな夜のせいで、遠くまで響いていた。

 懐かしい声が奏でる甘いラブソングは、消灯十分前――見回りの時間がやってくる。


 もう、帰らねばならなかった。メグは大丈夫だと言ってくれたが、迷惑をかけるのは目に見えている。


 「戻りなさい」と薫が寮へと促すが、芙美は「でも」と躊躇して、「最後まで聞きたいの」と懇願した。

 「全く、町子と変わらないんだから」と薫は諦めたように口を開く。事情を把握したうえで気遣ってくれているのか、幾分早口だ。


「貴女が戦うことを選んだら、きっと――町子が類と戦ったように、私は貴女と戦わなきゃいけないかもしれないってことよ」

「えっ?」

「もう、時間よ、行きなさい」


 言葉の意味が分からなかった。けれど返事をもらう余裕はなかった。ただその言葉を脳裏に焼き付けて、寮へと足を向ける。

 ()(つくば)ったままの弘人の横で「またね」と言った薫の笑顔に、芙美は何も返すことができなかった。


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