30 拒絶
校門の前に行くと、弘人の車がエンジンを消して停まっていた。
芙美が近付くと運転席から彼が一人で下りてきて助手席を勧めてくる。けれど消灯までには帰りたい旨を伝えると「わかった」と笑んで車にロックをかけて歩き出した。
田舎の学校故周りには民家もなく、人通りどころか車の気配もない。
寮の明かりと道路際に等間隔で光る街灯が静かに照らす中を、足音を鳴らしてゆっくりと歩いた。
月は細く、空は晴れていた。森の位置が黒く強調されて、夜の空が青いことを教えてくれる。
暗闇は苦手だが、前を歩く弘人の背が頼もしく見えた。
少しだけ昔の記憶が蘇って芙美は彼の右手に触れたいと思ったが、駄目だよと自分に言い聞かせ、伸ばしかけた腕を引いた。
彼が足を止めたのは、寮から少し離れた場所にある広場だった。遊具のない公園で、夕方になると体育系の部活動がよく使っている。
「ここならいいかな」
くるりと振り返った弘人と目が合って、芙美は頷くままに視線を落とす。
「うん、大丈夫。えと、か、薫はいないんだね」
「あぁ。言ってないよ」
「こんなトコで二人で会ってたら、薫に悪いよ」
今の自分と弘人は仲間で友人なのだ。
人気のない夜の公園で二人きりになることは、薫に対して心が痛むのに、言葉とは裏腹にこの状況を嬉しいと思ってしまう。
「そうだね。でも、やましいことしてるワケじゃないし。ただ、町子と二人で話したかっただけだから。何? 期待してた?」
「そんなんじゃないよ」
本心を突かれると、強く否定してしまう。からからと笑う弘人の顔をこっそり見上げ、再び地面に顔を落とす。
「変わんないな、お前は。見た目は違うのに、中身は町子と全然変わらない。いつも一生懸命で、俺のことが好きで、そして――戦うことが大好きなんだな」
穏やかな彼の言葉は嘘ではなかった。ただ、肯定することができずに、芙美は短く息をのんで顔を起こした。
細められた弘人の目に失望の色が見える。
彼はこんな表情をする人だっただろうか。
「戦うことが大好きなわけじゃないよ。ただ、自分一人戦わないでいるのは辛いの。町子だった記憶はあるのに、見てるだけで守ってもらうのが嫌なんだよ」
「杖さえなければ力は戻らないんだろう? 魔翔が自分に対して沸くこともない。戦わなくていい選択ができるのに、どうしてお前は危険な方を選ぶんだよ」
どんどん口調が荒ぶって、弘人は仁王立ちで両腕を組んだ。
「戦うってことは、死ぬかもしれないことなんだ。お前はそうやってまた自分の正義のために、残された奴の気持ちも考えずに死ぬのか。俺はお前にもう死んでほしくないんだよ」
込み上げる衝動を払うように、弘人はきつく目を閉じた。暗くてはっきりは見えないが、彼はおそらく泣いている。
「それは、考えてないわけじゃないよ」
使命感で正義を選択して、死んで、今に至る――彼の言葉は正論だ。
「でも、ごめんなさい――」
謝っても謝り切れない。こんなに時間が経ってから芙美が戻ってきても、当時の弘人や夏樹の気持ちには何の解決にもならない。
けれど、こんなに批判されてもまだ杖を取り戻したい気持ちに揺らぎはないのだ。頭を下げて謝ることで、弘人の気持ちが紛れればと思ってしまうのは、いけないことなのだろうか。
「うわぁぁあああ」
突然の弘人の叫び声に、深く曲げた腰を慌てて起こす。異様な状況が広がる様は、すぐに感じ取ることができた。
奴の気配のすぐ後にキンと鳴る耳鳴り。
恐怖に戦く弘人の視線が芙美の背後に固定される。
「何で、出てくんだよ」と呟かれた弘人の声。
魔翔が現れるかもしれないということを、芙美は予測していた。魔法使いの弘人と一緒にいるのだから、不思議なことではない。
しかし、彼はその状況に慌てていた。
それはいつも見る魔翔の登場シーンとは違っていた。
弘人の視線を追って振り返る。
魔翔は少し離れた場所にいた。咲の所で沸いたのと同じ、黒い狼だ。普段なら、魔法使い目掛けて襲ってくる筈なのに、「奴」はこちらを向いていないどころか、道路の方向へと歩み出した。
戦闘になると予測して芙美は身構えたが、それが起きる様子はなく、弘人もまた杖に手を掛けることもなく魔翔を直視したまま体を震わせていた。
拒絶さえ思わせるその態度と魔翔の動きが芙美には不自然に見えてたまらない。
「戦わないの――?」
「あ……あ」
弘人は言葉にならない声を出して、自分の前髪をぐしゃりと掴んだ。
うつろな瞳がぼんやりと魔翔を捕らえている。
「大丈夫? 弘人?」
彼は魔翔から身を庇うように地面にうずくまり、その場にしゃがみ込んで取り乱しながら両手で頭を覆った。
彼は、こんな人だっただろうか。
魔翔に遭遇すれば、我先に飛び掛かって戦いを挑んでいた気がするのに。この疲弊した表情は別人ではないのだろうかとさえ疑ってしまう。
そして。
魔翔の姿を追って芙美が視線を投げた瞬間、黒い四肢が地面を蹴って芙美たちとは逆の方向へ飛び出し、同時に褐色の光が魔翔の胴を背後へと貫いた。
遠い記憶にある光だ。一発の攻撃で魔翔を地面へ降伏させる力は、昔より大分威力を増しているが、その色は変わらない。
闇からそっと現れた姿に、芙美は胸がチクリと痛んだ。
「薫」
右手に握った杖をしまい、伊勢薫は呆れたような表情でため息を漏らした。




