27 クラクション
南棟と北棟を繋ぐ通路から、避難用として使われる廊下側のベランダに出る。
昼休みにプライベートで使っている生徒が多くいるが、まだ時間が早いこともあり、先客がいないことを確認して芙美は修司を引き連れて座り込んだ。
「空いてて良かったぁ」
呼吸を整えながら背中を壁に預けると、横に並んだ修司が首だけを芙美に向けた。
「何かあっただろ、お前。森田じゃないけど、朝からボーッとして」
「うん……色々、あったんだけど」
「お前が弟と俺に二股掛けてるってのは、俺も聞いたぞ」
「そうなの? 何か色々間違ってて……ご、ごめんね」
「事情は分かってるつもりだから気にしないけど。その不機嫌なのは、弟が原因なのか? 何ならすぐ話してくれて良かったんだぞ。一時限くらい出なくたって」
「それは駄目だよ。二人で抜け出すのは良くないと思う。それに不機嫌なワケじゃないよ」
「変なとこ真面目だよな。まぁ、二人でってのは目立ちすぎるか」
そうだなと呟く修司に、芙美はうんうんと首を振り、改まって話を始めた。
「町子の死の直前に、誰かが「死ぬな」って言ってくれたの。偶然あそこを通りかかったんたって。それで、救急車とか呼んでくれたらしくて、その人の名前を教えてもらったの」
町子が最期に受け取った声。「死ぬな」の言葉だけで男か女かすら曖昧だった。
けれど、夏樹に言われて、今その音が鮮明に蘇る。
――「死ぬな」
芙美は顔を上げて、修司を真っすぐに見つめた。確信の事実。
「あれは、お母さんだったの。若かった頃の、芙美のお母さん」
「……お前の?」
「うん。善利っ女の人だって言ってた。今は有村だけど、旧姓は善利なの。珍しい苗字だから本人だと思うし、今思い出すとお母さんの声だった気がする。だから、あの場所にいたお母さんに聞けば、杖に辿り着けるかもしれない」
都子がそうだったと思うと、芙美として生まれてきた総てが運命なのだと感じる。
言い切って芙美は自分の胸をそっと撫で下ろした。修司はニヒルな切れ長の目を少しだけ大きくして、「すごいな」と呟く。
「そんなことってあるのか。俺の家は類とは全く関係ない家だ。でもそれが本当なら、杖の望みも出てきたかな」
「いよいよ、だよね」
「弟には自分が町子だって言ったのか?」
「ううん。大分怪しまれてるけど、結局言えなかった」
「言ってもいいんじゃないか? アイツなら時間がかかっても受け止めてくれると思う」
芙美は「ううん」と首を横に振る。
「やっぱり、夏樹には言えないよ。私は町子だったけど、町子の代わりにはなれないもん」
「そうか。でも、実家には電話で聞いてみてもいいんじゃないのか?」
「お母さんにはちゃんと会って話してくる。ごめんね、わがままばっかりで」
「そういうのは、わがままじゃねぇよ。ちゃんと考えて出した答えなんだろ?」
幼い頃、魔法使いだと暴れた芙美。都子はそれをどんな気持ちで受け止めていたのだろう。すぐにでも名古屋に行きたいと思うのに、まだ週の半ばだ。
しかし、芙美の高ぶる気持ちを静めるように、ポケットのスマートフォンがブルブルと震え出す。確認すると咲だった。芙美は画面を修司に見せてから、着信ボタンを押す。
「はい、芙美です」
「大変だよ、芙美ちゃん! 大変なんだよ」
言葉通り、だいぶ切羽詰まった状況のようだ。
「どうしたの? 咲ちゃん」
「ひ、ひろとが」
突然飛び出した名前は少しだけ芙美の心を揺らしたが、そんな感情に浸る間もないほどに、咲が言葉を続ける。
「弘人がそっちに向かってるんだよ」
「えええっ? こっちって学校だよ?」
「ごめんね、芙美ちゃん。さっき電話で類のこと話したら、アイツ会いに行くって言いだしちゃって。私もすぐ追い掛けるから」
「どうした?」
驚く芙美に、修司は怪訝な表情を浮かべる。芙美は通話口を手で塞ぎ、状況を説明した。
「弘人が今こっちに向かってるんだって」
あからさまに不機嫌な顔で、「はぁ?」と凄む修司。
「咲ちゃん、修司が会いたくないって言ってるよぉ」
「ごめーん。もう諦めて。弘人は言い出したら聞かないから」
それは修司も同じなのだが。
「とにかくまだ授業あるでしょ? 適当にあしらって追っ払ってよ。お願いっ!」
と、咲は一方的に通話を切ってしまった。
どうしようと芙美は横目に修司の顔色を覗くが、案の定彼は眉を寄せてしかめっ面を見せている。
そんな時、教室の方向からざわめきが起きた。
修司が「まさか」と立ち上がり、その方向へ駆け出す。
教室の窓側に集中して、外を見下ろすクラスメイトたちを掻き分けて、修司と芙美はその黒い車を確認した。騒ぐ声を突き抜けるような甲高いクラクションが挑発的で、芙美は他人のフリをしたかったが、知らない人だとしらを切る状況ではなかった。
「なんだ、アレが弘人なのか?」
会わないと言っていた修司も、ベランダの柵から身を乗り出して、開いた扉から現れる人物を待った。
南に向いた外階段の真下に停められた車の運転席から、最初に黒い足が見えて、次に予想通りの人物が顔を出す。
春の日差しに輝く、満面の笑顔だった。四階まであるギャラリーに並んだ生徒たちの中から、弘人は迷いもなく芙美に向かって手を振った。




