23 思い出と今
「行くぞ」
嬉々するメグに見送られ、芙美は飲みかけのペットボトル片手に彼の後を追う。桜並木の下を歩いて南校舎側へ出ると、駐車場もガラガラで人影もなくひっそりしていた。
「暗いけど平気か?」
「うん、大丈夫」
フェンスの隙間を抜けて、桜が咲く丘の斜面で地面に腰を下ろした。花を灯すライトはないが、月明かりのお陰で十分明るいと感じる。
「えっと……類?」
熊谷くんと言おうとして、類と改めた。
彼に伝えるべき言葉を頭に並べて、その殆どが類への謝罪だったからだ。
しかし彼は気まずそうに溜息をついて、
「俺は、修司になって最初から前の記憶があるわけじゃないんだ。だから、俺の基本はこっちって言うか。だから、今の名前で呼んで欲しい」
「し、しゅうじ」
言われるままに呼んでみる。慣れない名前を口にするのが、少しだけ恥ずかしかった。
「俺も、町子っては呼ばないから」
うんと頷いて、芙美は気を紛らわすようにジュースを流し込んだ。
「類は俺の中で作り上げた夢みたいなものだと思った時期もあったけど、力もあれば魔翔も沸く。ここに戻ってきて、一つずつ夢が現実と重なって実感させられるよ。やっぱり、修司だけでいる事は無理なんだな」
修司は確か、新幹線の駅一つ分覇離れた県北の中学校出身だ。
「類を確かめるために戻ってきたの?」
「それもあるけど……お前は、弟に会ったのか?」
「少し話しただけで、名乗り出たわけじゃないけど。私はね、夏樹がここで教師になってるなんて知らなかったんだよ」
「そうか。俺は、ここで町子の弟が教師をしていることを知って、謝りたくて仕方なかった。町子を死なせてしまってすまない――と。でもこの身体じゃ、いざあの人を目の前にしても,何も言えなかった」
「類だけが悪いんじゃないよ。戦いを引き起こしたのは町子なんだから」
彼を止めようと先に攻撃を仕掛けた。町子の死は自分自身が引き起こした戦いの代償だ。
「そうさせたのは類だろ? それに、類にとどめを刺したのは町子じゃなくて魔翔だ」
「そうなの――? でも……」
いくら最後が魔翔でも、死に至る十分なダメージを与えたのは町子だ。彼女が息絶えた時点で類も瀕死だったことに変わりはない。
ぶんぶんと頭を横に振り、芙美は両膝を地面に付けて彼へと頭を下げた。
「町子が類と戦ったことに変わりはないよ」
いざ謝罪を口にしようとすると、言葉が全く浮かんでこないのは、彼が夏樹に何も言えなかったのと同じだ。謝罪したところで、罪から逃れられる訳ではないのに。
「……ごめんなさい」
その言葉だけは言わなければならないと、搾り出すように吐いて彼に伝えた。
「記憶に捕らわれるなとは言わないけど、そんな顔するほど捕らわれ過ぎるなよ」
涙で片付けられる物ではないからと意識していたのに、意思を逆らって涙が滲んだ。
「町子のお陰で、災いは起きなかっただろ? 謝るのは俺のほうだ」
土の地面に手を付いて、修司はその位置まで深く頭を下げる。
お互いに、謝ることしかできなかった。漫画か何かで「昔は敵だったけど、今は仲間だ」と笑顔で分かち合うシーンを見たことがあるが、そんな簡単に割り切れるものではない。
けれど、町子が聞いた類の最後の声は忘れない。
「あの時類は、「逃げろ」って言ってくれたよ。あれが類の本心だって信じてる。町子が死んだ時は辛かったけど、芙美に生まれ変わって楽しいこともいっぱいあったよ。だから、私たちの罪は半分ずつにならないかな」
「半分……?」
顔を上げた修司の前髪に絡んだ土がパラパラと落ち、芙美は手を伸ばしてそっと払った。
「うん。半分ずつ。そう思えば、今の修司や芙美として前に進めるでしょう?」
提案を口にして、それが正しいと思いながらも、彼への後ろめたい気持ちはスッキリと晴れてはくれない。
「町子らしい意見だな」
今日という日の結末が、こんな形で終わるなんて想像もしていなかった。彼に謝る日が来ればいいとは思っていたが、予想を覆す現実とは、ある日突然やってくるものだ。
「修司、あの日の事聞いてもいい?」
「ダムのむことか? いや……悪い。全部は言えないんだ」
質問を察して、先に修司が謝った。類が大魔女のところへ向かおうとしたこと、町子とは別の場所で倒れていたこと、聞きたい事は山ほどあるのに――。
「どうして?」
「お前や他の奴等の命に関わるからだ」
「命? 他の奴って、咲ちゃんたちのこと? 修司も会ったの? みんなに」
「も、って。お前は会ったのか? その身体で、あいつ等に」
「まだなら修司も今度一緒に行こうよ。弘人も類に会いたいって言ってたよ?」
「アイツが?」
えっ、と修司は訝しげな表情で小首を傾げる。二人は元々仲が良かったわけでもないし、芙美にとっても弘人の言葉は驚きの発言だった。
「うん。みんな元気だったよ。だから」
「俺はやめとくよ。アイツ等に合わす顔がねぇ。元気だって知っただけで、もういいよ」
会い辛い気持ちは分かる。仲間と揉めたまま類は死んでしまったのだから。
けれど、ダムの事件でみんなの心にできてしまった傷を、時間が埋めてくれれば良いと思う。力と、仲間になった頃の楽しかった時間を求めて、ここまで帰って来たのだから。
「修司には力があるんだよね。今もまだ、大魔女を殺そうと思ってる?」
「それは思ってないよ。類の罪を繰り返せば、また誰かを苦しめるだけだって自覚してる」
「そ、そうか」と頷く芙美。修司はあぐらをかいて懐から魔法の杖を取り出した。
「これは、類が俺に残したものなんだ」
「それって杖? 類の? ダムでの戦闘後に? 生まれ変わるって知ってたの?」
「いや、類は何も知らなかった。誰の手にも渡すまいと思って、死の直前に埋めたんだ」
興奮気味の質問攻めに、修司は苦笑気味に説明する。
「まさか本当にまた使うなんて思ってなかったけどな。この杖も十六年埋まってたとは思えないくらいそのまま出てきたよ」
「修司は、戦うことを選んだんだね」
迷いのない表情。肝試しで見た戦闘もそうだったが、類はこんなに強かっただろうか。
彼の魂を修司が受け継いだことで、少し変化が起きたのなら、自分はどうだったのだろうと神妙な面持ちで町子の記憶に浸っていると、修司が「そういえば」と芙美を覗き込んだ。
「この間駅で泣いてたのって、弘人と何かあったのか?」
思いついたように尋ねてきた言葉を、「違います」ときっぱり否定する。あの時はただ一人で感傷に浸っていただけだ。嘘はついていない。
「そっか」と笑う修司に、芙美は「その後フラれたけど」とボソボソ小声で報告する。
「十六年は長いんだよな」
そう呟いて、修司は斜面に足を放り出し、ようやく桜へと顔を上げた。
「この体になってから、春が来ると嬉しいって思う」
穏やかに笑う修司の視線を追って、芙美もその桜を仰ぐ。
満月の浮かぶ青い空に花びらが風で流れていく。
あの雪の日の風景が全ての終わりだと思ったのは十六年前。また春を迎えることができたことが奇跡だと思える。
「ところでお前、魔翔の声を聞いたことがあるか?」
ふいに修司がそんなことを聞いてきた。
「魔翔? キィキィってやつ?」
お決まりになっている奴等の声。それ以外に何か奴等の吐き出す音を耳にしたことがあるだろうか。確かに何か話してもおかしくないような大きい口をしているが、食べること以外に能力があるのだろうか。
僅かに間を置いて、修司は「そうだな」と頷いた。その一呼吸分の空白に、芙美の答えが彼の求めたものでなかったことを感じた。
「他に何か話すの?」
「いや――話さないよ」
何か隠してる? そう思ったが、問い詰める気にはなれなかった。
あまりにも空気が穏やかで、これ以上乱したくないと思ったからだ。
「芙美は名古屋から来たんだよな。力もないのにわざわざ巻き込まれに来ることないのに」
「仲間外れにしないでよ。私だって、戦いたいの」
十六年振りに見る魔翔に恐怖さえ感じたが、横で大人しくしていろと言われることのほうが辛かった。
「杖があれば、力は多分戻るぞ。俺がそうだったから」
「ほんと? やっぱり!」と胸を高鳴らせる芙美を、修司は厳しい視線で制する。
「けど、浮かれるなよ? 奴等に隙を見せるな――これだけは頭に入れといて欲しい」
「うん。強くなりたいよ、私は。だから、頑張る」
皆を守れるくらいに。そして、また桜の花を見ることができるように。
強く意思表明したところで、青い闇夜に懐かしき声が溶け込んでいく。
「大変っ!」
町子のクラスメイト。ビブラートのかかった、甘いラブソング。その歌声に込められた意味に芙美は焦って立ち上がり、腕時計を見やった。
九時五十分。
これは消灯のメロディだ。十分後に各部屋へ見回りが入る。
「あぁ――忘れてた」
こんな時に、修司はのんびりしている。危機感を全く感じていないらしいが、芙美にとっては一大事だ。
肝試しでよからぬ勘違いを皆に浸透させ、花見の席からエスケープ。で、消灯に戻らないなど、あってはならないことだ。明日から顔を上げて歩くことができなくなってしまう。
「先行くよ」と駆け出し、一言だけ言いたくなって急停止する。
「修司、また話しようね。それと咲ちゃんが、類は女の子に生まれ変わってるかもって言ってたから、やっぱり一度会ったほうがいいよ」
途端に怒り顔で「あんの野郎!」と修司は立ち上がる。
そういえば、咲と類はよく喧嘩していた。お互い怒っている筈なのに、傍から見ると楽しそうで可笑しかった。
「修司も急いでね」と忠告して芙美は再びダッシュしたが、結局足の速い修司に追いつかれて、ミナが玄関の鍵を閉める五秒前に二人で寮へ滑り込んだ。




