20 肝試し
「アンタか」
結果を知った修司の開口一番がそれだった。
メグの勘違いから仕組まれた彼とのペアだが、芙美は少しだけホッとしていた。少なくとも、祐や他の男子よりは面識がある。
「よ、よろしく」
彼と闇を歩いて「何か」が出たら、どうすれば良いのだろうか。本当に亡霊が出るなら、悲鳴を上げて走り去ればいいだろう。
けれど、もしそれが魔翔だったら。
芙美に戦う術はない。けれど、自分が居ることで奴等をおびき寄せているなら、何かしなければならないと思うが、そのシミュレーションが全くできない。
不安を逃がすように顔を上げると、修司が「どうした?」と声を掛けてくる。
「そんなに怯えた顔するなよ。ただ歩くだけだろ?」
歩くだけであって欲しい。彼に色々悟られたくない。
町子が絡んでいるし、魔翔が出る可能性もあるのだから、咲に相談しておけば良かったと後悔が募る。
「うん、大丈夫」と、気遣う修司にそんな言葉しか返す事ができなかった。
そして、おなかの前で組み合わせた両手に渾身の祈りを込める。
――魔翔さん、私じゃ貴方のお腹を満たしてあげられないので、出てこないで。
「何やってんだ?」
ごにょごにょと呟く芙美に、修司は怪訝な表情を向けてくる。
「神頼み……お化けが出ませんように、って」
「やっぱり怖いのか」
一組ずつスタートしていくペアを見送って、緊張が高まってくる。魔翔や亡霊のことを差し引いても、闇を歩く行為は芙美にとって難関だ。
そんな折、スタートを直前に控えたメグの声が耳に届いてきた。無口な祐を相手に、実に楽しそうに盛り上っている。
「怖いから、手、繋いでもいい?」
「あぁ」とつれない返事をしながらも、しっかりと祐はメグの手を握り締めている。
おい! と後ろからツッコミを入れたくなり、芙美はぽかんと口を開いた。
メグはそんなキャラじゃなかったはずだ。実家の裏は墓地で、暗闇なんて全然平気じゃなかったのか。
あの小柄で可愛らしい容姿は恐ろしい武器だと、改めて実感した。
いってらっしゃいと笑顔の先輩たちに見送られ、芙美たちも意を決してスタートする。
照明のない道のりは、どんどん闇が深くなっていき、手摺を伝って足元を確認しながら一段一段を上っていく。
一歩前を行く修司が「気をつけろよ」と振り返る。少し速いペースの足取りを、芙美は必死に追い駆けた。
三階に着いた途端、ホールのざわめきが遠退いた。
しんと闇の音が広がって、今まで気にならなかった自分の足音に身を震わせる。
二年生の教室が並ぶ廊下を東の端までまっすぐ移動し、突き当りの階段を下りれば、ゴールの体育館はすぐだ。今日は満月が出ているせいで教室側は多少明るかったが、廊下の反対側はトイレや文化部の部室が並んでいるせいで窓が遠く闇に塞がれている。
五分前に出た前のペアは、既に姿が見えなかった。
何よりも先に『怖い』という言葉が浮かぶ。傍らの修司は廊下の奥を見据えて、何かを警戒しているように見えた。彼もやはり恐怖を感じるのだろうかと思ったが、怯える様子はなく、そんな姿が頼もしく見えた。
縋りたい気持ちが先立って芙美は彼へと手を伸ばすが、ハッと我に返る。
こんな時、恋人でもない男子に触れても良いのだろうか。
理性と羞恥心に邪魔され、掴みかけた手を引いて自分の胸元に握り締めた。
やっぱり、メグと一緒が良かった。彼女になら思う存分泣きつく事ができるのに。
「行こうか」と促されて頷くと、修司が広げた右手を芙美に差し出した。
「怖いんだろ?」
嬉しいと思うその手を、芙美はすぐに掴むことが出来なかった。恐縮して俯くと、先に彼に手を取られる。
途端に身体が火照って、芙美は唇を強く結び、気丈に振舞う努力をした。
けれど、そんなぎこちない表情に修司は笑いを浮かべるばかりだ。
「今は真っすぐ歩くことが優先。祐たちなんて、腕組んで歩いてるんじゃないのか?」
「う、うで……じゃなくて、手だけ、貸してください……」
「はいよ。でも、この様子だと何も出てないんじゃないか?」
修司は廊下の奥の闇を見据える。確かに静かだったが、それでも恐怖は変わらない。
少し冷たいと感じる掌。一度繋がれた手を離すまいと、芙美はぎゅっと握りしめた。
「あとは歩くだけ。平気だろ?」
――「平気だよ、芙美」
修司の言葉にふと思い出したのは、父・和弘とのエピソードだった。前にファーストフード店で会った時もそうだった、と芙美は一人で吹き出した。
「熊谷くんって、うちのお父さんに似てる」
「おい、それは俺がオッサンくさいって言ってるのか?」
「オッサンじゃないよ。まだ三十五だし」
彼に手を引かれて、ゆっくりと廊下を進んでいく。急いで走り抜ければあっという間にこの時間から逃れることが出来るかもしれない。
そうすれば楽だと思うのに、もう少しこのままで居たいという自分でも驚くような感情が邪魔した。
「小学校の時、お父さんと大学の学祭に行った事があって、初めておばけ屋敷に入ったの」
東京に住んでいた時だ。和弘の出身大学で祭があると言われ、風邪引きの弟を置いて二人で出掛けた。
「うちのお父さんて筋金入りの方向音痴で、お化け屋敷で居なくなったことがあったの」
どれくらい方向音痴かといえば、休日に家族で伊豆の温泉に車で向かったのに、辿り着いた海で太陽が水平線に沈んでいったくらい性質が悪いものだ。
突然の昔話に修司は相槌を打っていたが、まさかの展開に「えっ」と声を漏らした。
「一本道の筈なのに、中で迷子になっちゃって。真っ暗なところで泣いてたら、お化け役の男の人が、血塗れメイクのままで助けてくれて……」
「それで駄目なのか、こういうの」
芙美は「うん」と頷いた。
入る前に「平気だよ」と言ってくれた言葉も空しく、和弘がお化け屋敷から脱出したのは芙美の出た五分後だったのだ。
「――って。俺は方向音痴じゃないからな?」
「うん。でも、頼りにしてるから!」
強く訴えて、芙美は彼の手を強く握り締めた。
話をしていると暗闇への怖さを少しだけ忘れることが出来たが、闇に浮かぶ一つ一つの風景が現実へと引き戻してくる。
教室の机や椅子の後ろにそれ以外の陰が潜んでいる気がして、なるべく教室の中を見ないようにした。
廊下の半分が過ぎた時、修司がふと芙美を呼んだ。
「有村さん、もし何か出たら、アンタは一人で体育館まで逃げろ」
「えっ?」
「出たら、の話だけど」
突然何を言い出すのか。真面目な顔で修司は逃げろと言う――この手を解いて。
「一人で、って。どうして?」
「危険な目に遭ったら困るだろ?」
かっこつけているつもりなのだろうか。
「嫌だよ、一人にしないで。何か出たら一緒に逃げて」
何かが出たら――自分が取るべき行動の正解すらまだ出てはいないが、この手を振り解いて逃げるのは自分じゃない。
思いつく手段の中に、彼が残る選択は絶対にない。
修司は困り顔で芙美を見下ろしていた。
「分かったよ」と、そう答える彼の声が、その場しのぎに聞こえて、芙美は再び神に祈る。
階段まであと少し。こんな会話が杞憂で終わりますように、と。
しかし、最後の教室に差しかかった時だった。




