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18 弟

 職員室の入口には全職員の名前が入ったプレートが並んでいて、物理教師の場所には確かに『佐倉夏樹(さくらなつき)』の名前があった。

 入口近くの席で食後のお茶を飲んでいた年配の国語教師が、「佐倉先生」は格技場に居ることを教えてくれた。体育館二階にある、空手部・柔道部・剣道部の練習場で、板敷きの向こう半分が畳敷きになっている場所だ。


 夏樹が空手部の顧問だと聞かされたのは意外だった。

 小さい頃よく近所の子供と喧嘩をしていたが、やり返すことができず、泣いて帰ってくる事が多かったからだ。


 静まり返った昼休みの体育館。

 階段を半分まで駆け上ったところで、板敷きのスペースに人影を見つけ、芙美は足を止めた。あまりにも突然過ぎて心の準備ができていない。


 ――「お姉ちゃん」

 いつも町子を追い掛けていた夏樹。余りに慕ってくる無邪気な姿を鬱陶(うっとう)しく思ったこともあるが、泣いたり笑ったり、ころころ変わる表情や仕草が可愛くてたまらなかった。


 夏樹は今二十六歳。最後に見た十歳の印象が強すぎて、大人の姿を想像することができない。

 何度も大きく深呼吸するが、緊張は募るばかりだ。

 けれど。

 開け放たれた扉の向こう。白い道着姿の影がこちらを振り向いて、目が合った。

 一瞬で彼だと理解すると、芙美は解き放たれたように階段を上り、サンダルを脱ぎ捨てて格技場へ駆け込んだ。


「夏樹!」


 思わず口にしてしまった彼の名前に、芙美は我に返って唇を手で押さえた。


「教師に対して呼び捨てとは、良い度胸だな」


 最初の言葉が、そんな叱責だった。


「す、すみません」


 確かに無粋な発言だったと謝って、芙美は改めて彼が町子の弟・夏樹であることを確認する。

 子供の時と様子は大分違うが、さすが姉弟だ。町子の苦手だった低くて丸い鼻が、そのまま彼に付いている。

 輪郭や雰囲気が町子と良く似ているし、メグたちの言う通りまぁまぁのイケメンに育ってくれた――ことは認めるが。その表情はあからさまに、芙美を邪魔者扱いしている。

 威圧感に芙美はたじろいで彼から視線を外した。


 ――「お姉ちゃん」

 その記憶が、頭の中で砂嵐のようなフィルターに覆われてしまう。

 夏樹相手に怯える自分に納得がいかず、対抗するように胸を張った。

 自分が町子でないことは重々承知だが、彼の姉であるという意識が強く前に出てしまう。


「一年の癖に、大分好戦的な顔だな。うちの部に来るか? クラスと名前は?」

「部活はまだ考えていません!」


 胸元の青いリボンは一年生の印。壁半分に設置された大きな鏡越しに芙美を見る夏樹に、「一年二組、有村芙美です」と、数日振りの自己紹介をする。


「あぁ――名古屋から来たお嬢様か」


 予測のつく反応だったが、はっきり口にして言われると、やはり嬉しいものではない。


「そう言われるの、嫌いです」

「俺も、生徒に呼び捨てにされるのは好かないな」


 夏樹との再会は、芙美がずっと描いてきたものとは大分掛け離れていた。憎まれ口を叩かれ、負けられないという闘争心まで沸いてきてしまう。

 ただ、こうやって口喧嘩もよくしたなぁと、昔に帰った気がして、楽しいとも思えた。


「で、何だ――俺に用事か?」


 鬱陶しそうに、けれど仕事だからと割り切っているのか、夏樹は芙美に身体を向ける。

 両手を組んだ仁王立ちの上から目線が芙美を苛立たせるが、『可愛い弟』を頭の隅々から引き出して、その衝動は押さえつけた。


 彼にずっと会いたいと思っていたのに、何も言葉が浮かばなかった。夏樹は町子の弟だけれど、魔法使いのことは知らない。

 故に、名乗り出ることはできない。


 話したいことは家族のことだ。町子が死んでからのことは、きっと彼にとって辛い話にしかならないと思うが、色々教えて欲しかった。


「えっと、ご家族は……じゃなくて。先生、一人暮らしなんですか?」


 変に悟られないように遠回しに言葉を選ぶが、夏樹は「何でそんなこと聞くんだ」と言わんばかりに、一重瞼を更に細めて眉間に皺を寄せた。

 芙美が負けじと強い視線を送ると、疲れた息を吐いて顔を逸らす。


「祖母と二人だが」

「えっ、お婆ちゃん生きてるの?」


 飛びつくように声を上げる芙美を、


「ウチの婆さんが生きてて、お前に何の関係があるんだ」


 夏樹は怪訝な表情で見下ろしてくる。


「だって、お婆ちゃん……元気なの? 会いたい!」


 もう会えないと思っていた。十六年前だって、とても元気だったとは言い難い。

 会える可能性なんてゼロだと勝手に確信していたが、嬉しい誤算だ。


「元気だけど。会いたい、って……」

「おうちに遊びに行ってもいいですか?」

「はぁ? 女子高生が教師の家に来る意味が分かるか? 軽率すぎるだろ」


 どうしても会いたかった。一目見るだけでもいい。晴れた日の縁側で、一緒にお茶を飲んだ記憶が蘇ってきて、芙美は掻き立てられる衝動に、強く懇願する。


「じゃあ、家の場所教えてください!」

「だから無理だよ。俺から教職を剥奪したいのか」

「そんなこと言ってません!」

「第一お前、俺に今日初めて会ったんだろ」


 それを言われると、急に何も返せなくなってしまう。ここで自分が町子だと言えば――そんな気持ちが起きるのも一瞬で、彼は咲たちとは違うのだと自分に言い聞かせる。


 ――「ただの友人や家族なら、多分信じてないと思う」


 咲の言葉を思い出して、その通りだと唇を噛んだ。勢いを失くして俯いた芙美に夏樹は、「関わるなよ、俺に」と、宥めるように思いを突き返してくる。

 これ以上求めても、彼は首を縦に振ってはくれない。諦め切れないけれど、今は従わなければならない気がして、芙美は嫌われついでに言おうか悩んでいた言葉を口にする。


「先生のお姉さんの噂聞きました。校舎に亡霊が出る、って」


 触れられたくないワードなのは百も承知だ。彼の気持ちを掻き乱すだけなのは分かっているのに、このままただの他人でいたくはなかった。


「ふざけるな! お前、いい加減にしろ!」


 夏樹は一瞬で色白の顔を紅潮させ、感情を吐き出した。


「でも、貴方に伝えなきゃいけないの」


 負けられない。逃げちゃいけない。きっと彼はこの噂を気にしているから。


「町子は亡霊になって徘徊なんてしてないから! 私が絶対に保証する!」


 自分でも驚くほどの声を張り上げて、一呼吸で言い切った。

 窓が全部閉められているせいで、空気が重く部屋に篭り、芙美の呼吸を響かせる。

 怒鳴られるかと思ったら、夏樹は戸惑いの表情を浮かべ、芙美の腕を強く掴んだ。


「誰だ? お前……」


 やっぱり彼は、あの夏樹だ。強がってもやはり町子の死に囚われている。


「バカ夏樹」


 囁くように吐いて、芙美はその手を振り払った。

 勝手に死を選んだ町子が悪い。彼を責める権利などないのだ。

 困惑する夏樹から目を逸らし、芙美は逃げるように格技場を後にした。



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