7 家にて
「あれ、なんだったんだろう……」
足の感覚など当の昔に無くなり、動くに動けなくなっているなか、思い出すのは先ほどの光景だ。
愛が殴りに飛んだはずなのに、結果はそうなっていなかった不思議な現象。
そもそも、愛が人を殴る姿など見たこともない。
白昼夢でも見たかのようだった。
「兄さん」
「お帰り。紫耀さんは?」
「丁重にお帰り願いました。さっ立ち上がってください」
足から鍋が外される。
だが、だからと言ってすぐに立ち上がれる訳ではない。
グッと曲げている状態から伸ばそうとした瞬間に、ピキンと全身に衝撃が走った。
「あっがっ!!」
倒れこみ、プルプルと震える全身。痛みが、少しずつ……少しずつ広がり、足全体に痺れをもたらした。
動かない足を動かそうとすれば、ビリビリとした感覚が突き抜ける。
ヤバい!!
叫ぶ脳内。動けない体ではのたうち回ることすら不可能。
「に、い、さ、ん」
「やっやめろ……」
「えい」
「んぎゃああああああ!!」
痺れきった足をおもいっきり押される。一ヶ所じゃない。指を上手く使って同時に何ヵ所も、押されて辛い場所を的確に。
「えい。えい」
「止めろ。止めて!!」
掛け声は可愛いのに、容赦がまるでない。
上半身を捻って逃げようとするも、腹に乗っかられて身動きが完全に取れなくなる。
足をおもちゃにする愛に叫び声で反撃するも、嬉しそうにするだけで効果はない。
結局、足の痺れが無くなるまでおもちゃにされ、声が枯れ果てるのであった……
「楽しかったですね」
「死ぬかと思ったよ」
十分ほどの地獄が永遠のように感じた。
椅子に座って向かい合うと、嬉しそうに笑みを浮かべている。紫耀さんが居たときとは大違いだ。
「聞いていいか?」
「霧葉については黙秘します。あの悪魔について愛の口から語ることはありません」
「悪魔って……」
「何も間違ってはいません。あの悪魔が家の敷居を跨ぐこと事態。嫌悪の対象になります」
「そんなに嫌うやつか?」
生ゴミを見るような目をする愛の言い分がまるで分からなかった。
不思議な女の子ではあると思ったが、そこまで毛嫌いする相手には見えない。むしろ、愛と友達関係にあるのでは? なんて考えていたほど。
記憶の刺激にはならなかったが、過去に会ったことのある相手であろうことは間違いないようだし、気にはなっている。
この街の人ならば、俺の知り合いでどんな人だったのかを大まかに説明してくれた。知っている人も知らなかった人も含めて直接会いに行って紹介された。だから、三ヶ月と言う短い時間でも多数の人と触れあえることが出来たのだ。
記憶を思い出す手がかりには、ならなかったけれど……
「嫌います! 嫌いまくりです。同じ空気も吸いたくありません!!」
「そんなレベル!?」
一体何をしたらそこまで嫌われるのだろうか?
謎が謎を呼んでしまう悪循環。
「まあ、ある一点では感謝しないこともないですが……」
ジッと見つめられる。
自分を指差せば、にこりとした笑顔。
本当に、なんなんだろう?
「聞いていいか?」
「駄目、です」
ハートマークが出そうなほどに明るい声音で拒否される。
そこまで嫌っている相手に感謝することもあるのだから人生なにが起こるのか分からない。
ジッと愛を観察して真意がどこにあるのかを探ってみるが、いつもの笑顔ということしかわからない。
紫耀さんとの関係は現状知ることは出来ないと知る。次に会う機会があったときにそれとなく聞いてみることにしよう。
「愛の質問。いいですね?」
「まあ、はい」
「会って、どうでしたか?」
「?」
会う。
それがどれを指しているのかが不明だった。
紫耀さんなのか、それとも……あの化け物なのか、両方なのかもしれない。
もしかしたら、記憶に深く関係しているのかもしれないが、どちらを見ても記憶を思い出すことはなかった。
それだけは確かだ。
「分からない」
「それなら、いいです」
満足げな表情で幾度か頷き、席を立った。
愛は、俺に隠していることがあるのだろう。それは、きっとこの街もそうなのだ。
記憶が無いから何も知らないだけで、とても大事なことがきっとあるのだ。
それを知らなければならない。
胸がドキドキする。
血が沸騰するような感覚に、拳を握りしめた。
二ヶ月。
意識を取り戻してから今までの時間。俺と言う意識が生きた時間。だが、それを本当の持ち主に返すときがもうすぐ訪れる。そんな予感がする。
「では、ご飯が出来るまでゆっくりと休んでくださいね」
「分かった」
笑顔を浮かべる愛に見送られて部屋へと向かう。
化け物と紫耀さん。そのどちらかに会うことが今後の目標になるだろう。
明日から、忙しくなるな。
グッと伸びをすると気合いを入れる。もう、守られているばかりの俺は終わりにするんだ。