Section.03 悪魔と女騎士Ⅲ
フワフワと浮きながら森を進むルクレは、まるで知っているかのように迷いなく進んでいく。
シャディが『巣が分かるの?』と聞いて見た所、『逃げたからついていく』と答えたルクレ。
どうやら知っているかのようにではなく、ゴブリンの気配を感じて進んでいるのである。
ある程度の修練が必要な魔法を見よう見まねで使えた事と言い、それが悪魔たる所以なのだろう。
シャディはおっかなびっくりながらその後を付いて行くが、若干どころか相当後悔はしていた。
だがもう引き返すタイミングを失った以上、行くしかないと辺りを伺いながら付いていく。
そして、暫く歩いた所でルクレが止まる。
ルクレの前は森が開けていて、シャディの身長程度の崖になっている。
そしてその向こうに見えるのは、開けた小さな広場と奥に洞窟のような穴。
その穴の付近にゴブリンが数匹いるが、警戒するように辺りを見渡していた。
かなりピリピリした雰囲気が伝わってくる。
恐らく逃げたゴブリンから情報がもたらされたからだろう。
その様子にシャディは息を飲むが、ルクレの方は初めてお使いをやってのけた子供のような屈託のない笑みを見せた。
「ついたよ!」
「う、うん。着いたわよね・・・」
褒めて褒めてと言わんばかりに満面の笑みのルクレ。
これはご褒美をあげるのが悪魔との正しい付き合い方なのだろうか・・・
目下、ご褒美となるマカロンの手持ちはあと2つ。
ある意味切り札のこれを安易に使いたくないと言う下心を持つのはこの際仕方ないとはシャディ自身も思っていた。
さりとてご褒美無しでタダ働きさせるのも、例え相手が悪魔であれ罪悪感を感じてしまう。
つまり、シャディは適度にいい人な訳だ。
そこで思いついたのが、子供にあげるご褒美の1つ。
悪魔に効果があるのか分からないがものは試しだ。
「えらいね!、ルクレ」
内心の緊張を押さえつつ手を伸ばし、頭をわしゃわしゃと撫でてみる。
ふんわりサラサラの銀髪は手に感触が心地よい。
エヘヘと笑うルクレの様子からは、褒められた子供そのものに見て取れた。
どうやらこれで正解らしい。
喜ぶルクレにシャディは不覚にも萌えた。
同時に心の底からホッとしてしまう。
無邪気な子供のようなルクレだが、シャディを一撃どころか数回殺せるぐらいの強力な力を現時点で分かってる限りでももっているのだ。
機嫌損ねたら殺されてもおかしくない。
今のシャディは、ルクレの可愛らしさに萌えてそれを忘れ、また思い出して身震いすると言ったのを繰り返していたのだった。
そして、シャディはもう1つの現実・・・
ゴブリンの巣の前まで来てますよに向かい合う為にルクレに聞く。
「それで・・・ど、どうするつもり?」
「捕まえた人いないか聞いてみる」
ゴブリンの耳は良いと聞くが、恐らく聞こえない辺り。
それでもシャディの声は自然と落とされる。
ルクレの方はと言うと・・・
何も気にしてないようだ。
「簡単に返してくれないと思うわ」
「返してくれないならさ、さっきの火の玉どっかーん!やっちゃお」
無邪気で可愛らしい笑顔で笑うルクレを見ながら、シャディは感じいていた疑問を今更ながらにぶつけてみる。
「・・・他の魔術は?」
「しらない。火の玉どっかーん!もさっき真似したらできたんだ!」
子供が親に褒めて欲しい時のようなドヤ顔に、シャディは引きつり笑いを浮かべる。
養成所で優等生では無かったシャディだが、火球の魔術は習得に半年かかった。
これは平均的な習熟速度だ。
それを見よう見まねでいきなり使えるとは・・・
人間と悪魔と言うスペックの違いに愕然とするものを感じていた。
しかも威力も格段に違う。
魔術は使い手や条件によって威力が変わるのはシャディも学んできたが、あのゴブリン・シャーマンを焼いた炎は火力が格段に違った。
それも見よう見まねでやったと言うのだから、悪魔恐るべしだ。
シャディは、養成所の魔術講義を思い出していた。
『魔道とは科学である』
そう講師の魔道師が言っていた。
魔術言語は神話に出てくる神々の言語とされ、故にその言葉一つ一つに力を宿してると言う。
その多くの魔術言語は失われたが、大陸に統一国家を作り出した伝説の帝国・・・
帝国以来の知識を受け継いだ魔術師ギルドが整理し、現在の魔術体系となっている。
特に魔術師ギルドは魔術体系の整理をするだけでなく、幾度かの魔王襲来の経験を経て魔術に改良を加え、帝国時代は選ばれた者しか使えない魔術を普遍的なものにすることに成功した。
その改良を重ねた魔術は『魔道工学』と呼ばれ、魔術は数式によって表されるようになった。
故にシャディのような普通の人でも修練さえすれば魔術を使えるようになったぐらいで、魔法の道具も比較的身近になったのだ。
魔術の発動の仕組みはこうだ。
人間を含む様々な生物が持つ霊気を魔術言語を媒介にして魔力変換して発動する。
シンプルな説明だとこうなる。
素人にはよくわかりにくい。
そこでよく魔術発動の仕組みの例にされるのが『樽の水をポンプで吸い上げ、その水を沸かして茶葉を淹れカップに注ぐ』と言うもので説明される。
樽の大きさが最大霊気量・・・種族ごとに大きさに差異があり、人間全てが保有している。
樽の水が霊気、排出されたものは霊力と呼ばれる・・・これが魔術に変換される素となる。
ポンプと言うのが霊気排出口、排出される霊気量は霊圧と言われる。
人間の初期値は0で、つまり普通の人間はポンプが無い為に魔術が使えないのだ。
魔術習得の第一歩がこのポンプに当たる霊気排出を習得する事から始めるのだ。
薬缶で沸騰させる行程は魔術組成・・・組成力と呼ばれ、取り出した霊力を脳内でイメージした魔術に組み上げる過程だ。
茶葉がその魔術自体が持つ性能・・・魔術強度と呼ばれるものだ。
茶葉を煮出す行為が詠唱・・・基本は魔術言語で魔術名を告げる事で詠唱は完了する。
できたお茶をカップに注ぐ行為が魔術の発動である。
注ぐ量は補正によって若干変わり、注がれた量が効果となる。
魔道工学で言う数式にすると
霊力×魔術強度×基礎魔力×{(組成力+詠唱効果)÷2}=組成魔力
組成魔力×{(魔力補正+属性補正)÷2}=効果
仕組み自体は比較的簡単なものだ。
シャディが火球を耐性の無い人間に使えば、対象に火傷を負わす。
魔術専門職で無い彼女が3年ほど訓練してこのぐらいなのだが、これは平均的な事だ。
彼女が普段使う魔術も抵抗や回復と言った防御的なものだし、基本騎士職の魔術はそう運用されるのが一般的だ。
火球なんかを騎士職が火打ち石代わりに使う事もしばしば見受けられるし、正直その程度の性能だ。
これが、5級冒険者相当の魔術職やゴブリン・シャーマンクラスなら十分殺傷能力を持つぐらいになる。
ルクレのあの火球は恐らく先天的な種族の魔術や属性効果が働いているのだろう。
ゴブリン・シャーマンは抵抗魔術を発動してなくても、それなりの耐性を持っている。
それを一瞬で丸焼きなのだから相当な威力が出ていた筈なのだ。
間違いなく基礎魔力量が人間とは比べ物にならないぐらい強大なのだろう。
つまり、しっかり魔術を覚えれば魔王クラスの魔術が使えるようになるかもしれない・・・
そしてその魔術だけでなく、あのゴブリン投擲して殺傷するぐらいの筋力があるのだから、ゴブリンの群を恐れる理由が知識が無いとしてもルクレには全く無い訳だ。
「じゃあ行ってくるね!」
まるでお使いにでも行く子供のようにルクレが無邪気に笑う。
そしてふわりと跳ぶ。
降り立ったのはゴブリン達の前だ。
「ナンダ!ナンダ!」
「サッキノ!サッキノ!」
「ツヨイ!ツヨイ!」
ゴブリンの言語は置いて行かれたシャディには分からないし、崖の上からは距離があってよくは聞き取れない。
しかし、警戒の声を上げている事は分かる。
「一番強いの呼んでよ」
ルクレの声にゴブリンは武器を構えたままジリジリと下がるが、1匹が咆哮を上げて粗末な槍をルクレに突き出す。
ルクレは避けない。
いや、避ける必要がないのだ。
槍の先はガチンと言う鈍い音を響かせるだけで、ルクレには刺さりもしなかったのだ。
高位の悪魔は低級の魔術無効化や魔法武器以外の打撃無効化があると言われているが、その効果が働いたのだろう。
弾くのを確認して無邪気にニンマリとルクレは笑う。
本当に子供の笑顔だ。
そして、そのゴブリンにルクレは指を向ける。
「火球どっかーんだ!」
一瞬にしてゴブリンが炎に包まれ、絶叫し、暫く火だるまで悶えながら地に伏す。
原型を留めないような黒墨と化したそれを見て、他のゴブリン達が後ずさる。
震え恐れている様子が、茂みから這い出して近づくシャディにも分かるぐらいだった。
「呼んできて」
短いルクレの言葉に、弾かれたようにゴブリン達は慌てて洞窟の中へと走っていく。
それを見ながらシャディは恐る恐るルクレの傍まで向かう。
悪魔ではあっても子供のルクレだけに相対させるのは何か違うし、この件に関してはルクレは当事者ではない。
危険なのは承知だが、隠れてるのは良心が痛む。
そう思って出てきたが、彼女にできる事は実はあまり無い。
そして暫くして、洞窟からゴブリンの集団が姿を現した。
先頭は明らかに体格の良いゴブリン。
一回り他のゴブリンより大きく、金属の鎧を着ている。
恐らくゴブリン・ロードだろう・・・
危険度4級下の実力だけでなく、指揮能力も持つ大きな群を率いるリーダーだ。
単体でもシャディには勝てないだろう。
群の大きさも先程のゴブリン・シャーマンがサブリーダ格だとしても60匹以上の成体がいる可能性がある。
最低見積もっても120匹分の戦力があると想定して、4級冒険者でも30人程は欲しい規模だ。
「悪魔ヨ・・・何カ用カ?」
たどたどしいが、ゴブリン・ロードは大陸共通語を喋っている。
つまりそれだけの知能を有すると言う事だ。
「捕まえたのを返してくれない?」
ルクレの言葉にゴブリン・ロードはぱちくりと瞬きして、転がる黒墨に暫く目をやる。
警戒してルクレを伺うような素振りを見せながらゴブリン・ロードが答える。
「良イダロウ」
群が恐れと不安で騒ぐが、ゴブリン・ロードが吠えると皆黙る。
少なくともゴブリン・ロードはルクレが普通の子供で無い事は理解したようだ。
ゴブリンは人に較べて危機察知能力が高く、相手の実力を感づき易いと言われている。
特に知能も高いゴブリン・ロードだけに判断も速いようだ。
そして、ゴブリン・ロードはゴブリンに『連レテコイ』と命じて数匹が洞窟に消えていく。
警戒しつつも、まるでゴブリン・ロードの視線は隙を伺うようにも見えた。
それからすぐに、みすぼらしい布を身体に巻いただけの女が十数人奥から連れて来られる。
希望を打ち砕かれたような冥い目をしていた女達は、シャディを見てホッとしながらも、ルクレを見て混乱しているようにも見えた。
「これで全部?」
「・・・全テダ」
ゴブリン・ロードの言葉を聞いて、シャディが一人の女に尋ねていた。
ゴブリンには嘘をつくのが悪と言う概念がないので、裏取り必須なのは一応冒険者だから心得てる。
その女が頷くのを見てシャディは『本当みたいね』とルクレに告げた。
「じゃあ、これでいいや」
「・・・ソレダケデ良イノカ?」
ゴブリン・ロードの問いに、ルクレはちょっと考える。
そしてこう言う。
「ボクに向かってこないならどうでもいいよ。面倒くさいし」
本当に面倒くさそうな表情も子供そのもののようだ。
そして、シャディの耳には『美味しそうな匂いしないんだよなぁ』とルクレの呟きが聞こえた。
悪魔は欲望に忠実だと、数少ない伝説でも語られているが、それがあのマカロン基準なら実に安いものだ。
シャディは何だか微妙な気分になりながらも、ルクレに声をかけた。
「じゃ、離れようね」
「うん!。マカロン食べたいっ!」
「ええ、あと2つあるから1個あげるわ」
女騎士と悪魔がそんな会話をしながら歩き出す。
囚われていた女達は顔を見合わせながらも、慌てて2人に付いていく。
その様子を呆然と言った形で見送っていたゴブリン・ロードがボソリと隣のゴブリンに言った。
「追エ・・・吾ハ奴ノ所ヘ行ク・・・」
ゴブリンと言う生き物は相手が強ければ媚びへつらい、相手が弱ければ襲う。
そして狡猾で欲深く、更に執念深いのだ。
それを表すようにゴブリン・ロードの瞳には狂おしい程の欲望の火が燃えていたのであった。
もう少し軽快に進めたいなと思いつつ説明がメインに・・・
次回投稿はは来週にはしたいと思いますー