Section.01 悪魔と女騎士Ⅰ
「ボクがっ!、ボクが何したってんだよっ!!」
緑深き森に響く声は怨嗟に満ち溢れていた。
その怨嗟を奏でる音は、ひどく幼く舌足らずであった。
それは少女か、もしくは天使か・・・
台詞には似つかわしくない声であった。
声の主は子供であった。
少女・・・いや少年・・・
どちらであれ輝くような銀髪に白く瑞々しい肌は天使のように整った造形であった。
10歳・・・いや、それより幼く見える顔つきと背丈。
そして子供らしく紅潮した頬は、整った顔と相まって誰もの目尻を下げてしまう程に可愛らしい。
全くもってあの台詞が似つかわしくない子供だが・・・
その姿は異様であった。
輝く銀髪から飛び出る漆黒の突起。
それはこの子供が装備したものではない。
左右側頭部の奥側から頭に沿うように前方に湾曲した突起は、誰がどう見ても角だった。
そして子供に不似合いな金刺繍がふんだんに施された漆黒のローブを身に纏い、背中からは烏を思わせるような翼が生えている。
おまけに尻には黒い尻尾が、不機嫌だと言うようにぱたぱたと振られていた。
誰が見てもこの子供は人間では無い。
見るものが居ればこう言うだろう。
悪魔だと・・・
「一体っ!、一体何なんだよぉっ!!」
悪魔の子供が手足をジタバタさせる。
容姿そのものの子供じみた行為だが、その身体は宙に浮いている。
翼がはためかない所から見ると、魔術によるものだろうか。
例えこの子供が悪魔であれ、見た者が目尻を下げてしまう可愛らしい怒りを撒き散らした後・・・
空中で手足をだらんと弛緩させてため息を大きく吐き出し、そしてキョロキョロと周囲を見渡した。
「・・・ここはどこなのだ」
疑問に答える者などいない。
悪魔は空中で顎に手を当て考える。
どうやら悪魔が何らかの理由で全く知らない所に現れざるを得なかった事態であるのは見て取れる。
まぁ、その容姿から言うなら・・・迷子である。
人間の子供であれば『迷子になって泣かないなんて偉いね』なんて声をかけてやりたいぐらいだが、この悪魔の子供は人間ではない。
あくまでも悪魔なのである。
暫く目を瞑りながら『うーん』なんて可愛らしく唸っていた悪魔だが、その耳に微かな音が届く。
それは決して心地よい音ではないが、悪魔に答えを与えてくれる存在であるかもしれないと判断できるものだった。
その悪魔のくりくりとした可愛らしく大きな黄金の瞳に、子供らしい好奇心の光が宿ったのだった。
森の中の少し開けた場所。
小柄な生き物の力任せの体当たりを盾で受けたものの、満身創痍の身体に支えられる力は無く、吹き飛ばされて背中を打ち付ける。
口の中は血の味がした。
5級冒険者であり騎士職であるシャディ・ガウリーと言う少女が18年生きてきた中で、間違いなく今日が最悪の日であった。
2番目はなんだったかと自分の黒歴史が浮かんできて背中の痛み以上に心に刺さるが、これは走馬灯と言うものなのだろうか・・・
つまり、シャディ・ガウリーは満身創痍で18年の短い人生を終えようと走馬灯が黄泉の旅路を誘おうとしている最中なのだ。
彼女を囲むのは、小柄な生き物。
獣の皮の防具らしきものと粗末な布の衣服、手には収奪品らしき斧や槍を持つその生き物は、所謂ゴブリンと呼ばれているものだ。
森や荒野で生活する亜人種の1つだが、彼らにあるのは力の論理だけである。
相手が強ければ逃げるか媚びへつらう、相手が弱ければ襲う。
故に隙があれば人間や家畜を襲う天敵の1つである。
その強さだが、危険度6級中・・・少し腕っ節の強い農夫なら一対一で勝てるかもしれないし、彼女のような5級冒険者なら一対一は問題は無いレベルだ。
だが、このゴブリンは群れる。
平均30匹前後の群れで生活し、大きな群れだと100匹近くになる。
繁殖力も強く、手頃な洞窟等に定着してそれなりに広範囲に狩りに出る。
知能はそこまで高くないが狡猾。
そして群れて襲うのに手慣れた連中だ。
5級冒険者でも倍の人数は軽く倒せる、3倍なら少し苦労するだろう。
4倍、そして5倍・・・
6倍となれば対処の範疇を超える。
最初の講習で何度も念押しされる4倍差が撤退推奨ラインだ。
シャディの周囲に倒れる仲間の冒険者は5人。
3人の前衛職のうちの2人が奇襲で早々に倒れ、残り3人も逃げる間もなく戦線離脱。
もうぴくりとも動かず、天に召されたであろう事は彼女でも現実として捉えていた。
彼女を囲むゴブリンは17,8匹程。
仲間たちと少しは倒せたが、遭遇した時は20匹前後と撤退推奨ラインぎりぎりと言った所であった。
しかしゴブリン達はシャディのパーティーの密偵職の警戒をかい潜り奇襲を仕掛け、多少の被害で冒険者5人を撤退する隙を与えず屠ったのだ。
その原因は、ゴブリンの中に一匹・・・
みすぼらしいローブと木彫りの妙な仮面、ねじくれた木の杖を持った者がいたからだ。
ゴブリン・シャーマン・・・
木彫りの奇妙な仮面と動物の骨でできた首飾り。
ボロボロの布のローブらしきものを纏い、手には捻くれた木の杖。
ゴブリンの呪術師だ。
この魔術を使うゴブリンの上位種は、5級上。
単体性能で言うと5級冒険者の上位といい勝負だが、1匹いるだけで集団を2倍の戦力に押し上げると言う。
つまり40匹相当と言う7倍近い戦力差は5級冒険者6人には対処不可能な相手となってしまうのだった。
勿論こちらのパーティーも魔術職が居るのだが、魔術と投石による奇襲で抵抗の魔術発動前に前衛2人を排除され、パーティーの盾でもあるシャディもゴブリン・シャーマンの火球魔術でかなりのダメージを負う。
死ななかったのは自分でかけた抵抗が間に合った訳だが、あちこちに火傷を負っている。
既にパーティーの盾と言う役割を果たす力は残っておらず、後は肉弾戦に弱い残りの者がゴブリンの人海戦術とゴブリン・シャーマンの魔術で戦線離脱。
これはパーティー全体の経験不足もあるのだが、ゴブリン・シャーマンの存在がゴブリンの群れを強力にしているからもあった。
ゴブリン・シャーマンは並の人間より知能が高く狡猾なのだ。
残ったのはシャディ。
幸か不幸か、戦闘訓練を受けた魔法戦士とも言える騎士職は生存率が比較的高い。
しかし満身創痍のシャディだけでは逃げてもゴブリンの囲みを突破できない。
つまりシャディ・ガウリーは詰んでいるのだ。
運が良ければゴブリン達は生かしてくれるだろう。
勿論『戦利品』としてだ。
ゴブリンは人間を襲うと、たまに女は攫うと言う。
しかし、巣に連れて行かれればおぞましい事態が待っている事ぐらい冒険者の彼女はよーく知っている。
自分がその番になるとは全く思いもしなかったが、多分普通の人間は皆そうだろう。
(ああ・・・出発前にタルト我慢しなきゃよかった・・・)
つまらない思考が走馬灯と共に走り去っていく。
年頃故の体重増加と言う禁忌に涙を飲んだものの、この依頼が終わったらギルド横の楡の木亭で名物の林檎タルトを頬張るぞと言って出てきたのは死亡フラグだったか・・・
あれは絶品かつリーズナブルで、乙女の幸せと体重を一気に押し上げると言う究極の逸品である。
冒険者は体重より栄養が必要とは先輩女冒険者が肉汁滴るステーキをがっつきながら言っていたが、今考えるとけだし名言だと思ってしまった。
色んな意味で後悔先に立たずだ。
「ふむ・・・こんな良いお日柄に野蛮な行為とは・・・全くご苦労様だよ!」
そんな夢も希望も救いも無い彼女の耳に、声が聞こえる。
それは子供の舌足らずながら、美しい天使のような声。
その声だけで救われた気持ちになったシャディはその声の方向に首を回す。
そして絶望した。
「キシャアアアァァァッッッ!!」
唸り声を上げたゴブリンがその声の主に血糊まみれの手斧を振るった。
声の主はめんどくさそうな表情を浮かべて手斧振るう手を掴むと、ぶんと横に振り回す。
投げられ、高速の矢のように飛翔したゴブリンが周りを囲むゴブリンの1匹に激突する。
その疾さでは避ける間もなかっただろう。
ゴキンと嫌な音がして2匹のゴブリンが吹き飛んでいく。
群れがざわりと響めいた。
「はぁ・・・挨拶も無しってどう言う事なのだ」
声の主・・・子供は不機嫌かつ呆れたように言う。
絶望ながらもシャディは養成所で叩き込まれた知識の中からその子供が何かを認識していた。
悪魔・・・
ごく低級な者でも危険度3級以上でなくては相手にならない存在。
つまりどう見繕っても5級冒険者たるシャディ・ガウリーであれば、遭遇したら素直に神に祈りなさいと言う相手だ。
どう考えてもさっきまでの『もしかしたら生かされるかも』から『できれば苦しまずに殺してください』に変わったようである。
だが、悪魔は彼女を一瞥もしない。
空中に浮きながら顎に手を当て、『ふむふむ』と意味ありげに呟いている。
そしてゴブリンの群れもパニックと言って良かった。
何かヤバいものが出たのだけは彼らも理解してるようだった。
「ボクも挨拶もせずやってしまったよね。と言う事で、ごきげんよう皆様!」
丁寧なお辞儀をする悪魔の子供。
それは様になると言うか、人間の子供であればシャディも目尻を下げてしまう程可愛らしいものだった。
やや目尻が下がるシャディだが、震えは止まらない。
人間の見た目であれば10歳にも満たない子供がゴブリンを掴んで矢のような速さで投擲するとか普通では無い。
だがそれ以上にこの悪魔はどこか根本的に異様なのだ・・・
悪魔に遭遇したことがない彼女にそれを説明しろと言っても、感覚的なものだから無理だろう。
「ギ、ギッ!」
ゴブリン・シャーマンがそう叫ぶと、ゴブリンの輪が一歩下がる。
この得体の知れない悪魔を警戒したのだろう。
ゴブリン・シャーマンがねじくれた木の杖を掲げ何かを叫ぶと、杖を悪魔に向ける。
『火球』
叫びと共に悪魔目掛けて一直線に火の玉が飛ぶ。
その叫びはシャディも使える魔術言語と言うものだ。
魔術を学んだ者であれば最初期に使える基礎魔術の1つで、対象のみを炎に包むよく知られた魔術だ。
威力はさほど大きくない。
きっちりと抵抗の魔術なり装備なりを固めていれば、ダメージの減少や無効化はできる。
奇襲の一撃目で仲間の前衛を火だるまにして戦線離脱させた火球だ。
悪魔は避けない。
何故なら悪魔に届く直前に火球がジュワッと音だけ残してかき消えたからだ。
「うん、全く効かない気がした」
違和感を覚える言葉だ。
まるで初めて魔法を食らったようでもあり、何かを試したようでもあった。
「こうだよね」
そう悪魔は言うと、ゴブリン・シャーマンが放った言葉と同じ魔術言語を発し指先を向ける。
その指先からゴブリン・シャーマンの数倍の大きさの火球が現れ飛んでいく。
速度も段違い。
対象選択型の魔術は基本対象を追尾するので回避と言うのは物理的に不可能なのだが、速度が速いと言う事は発動してからの抵抗魔術の難易度が格段に上がると言う事だ。
当のゴブリン・シャーマンも抵抗すらできず、火球がヒットして炎に包まれる。
対象だけを燃やし尽くす魔法の炎・・・
残ったのは、かつてゴブリン・シャーマンであった消し炭のみであった。
圧倒的な力の差。
悪魔だからそうなんだろうが、それにしても圧倒的であった。
その悪魔の方は無邪気かつ得意げな顔で『結構上手く言ったぞ』なんて言いながら指先を角度を変えながら何度も見ていた。
それを隙と見たのか残ったゴブリン達は攻撃・・・
する訳は当然なく武器すら捨てて我先にと逃げ出したのである。
それはまさに必死。
背中から撃たれる事すら考えていない動物的なまでの必死な逃走・・・
その逃げっぷりはシャディをして見事と思わせるぐらいだが、当然彼女は逃げ遅れている。
と言うか腰が抜けていた。
「そこの大きな生き物!」
女としては長身。
陽によく焼けた小麦色の身体は騎士として十分に鍛えてある。
前衛職としては恵まれた体格だろうけど、乙女としては微妙。
基準がこの小さな悪魔とゴブリンだとするならば、確かにシャディは大きな生き物だろう。
だが、大きな生き物呼ばわりはちょっと傷つく。
そんな事を思う座り込んだと言うか腰を抜かしたままのシャディの前にふわりと悪魔が降り立ち、彼女の顔を屈んで覗き込む。
可愛い・・・
怖いけど不覚にも萌えた。
「ひぃっ・・・こ、殺さないで・・・」
掠れた声が漏れる。
自分はこれから嬲られるのだろうか、それとも魂を地獄に引き込まれるのだろうか・・・
なんにせよろくでもない事になりそうな予感はあったし、人間悪い予感は絶対当たると件の先輩女冒険者が酒を片手に言っていたのを思い出した。
しかし、その悪魔は顎に手を当て、シャディを見たまま小首を傾げる。
可愛らしい・・・
不覚にもまた萌えた。
「君を殺して、ボクに何の得があるのだ?」
「へっ??」
自分でも、自分でも思ってみなかった程間抜けな声が漏れる。
助かったのだろうか・・・
いや、助かってしまったのだろうか。
「あ・・・あの・・・」
「あ、うん、そうだね。まずは挨拶からだね」
シャディに悪魔の言葉は分かる。
この悪魔はご丁寧にも大陸共通語で喋ってくれているし、声も天使のように可愛らしい。
悪魔なのだが・・・
だが、内容はさっぱり分からない。
そして子供に見えてもシャディより強力な力を持ち、不機嫌そうな様子の悪魔を刺激するとヤバいのはだけは分かる。
「ごきげんよう!、大きな生き物さん」
「あ、は・・・はじめまして・・・シャディ・ガウリーです」
何故名前を答えたのだろう・・・
自分でもよく分からない。
分かってるのは自分が混乱してると言うことだ。
迷った時は考えるなと件の先輩女冒険者がカードでコインを積みながら言ってた気がする。
シャディの名前を聞いて、悪魔は考え込む。
顎に手を当て『うーん』と唸り、そして天を向く。
仕草が一々可愛い。
また不覚にも萌えた。
「ルクレウス・ロイド・インフリード・・・多分、ボクの名前はこうだ」
悪魔とは名前を忘れるものだろうか・・・
それともこのルクレウスと言う悪魔が特別なのだろうか・・・
何というか、不機嫌そうではあっても悪のオーラとか邪気と言うのが一切無い。
それがシャディ・ガウリーと言う少女騎士とルクレウス・ロイド・インフリード・・・
通称ルクレと言う悪魔の出会いであったのだ。
こんな感じで一話目投稿
二話目は推敲出来次第投稿しようかと
一週間に一度ぐらいずつ投稿できたらいいかなと