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邪馬台国東遷  作者: シロヒダ・ケイ
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伊都国

第一部 ()(こく)強靭化(きょうじんか)計画



時は西暦237年。中国は魏呉蜀の三国志時代。倭国では卑弥呼(ひみこ)擁する邪馬台ヤマタイ連合国がその代表として、韓半島諸国、そして公孫氏が窓口となっている帯方郡との交易、外交を担っていた。この物語は、そうした歴史背景、公孫と魏の関係が微妙になり韓半島をめぐる情勢が流動化の兆しを見せてきた中で、スタートする。歴史の波に洗われ、様々な体験をして行く、倭国の青年、主人公トシを描いたものである。


― 第一章 伊都国 ― 


「おてんとう様は笑ってくれんな。」

塩ジィが曇った空を見上げて難しい顔をしている。「ええい。やめだ。やめだ。」採取したばかりの藻塩(もしお)の原料となるホンダワラをポンと投げ捨てた。         

本日の製塩作業は中止と決まった。製塩は好天気の時にこそはかどる訳で、湿気の多い時、ましてや雨が降れば全てが台無しになる。 

  

「トシ坊、それは何だ?」首からぶら下げた皮袋に気付いて塩ジィがたずねた。

「人に見せれるようなシロモノじゃないんです。入っているのは刀子(小刀)なんだけど。あそこ、今山で拾ってきた石を仕上げた手作りなんで・・・」東に見える今津湾入り口の小山を指差した。或いは島と言うべきか。満ち潮では島になるが、潮が引けば砂浜づたいに歩いて渡れる陸繋(りくけい)(とう)である。

 「あそこには玄武岩(げんぶがん)の塊がゴロゴロしているからな。今山には。肉だの魚だのさばくには結構重宝する。しかし、竹簡(ちくかん)を削るんだったら鉄製がいいだろ。お前の商売道具なんだから・・」

 「鉄のナイフは値が張るし、これは公務じゃなくて、私用で使うものだから・・」庶民には鉄は高嶺の花。当時、ナイフは、鋭い玄武岩か黒曜石(こくようせき)製が使われていた。

「給料が出たんじゃないのか?」

トシは邪馬台国の国立学校「一大率学園」の学生。とはいっても準公務員扱いで小遣い程度の俸給が支給されている。皮袋にはその俸給の中国貨幣、五銖(ごしゅ)(せん)も入れていた。

 「これで祖母への土産を買おうかと思って・・。いつまで生きてるかわからないし。今度帰省した時にでも孝行しとかないと。」皮袋をジャラジャラ鳴らした。

「お前はバアちゃんっ子だなあ・・ハハハ。」

息子を見るような温かい目で塩ジィが笑う。

塩ジィは国営事業である製塩の責任者。学生は学業以外にも、こうした事業にも手伝う義務があった。つまり塩ジィは仕事上は上司なのだ。が、学生達の中でも、特にトシには目を掛けてくれている。

「ようし、わかった。今日は仕事ナシで暇がある。お前の土産物ショッピングに付き合ってやるよ。で、何を買うつもりだ?」

「アクセサリーにしようかな。碧玉(へきぎょく)(くだ)(たま)勾玉(まがたま)を見てみたい。」

「よっしゃ。俺に任せろ。顔の利くところがあるんだ。」


トシが東市場に向かおうとすると塩ジィは逆方向に歩き始めていた。「何処に行くんだよ。塩ジィ。」「まあ、いいから付いてこいよ。」

 彼等がいる一大率エリアの東側には一般個人向け市場があり、生鮮・食料品から衣服、日用品、アクセサリーの小売店が軒を連ね、商売人の掛け声で活気に満ちていた。普通ならこちらに向かう道のはずだ。

一方、今、向かっている西側は鉄鋌(てってい)や材木など素材そのものを扱う店や、穀物倉庫群、鉄や青銅の鍛冶場(かじば)、加工場が立ち並んでいた。流通業者や職人が多く、一般人は立ち入りにくいプロ向けの市場だったのだ。

二人は燃料の木炭の臭いを嗅ぎながら、加工場が並ぶ一角にやってきた。その中の玉造(たまつくり)工房の前に立つ。工房では砥石(といし)で石を磨く人、キリで穴を穿(うが)つ人が黙々と作業していた

 「大将は居るかね?」塩ジィが声をかけると、その声を聞きつけた恰幅(かっぷく)の良い職人が慌てて駆け寄って来る。ここの頭領らしい。

「これは久米のダンナ。お久振りです。こちらからご挨拶にお伺いしなきゃならないのに、お越し頂いて恐縮です。今日はまた何の御用ですかな?」

気難しそうな、クセのある顔立ちだが、塩ジィにはやけに親近感を見せ、低姿勢なのが何となく滑稽に感じられる。

 「いや、なに。この子が人間国宝級の腕を持つアンタの玉を買いたいと言うんでな。連れてきた。安う分けてくれんか?」

大将はトシの顔を見て一瞬ひるんだような表情をみせる。「親戚のお子ですかな?」

「いや、塩作りを手伝ってもらっておってな。」

 「ご予算はいかほどで?」大将が恐る恐る塩ジィに問いかける。

トシが皮袋から五銖銭取り出そうとすると塩ジィがそれを押しとどめ「まず品物を見せてくれんか」と、やや威圧的な口調で切り出した。

大将が恐れ入った風の腰つきで案内する。「いやあ、お世話になったダンナのことです。勉強しますよ。さあ奥へ・・。」

頭領の仕事部屋に入り、そこらあたりに座ってくれと言われて見回すと、あたり一面、石が無造作に転がっている。

「おう少年。よく見ろ。こいつら目の保養になるぞ。これも宝石、あれも宝石、上物の出雲(いずも)(いし)だ。」これが碧玉の原石、出雲はその有名な産地なのだ。

大将には宝石と言われたが、トシの目には暗い緑色の石がゴロゴロしているだけに見える。光沢のある石を期待していただけにピンと来ない。

横から塩ジィが話しかけた。「宝石みたいには見えんだろ?だがな、こいつの腕にかかるとこれが変身するんだ。・・大将曰く、女達の垂涎(すいぜん)の的。輝く宝石にな、ハハハ」

「ダメな石は腕が良くてもタダの石ころ。上物の宝石になるかどうかは見立て次第。原石の見分け方が肝心だ。こいつらは俺の自信満々の原石さ。」そんなものかと思うが、トシにはイマイチ得心が出来ていない。

「最近は息子に任せているが、昔はよくダンナと原石仕入に出雲に通ったもんでね。花仙山で掘出しモン見つけては、儲け先取りの前祝。出雲の港町でドンチャン騒ぎをやらかしたものさ。」

「こいつ。腕は確かだが酒と女にだらしなくて。いつも事件を起こしては、俺に厄介をかけやがる。お互い若かったな。あの頃が懐かしいのう。」


いつのまにか酒が出され大人達の昔話に付き合わされていたトシ。あらためて辺りを見回すと碧玉の原石の中に、白っぽいが緑色を含んだいかにも堅そうな石が置かれているのが気になった。引き寄せられるようにその石を取り上げ、眺めると不思議に高貴な雰囲気が漂ってくる。

「この石も出雲石という碧玉なんですか?」と問うてみた。

「それはヒスイと云う石。出雲の市場から買ってきたが、もとは越の国、姫川から出た石だ。」

トシは越と言われても見当がつかなかった。だが、そこは信じられないくらい遠い国だという。その遠方から船を乗り継ぎ、出雲の市場に運ばれたモノだそうだ。

「こりゃ確かにヒスイだな。」塩ジィも関心を示して乗り出してきた。

「そうだ、少年。これは誰もがトリコになる石なのさ。こいつを玉に仕上げて女を口説けばどうなると思う?」ニヤニヤしながら頭領が話しかけてきた。だが答えを期待している様子ではない。

「答えは、どんな女でも落ちるという口説きの秘密兵器。イチコロのイシコロってヤツだな。ハハハ」その冗談が言いたくて問いかけたというわけか。

「ヒスイ・・か。不思議な石だなあ。何か吸い寄せられる感じ・・」トシは見とれながら思わずつぶやいた。何か意志を持っているかのような力を感じる。

「そうだろ。お前、見る目があるじゃないか。そう、良い石には何かが宿ってるんだ。最近は中国からきたガラス玉が流行っているが石の魅力は別格だ。鋳型に流し込むガラス管玉は形もよく作りやすいし、うちも商売だから息子達は手を出しているが、俺はいけねえ。石一筋で行くよ。とりわけヒスイにはゾクゾクするものがある。それを上手に引き出すのが俺の仕事ってわけだ。相手はめっぽう堅いから、苦労するんだがなあ。」大将が饒舌に喋る。

「おや、たまには人間国宝らしい事言うじゃないか」塩ジィがからかう。

「頭領さん。この石を勾玉にして譲ってくれるわけにはいかないの?」思い切ってトシが申し出てみた。

「イケン、アカン、ダメ!」途端に大将の顔色が変わって、その石をひったくった。

「冗談言っちゃいけねえ。これは王族・貴人だけが身に着ける高価なものだ。ボウズみたいな者にゃ無縁のモノ。いけねえ、いけねえ。この石はダメだ。碧玉かガラス玉にしな。なんならタダにしてやってもいいんだぜ・・」有無を言わさぬ迫力で、まくしたてる。

と、大将の視線が、気配を感じて塩ジィの方に注がれる。

太い声が響いた。「譲ってやれよ。高価なモノとは承知しているが俺のたっての頼みだ。その石、譲ってやれよ。」

大将はソッポを向いている。

ラチがあかないとみたのか塩ジィが「あーあ。思い出すなあ。酔っぱらって女を口説くのにヒスイの玉をチラつかせた男がいたなあ。結局、タダ取りされて泣きを入れてたのはどこのどいつだ。貴人だけのものというのが聞いて呆れるわ。」と一喝。

大将はふてくされたように下を向いてしばし無言だったが、観念したように笑みを浮かべた。

「塩ジィのたっての頼みとあれば仕方ない。物見櫓から飛び降りたつもりで譲ることにするよ。石の良さがわかるボウズのようだからな。」

「ただし、まるまる石は渡さねえ。」この原石の形状から、石を二つに割りその片割れで勾玉にした方が良いモノが出来るという。

「もう一つ条件がある」と言った。「俺も忙しいからな。ボウズには石磨きを手伝ってもらうことにする。自分で磨いて石と話すること。そうすりゃ有難味も倍増だ。どうせならケチな金はいらねえ。飛び降りちまったんだから、タダでいいよ。」

「ようーし。話は決まった。それでこそ俺のダチ公だぜ。人間国宝殿。今度、俺が一杯奢らせてもらうぜ。近くまた立ち寄らせてもらおう。」

スタスタと工房を後にする塩ジィ。トシはその背中を追いかけながら思う・・。

ホントにこれでよかったのか?でもあの石が自分のモノになると思うと喜びがこみ上げてくる。

さすが塩ジィの力。玉造工房を出て、トシはお礼を言った。「お蔭で考えもしなかった良いものが手に入りそうです。感謝、感激雨あられ。メシでも奢らせて下さい」

二人は一大率東側の賑わいに向かって歩き始めた。


一大率は伊都国志()()地区にあるが、北方向に一見島に見える陸地がある。伊都国志摩地区だ。そことは一本道でつながっていて、志摩を見る形がスペード型になっている。

根本にあたるのが一大率と東西の市場であった。

左右には海が入り込んでいて西は加布里湾、東に今津湾。

それを分けている一本道に志登の常夜灯(じょうやとう)がワタツミ(海神)を祀る祠と共に建っている。両側の港に夜、船が入港する時の目印だ。

西北には狼煙(のろし)(だい)のある火山があり、ここで焚かれる火と併せて船は自分の位置を確かめ、座礁(ざしょう)する事なく港に進入出来るのだ。遠くまで航海する大型船はこの目印を敬い、安全祈願をする。火山の炎が瑠璃(るり)(いろ)に輝くと難破する事はないとの言い伝えがある・・と塩ジィから聞いた事があった。

二人は今津湾に面する東市場のとある飲食店の前に来た。

塩ジィは酒と伊都特産のハマグリを、トシは焼魚定食を頼み、手を使って食べ始めた。トシの故郷、邪馬台国内陸部では魚といえば干し魚だが、ここは鮮魚が荷揚げされる漁港でもある。焼き立てのアジはとても美味い。


「伊都国は倭国随一の貿易港、商業地区だが、それは今山のお蔭なんだぞ」と塩ジィが口を開いた。

「今山?この刀子の?」トシは首にかけた皮袋を見た。

「大昔のこと。今山玄武岩から切り出した石斧が大人気でな。倭国中から注文が相次いだ。北は()()対馬(つしま)国。東は先の出雲国はじめ、いろんな倭人がやって来て石斧を買ったんだ。と、同時に自国の物産を持ち寄って商った。それが伊都国市場の始まりだ。」

その後、石斧人気は徐々にすたれる事になったが、なんでも手に入るという利便性で市場そのものは残った。

鉄の時代に入ると、この市場の賑わいは、更に増す事になる。韓半島の鉄鋌がこの地で陸揚げされて倭国各地に売られていく。つれて南の島からゴホラ貝に夜光貝、出雲の、めのうや碧玉。出雲経由で越のヒスイなど扱われる品物も多種多様に、取引量も増えていった。

のちに、一大率が鉄取引を一元管理するようになって他の市場での取引は密貿易として取り締まり、摘発を受ける様になった。そうなると、ますますここの市場の重要性が高まり倭国唯一の常設市場としてドンドン成長していった。

確かに伊都国は人口も少ない小国。しかし貿易がもたらす財力でヤマタイ連合国の中でも大国にひけをとらぬ発言力を持っていたのだ。

「もとはと言えば今山の石斧。伊都国繁栄も今山さまさまというわけだな。」

「それで今山側に市場があるんですね。」

「ああ、昔の市場は今山のすぐ近くにあったらしい。鉄鋌を運ぶ大型船が加布里湾の北、引津湾沖合に停泊することから今の一大率近くに移ってきたというのがここの歴史だ。」と塩ジィの講義が続いた。


そもそも、塩ジィは昔、貿易船の船長だった。足を痛め、引き摺るようになり、陸にあがって製塩業を任されるようになったという。今日は船長だった頃を懐かしむように話している。

「あちこちの倭国に行ったことあるんだよね。」

「ここらにある小舟じゃないぞ。引津湾にあるデカイ船でな。」加布里湾は浅瀬だから大型船は水深のある引津から出航する。積荷を満載して戻った時は、荷を小舟に積み替えてこの地に陸揚げする。大型船の船長だったのが塩ジィの誇りなのだった。

「デカイ船で何処に行ったの?」

「玉造の大将の話に出たように出雲には鉄鋌や青銅を積んで買付にいったな。越の国は遠すぎて行けなかったがな。北航路は瀬戸内航路と違って波が荒いんだ。」

「瀬戸内?」

「オカという国から出雲に廻らず、海峡を通って陸と陸の間の海を東に進む。島が多くて座礁しないよう海路を選ぶのに神経使うが、こっちは波が穏やかなのがやりやすい。」東方の国では絹と鉄鋌が交易品として利益となるそうだ。ともにヤマタイ国でしか手に入らない貴重な商材なのだった。

「瀬戸の海を東に行くと突き当りはどこなんだろう?」

「さあな。俺はアキやキビまでしか行ったことがないからわからんが、そこで会った向うから来た船乗りの話ではナニワやナラなどの国があるらしい。なんでもナラはえらく住みやすい土地と聞いたな。緑に囲まれ山には大木、川も多いし、近くに海みたいな大きな池があるそうだ。」

「ふーん。ナラ?」

「その南。山を越えたところにクマノという地があって海に面しているそうだ。その昔なんでも(じょ)(ふく)さんが腰を据えたという。」

「えっ、徐福?」知ってる名前が、ふいに出てきたので思わず甲高い声をあげた。その名前は、おばあちゃんや村の長老達から繰り返し聞かされていた。トシの出身地、邪馬台国の伝説上の人物で、実在したかは不明だが農業の神様とされている。

「徐福のことは俺にはわからんがクマノの、そのまた東には、まだまだ倭人の国が続いているそうだ。どこまで倭国か見当もつかんなぁ。」

ヤマタイ連合国家以外にも倭国はいろいろあるとは聞いていた。しかし瀬戸の海やナラやクマノなど具体的な地名、国名を聞くのは初めてだった。倭国の果てはどこなんだろう?それにヤマタイから他の倭国に行った人はいるのだろうか?

トシのつぶやきが聞えていたようだ。「そういやナラにヤマトの旧王族が住み着いて、向うでいい顔役になっていると云うウワサは聞いたことがある。」と塩ジィが答えた。

ヤマト。今ではその地域は併合され、邪馬台国の一部になっているが、昔は独立した国で、王もいたのだった。


その時だった。ドドーンと大太鼓の音が鳴り渡り、同時に火山(ひやま)から狼煙がのぼった。

「おやっ。あれは韓半島から貿易船が入港した合図だぞ。この天候というのに珍しいことじゃ。」と塩ジィが怪訝(けげん)な顔になる。

普段、貿易船は好天で波が穏やかな日にやってくる。そうでない時は手前の末盧(まつろ)(こく)で風待ちする。積荷は鉄鋌などの高価なもの。慎重に航海するはずだった。

「急がなきゃ」合図は緊急の集合の指令でもある。

一大率付属の学園生徒であるトシは、韓半島からの公の貿易船が着けば、学業や仕事を放り出して、積荷下ろしを手伝わねばならない。折角の美味しい食事だが、食べ残したまま、走って戻ることにした。

船着き場にたどり着くと学園の同級生にして親友、久米のケンが一足先に待機していた。ケンは塩ジィの甥にあたり体格はジィに似て屈強そのもの。見るからに体育系だ。日焼けした顔に海人族特有の黒い刺青(いれずみ)が目付きをより鋭く見せている。が、実は気の好い奴だ。

勉学は苦手にも拘わらず、中国研究会というサークルにトシがスカウトされた時、一緒に入会した。

トシとケンは並んで船の到着を待つ。

第一便の小舟がこちらにやってきた。第一便は貴重品と決まっている。銅銭の束や鉄鋌など重い荷物類が積まれていて、これが肩に食い込むので辛い。ケンは平気で担ぐが、柔なトシには苦手な荷役作業である。


小舟がいよいよ近づき、船上にいる人の顔が見えてきた。懐かしい顔。

「センパイ!」

「キクチヒコさんだ。」

二人は同時に声をあげた。キクチヒコ先輩は、昨年の春、学園を卒業して、エリートコースの韓半島駐在員に抜擢され、()()韓国(かんこく)に赴任している。

先輩の精悍(せいかん)な顔立ちがよりハッキリするまで近づいた。在学時から女子学生の憧れの的だったがますます男ぶりが増しているようだ。

先輩は中国研究会の二人の後輩を見つけて「よう久し振り。元気そうだな。」と舟から身軽な身のこなしで飛び降りた。

「波が立っているのに来られるとは。何かあったんですか?」

「おう、急ぎの使いだからな。韓半島の()()韓国(かんこく)長官の書簡を預かってきた。そうだ、今から一大率に報告するからお前等も同行しろ。」決めつけるように誘った。

「我々には荷揚げ作業が・・」と言い終わる前、先輩は、既に荷揚げ作業責任者の前に進み出ていた。

「韓半島より長官の重要書簡を届けにきた。直ちに一大率に報告の上、そのままヤマタイ本国への出発を予定している。ついてはこの二人に警護役を命じて頂きたい。」と談判している。

責任者は突然の申し出に困惑の態だったが、重大任務と言われては否とは言えず「そこの二人は作業中止。伝令役殿に随行し、しっかり警護せよ。」と命令を下した。

隣にいるケンはガタイ大きく、腕っぷし太く適任と言えたが。トシはみるからにひ弱そう。警護役と言われては、つい苦笑いが出てしまう。

一大率兵士の正装に着替えた二人は先輩と共に長官の居る建物に入った。外国からの賓客を迎える鴻臚館(こうろかん)も隣接してあり、大木を惜しげもなく使用した荘重なつくりだ。長官室の控えの間に通された。

伊都国王爾支(じき)も報告に立ち会うとのことで、国王が宮殿のある三雲屋敷から三雲川を下って到着するまで暫し待機することになった。


先輩は食事と水の饗応を受けながら「ところでチクシは元気か?」と訊ねてきた。

キターッ!。恐れていた言葉だ。前々から、うすうす感じていたがこのカッコイイ先輩も彼女に重大な関心を持っているのだ。チクシとは中国研究会の同級生、女性ながら会の部長の役にある。なにを隠そう、チクシの笑顔に釣られてスカウトに応じたのがトシ、ケンの入会の経緯であった。

先輩と自分を比較すればその差は歴然。強敵というより客観的評価で特大魚と雑魚のレベルの違いがあった。

「相変わらず元気印でトンピン跳ねてます。」

ナァとケンにも同意を求めた・・が、ケンの顔にも曇りが・・こいつも自分と同じことと考えているのかもしれない・・。

先輩は我々の曇り顔に頓着せず上機嫌の様子で「そうか、そうか。会いたいもんだ。」と頬を緩ませた。

笑顔の似合わない美男子っているものだ。いつものキリリ顔は百%の美男子だが、笑顔になると幾分落ちる。・・と思うことで少しだけ己の劣等感を和らげることが出来る。

話を変えるべく「重要報告って何ですか?」と聞く。

途端、先輩の表情に緊張が走った。

「長官に報告するまでは答えるわけにはいかん。」と返答を拒否した。ただならぬ役目で帰国した事が窺える。

ただ、先輩は「(りょう)(とう)情勢の件だ。公孫(こうそん)氏の・・」と付け加えもした。

やはりそうか。遼東情勢については、魏と公孫の緊張関係が高まっているとウワサがあった。 

遼東情勢問題については中国研究会の顧問、(じょ)先生にたびたびレクチャーを受けていた。


その遼東問題をレポートしよう。

当時、魏の傘下ではあるものの遼東地域の実質支配を任されていたのは公孫氏だった。韓半島に隣接する遼東。当然、帯方(たいほう)(ぐん)も公孫の領内にある。

いにしえより倭国の代表たる国家は帯方郡に朝貢していた。

したがってヤマタイ連合国家は魏に朝貢する形はとるものの、実際の窓口は帯方郡を牛耳る公孫氏となっていた。

もっとも公孫氏の関心事は、あくまで遼東以西の中国本国。韓半島経営や倭国に向けられていない。倭国にとっては、朝貢さえしていれば特に何事もなく友好関係を維持できるやりやすい外交相手だったと言える。


次いで、公孫氏の成り立ちと魏との外交の歴史を振り返ろう。

後漢末期に(りょう)東太守(とうたいしゅ)だった公孫度(こうそんど)は周辺国の高句(こうく)()()(がん)を叩き、更に朝鮮半島にも地歩を築き独立した勢力になっていた。こうした中、魏との外交関係が展開されていく。

当時の魏や曹操(そうそう)にとって優先すべきは呉や蜀とのせめぎあい。その為、東部や北の異民族の抑えには、公孫氏との友好関係を結ぶのが得策として、公孫氏に官位を与え支配権を委ねてきた。

公孫側も官位の低さに不満を持ちつつも魏と友好関係を築かねばならない事情があった。背後から高句麗の領内侵入に悩まされる遼東事情である。魏に対抗するなど思いもよらず・・とシブシブ従っていた。

そんなドライな相互関係だったが、次の公孫康(こう)の時代に入って友好関係が深まり両国は蜜月モードとなる。ところが康が没すると関係に変化が訪れた。

弟の公孫恭(きょう)が地位を継承したものの康の子である(えん)が228年にその位を簒奪(さんだつ)し恭を幽閉したことからギクシャクし始めた。 


淵は、表面上は魏に服属しながら呉との同盟を画策、魏・呉を両てんびんにかける動きを見せたのだ。

呉がこの動きに乗って使者を送り(えん)(おう)の地位を与える。公孫、ついに呉に接近と噂が流れた。が、淵は一方で、今度は使者の首を切り、その首を魏に送るという一貫性のない勝手放題の暴走外交を行った。

この裏切りに怒った呉の孫権(そんけん)は公孫討伐を決意する。しかし、側近が魏への対抗力として公孫に利用価値があることを説き、なんとか思いとどまらせるという一幕もあった。

魏もそんな公孫を信用するわけにはいかない。機会もみて懲らしめようとの思いを秘めながら、その思いとは逆に官位を引き上げて友好関係を維持する外交政策を採用していた。呉と公孫の関係を引き裂く方にメリットがあったからである。

魏も呉も、ねじれた思惑のもと公孫の暴走に振り回されていた。公孫側は魏と呉が睨み合っているのをいいことに両大国を手玉にとって、ニンマリ。ひそかに野心をふくらませる事になる。

公孫の態度は、両国からいつ討伐を受けかねないという危うさがあるのだが、淵は意に介さない。三国志に割って入り新たな主人公として四国志を夢みていたのだ。遼東情勢は何時、何が起こるかわからないキナ臭さが漂っていた。


そして今年237年、魏と公孫氏の関係には決定的な亀裂が生じることになる。公孫氏は魏の臣下という立場で、会計報告、貢物納付の義務が課せられていた。淵はこれをスッポかしたのだ。

そして咎め立てにやって来た魏の使者を、軍隊で包囲しながら迎えるという反逆姿勢を見せた。

堪忍袋の緒が切れた魏の皇帝曹叡(そうえい)は、若き頃の学友、そして今は側近として仕える母丘倹(かんきゅうけん)に相談する。

母丘倹は、曹叡(そうえい)祖父曹操(そうそう)に匹敵する能力はありながら、これといった実績を残せていないことを指摘する。

「呉や蜀の制圧がままならない現状では東方を平定して、帝の後世に残る功績となさいませ。」とけしかけた。

そこで曹叡は母丘倹自身に討伐軍を統率させ、遼東方面に進軍・駐屯させてプレッシャーをかけた。東方制圧が出来れば母丘倹も大出世する事、間違いない。

これに対し公孫淵はいつもの、手玉にとるような外交姿勢で臨んだ。魏に申し開きの使者をたて、許しを乞う一方、これを迎え撃つ体制も整えたのである。

そして魏が、詔勅(しょうちょく)により淵を召し出そうと最後(さいご)通牒(つうちょう)を突きつけるや、魏との戦いを諌める重臣を血祭りにあげて旗幟(きし)を鮮明にした。母丘倹率いる討伐軍向けて出兵を決めたのである。


この結末がどうなるか周辺諸国にとっては重大事。ヤマタイ連合国家にとっても注視せざるを得ない事態である。もっとも前評判は国力でまさる魏の圧勝。仮に、ブックメーカが高配当を提示しても公孫に賭ける勇気は誰にもなかっただろう。先輩はそうした情勢に関する新情報を報告に来たのだ。倭国の出先、()()韓国の重要任務は鉄の入手と外交情報の入手だった。

 


一大率長官室。

控えの間に秘書役が入ってきて「長官殿と伊都国王の会見準備が整った。本殿に入るように」と告げた。先輩に続きトシ、ケンが部屋に入ると、長官と国王がなにやら親しげに話をしていた。

長官はヤマタイ本国が任命する。そして長官自身もヤマタイの名門の出身だ。しかし、母方は伊都の王族に繋がり爾支(じき)とは親戚関係にある。あの、卑弥呼様も、母方は伊都国の出という噂も聞いていた。

実のところ、ヤマタイ連合国は邪馬台国と伊都国がタッグを組んで創り上げたといっても過言ではない。それぞれの農業生産力、交易力を背景に共同戦線を張り、他国を凌駕(りょうが)して連合国を(まと)め上げたのだ。それだけ両国の結び付きは密接なのである。親しくするのは当然の事だった。

それにしてもこの二人、トシ達にとっては(まぶ)しい存在の二人だった。ヤマタイ連合国家で五本の指に数えられる大物の内の二人である。その二人に顔合わせ出来るとは畏れ多い。

もっとも、トシとケンは部屋の入口付近に待機しているだけだった。二人に近づくことが出来るのは先輩だけである。


「その方が伝令か。この天候の中、急ぎの渡海で大変であったな。」長官がねぎらいの言葉をかける。

「狗邪韓国長官より預かってまいりました。」先輩は竹簡を捧げ持ち、うやうやしく差し出した。

長官は封泥を解き竹簡に目を通すと驚きを隠さず「これを。」と隣の爾支に手渡した。

「なんと!公孫が魏との戦いに勝利し魏の軍団は退かざるを得なかったとある。公孫淵は燕王として君臨、百官を置いたとの事。」 

「魏から完全に独立したという事でござるな。」

「てっきり魏の勝利と思っておったのが想定外じゃ。これでは我がヤマタイの対処の仕方が難しくなったな。即断は出来ぬぞ。」

先輩は「韓半島の出先として狗邪韓国が事態にどう対処すべきか、ご指示を仰ぐよういいつかっております。」と付け加えた。 

「わかっておる。最終判断はヤマタイ本国になるが一大率長官として所見を出さねばならん。」

「帯方郡に属するヤマタイは公孫氏へ朝貢してきた。しかしそれは魏の代理としての公孫氏へのもの。公孫そのものに対してではない。」

両国が戦闘状態の今、これまでの朝貢先の公孫、本来の朝貢先の魏、どちらの側につくか選択を迫られる事が予想された。

「魏につくか公孫につくか、この選択は慎重にせにゃならんのう。」

長官・国王の会話が続いた後「狗邪韓国長官はどう考えているか?」と質問が下った。現地の考えを聞いて判断材料としたいのだ。

先輩は「性急な結論は得策にあらず。公孫の王位を承認するのを先延ばしして静観するのが良いだろうとの仰せです。来年6月の朝貢時までに・・」と返答した。

公孫の独立を承認し、祝いの使者を立てれば魏に敵対とみなされる。魏を支持すれば公孫に睨まれる。

「それしかないな。しかし朝貢時の情勢が今と同じく不安定のままだったらどうする?」この件、ヤマタイ連合国としては、先の先を読んで対処すべき事なのだが、今ある情報だけでは判断に迷うところなのだ。

長官と国王の会話が途切れたところで先輩が口を挟んだ。「中国の情勢に詳しい一大率学園の徐先生を呼んで意見を聞かれたらいかがでしょう」

「おう、そうだな。それが良い。」と二人も応じた。

徐先生は中国から船旅の途中、難破。倭国に漂着して、学園で中国語の教師をしている。しかも、めっぽう魏、呉、蜀の三国情勢に通じている得難い知識人だったのだ。


先生が呼ばれ先輩の隣に座った。

先生が「公孫と戦った魏の将軍は誰だ?」と尋ねた。

母丘倹(かんきゅうけん)と聞いております。陣地に雨が降り続き、戦闘続行が不可能と判断して中国に逃げ帰ったとのことです。」

「母丘倹?ああ、曹叡(そうえい)幼馴染(おさななじみ)。あやつ、出世のチャンスを得ようと帝にけしかけたんだな。」先生は魏の将軍の事を詳しく知っておられるようだった。

「おそらく母丘倹はチキンゲームで勝てると踏んで出兵したんだ。」

最終的には魏の威光に恐れをなして公孫はギリギリのところで引く、と読んで母丘倹は出兵した。ところが見込み違いの反撃にあった。それでアワ食って軍を引き揚げさせたのだろう。それが先生の見立てだった。

「兵を動かすという点で何の実績もない奴です。そこに勝機ありと公孫がタカをくくったのでしょう。・・魏は最低の将軍を準備したわけですな。しかし母丘倹が早々に敗北してかえって良かったとも言えます。膠着(こうちゃく)状態が続けば呉の参戦も考えられた。」呉が参戦すれば事態はより大きく流動化する。

含み笑いの表情を浮かべて先生は続けた。「魏は今回の敗北でこのまま遼東を捨て置くことは出来なくなりました。」

「また戦いがあると申すか?」

「誰か大物を繰り出すハズです。東の周辺諸国に実績のある田豫(でんよ)か、兵法にたけた司馬懿(しばい)のどちらかですな。共に老齢ですから生きていればの条件が付きますが・・。いずれにしろ公孫ごときになめられ続けるようでは、呉と蜀も魏に対する圧力を強めましょう。魏の存亡にも係るゆえ次は必勝を期すと思います。」

「それで大物が起用された場合はどうなる?」長官が質問する。

「公孫はお終いでしょう。公孫が呉や蜀と深く連携しているのならともかく、呉は本気で援護を考えていません。公孫とは状況次第で、互いに利用しあうだけの淡い関係ですから。」

「それでは公孫への祝いの使いは出さない方が良いのだな。それに来年の6月予定の朝貢もどうしたものか。それまでに決着は着くと考えるかな?」

「無論、公孫への祝いはするべきではありません。緊迫した情勢につき祝い事は遠慮させていただくと先延ばしするのです。また公孫が朝貢時まで持ちこたえるかについては現時点では判りません。最終的には公孫は滅亡するでしょうが、その間のことは、どちらに転んでもいいよう手配するしかないでしょう。」

「わかった。ご苦労であった。下がってくだされ。」

先生が退出した後、長官がまとめるように言った。「我々の所見は決まった。狗邪韓国長官の見解、先生のご意見はほぼ同じだな。今回は静観することとする。来年の朝貢は、事態の推移を見て判断する。ヤマタイ本国に出す書簡をしたためるので伝令役は暫し待機するように。」


先輩、トシ、ケンの三人が控えの間に戻って待機している時、伊都国王がひょっこり部屋に入ってきた。

「使者殿。今日はお疲れでしょう。うちに来ませんか。ヤマタイ本国には明朝旅立たれるはず。一大率に泊まられるより我が家から出発するのが近い。旅の準備も整えさせますし、お供の方の分も用意します。長官には私から了解とりますので宜しいですな。お供の方には船漕ぎを手伝ってもらう事になりますが、よろしいかな。」国王直々の申し出である。この親切な申し出を有難く受ける事にした。


伊都国王の飾り立てた専用船に乗って、いざ出発の時「おじい様待ってー」と突然小走りに乗り込んできた少女がいた。

学園のアイドル、ミクモ姫だ。今春から学園の巫女学コースで学び始めている。入学するやいなや周囲の視線を釘づけにする、まごうことなき美少女である。

国王の孫娘とあって原則全寮制の学園で唯一通学を許されている。クラブにも入らぬ帰宅部の特別な学生だった。

権力者の孫とあらば、男子も気軽に声は掛けられない。何せ、おすましやで笑顔を見せたことのないと評判だ。

その美少女が、おじい様たる国王、そして並んで座る先輩に向かって、こぼれるような笑顔で挨拶をした。

初めて見る笑顔、見せたことのない笑顔を拝謁する栄光に恵まれたトシとケン。これはこれは、学校の仲間に威張って話せるビッグネタを得ることになった。

ミクモ姫の笑顔はさらに美少女度を増やすことになる。ピンナップで売り出せば即日完売必至のしろものになるだろう。トシは「笑顔で落ちる美男子あり、笑顔で高まる美少女あり」と感じ入った。 


王と先輩が話を再開したのを機に姫は「あら、あなた方もいらしておられたのですね。」と振り向いた。こちらの顔ぐらいは一応見知っているとみえて声を掛けてきたのだ。

「そちらは中国研究会を卒業されたキクチヒコ先輩。今回、伝令の役目で狗邪韓国から帰国されこれからヤマタイ本部に報告にいくところだ。我々はその警護役で同行している。」「あら、そうなんですか。お名前はキクチヒコ様なんですね。あのお方、韓半島の駐在をされておられるんですね。お役目、ご苦労様です。」呟くように言うと、もう我々と話を続ける気は無いらしく向うを向いている。

「おじい様。私も韓半島のお話をお伺いしたいの。」と二人の間に割り込んで座る。淑女と思っていたが案外と案外なのだ。


船が動き出した。後部座席で(かい)を手にしている二人。ケンは手慣れた動き。トシは懸命にマネをしながら櫂を動かした。ようやく要領が掴めて、やや余裕が出てきた。

「意外だな」と小声でトシが話かけるとケンも応える。「うん意外だ。うん可愛い。うんハンサムだ。」

先輩とミクモ姫。筆者の時代で表現すれば、往年のアランドロンとローマの休日のオードリーヘップバーンが目の前で共演してるが如きである。

スイングジャーナル、メガホンおじさんも完全脱帽する超五つ星のカップルである。わかる人にはわかる表現かな?

「うん、これは呉越同舟だな。これは。」ケンが珍しく中国の故事を口にした。

「はあ?呉越同舟とはイミが違うぞ。カタキ同士が船に同乗した時、こと水難に臨めば過去を忘れ一致協力して難局を乗り越えるというイミだけど・・」

「あ、そうか。うん、恋なんてカタキ同士みたいなところがあるんだろうな。仇も恋人も、会った瞬間、目が釘付け・・」

恋を知ってるかのようにわけのわからん言い方だ。いずれにしろ我々はこの空気の中で圏外のヒトになっている。

ケンはなおもこの話題を引っ張った。「これは大変な出会いだな。男なら誰でも引き寄せられる美少女と、女なら誰でも憧れる美男子の出会い。どちらが勝つのか、矛盾のモンダイだ。」

どんな盾でも刺し貫く矛にどんな矛でもガードできる盾。このケース、相思相愛になれば矛盾は溶解し、互いに無関心なら矛盾は消失する・・と思ったがケンにしては冴えたコメントをするので、乗っかって解説することにした。

「先輩が負けるとすれば身分の差。先輩は自分の事を言わないヒトだからわからんのだが我々より高い身分だろう。しかし相手は国王の孫娘。これは大きな隔たりだ。姫が負けるとすれば幼さだな。まだ十四、五歳。男盛りに入った先輩を誘い込む色気はこれからだ。」

 「賭けるか?」とケンが悪乗りする。

「俺は姫の勝。」

「じゃあ俺は先輩だ。」

トシはそう言ったものの、内心は姫に勝ってもらいたいと思っていた。なんせ先輩の帰国第一声がチクシのことなのだ。先輩の関心が別に移ればホッとできるというもの。


ヒソヒソ話の間、船は三雲川を遡上していく。葦の茂る川べりにところどころ船溜まりがあり中型の魚船が係留されていた。

「漁船なんだから海際に停めればいいだろうに。その方が便利なハズなのに」

船乗りの久米族出身のケンが即座に答える。「エッヘン。それは違うな。海に停泊するとフナムシに食われて長持ちせん。小型船なら軽いんで浜に引き上げるが、中型船は川に繋ぐのが常識デス。」

「大型船は?」

「大型は浅瀬に入れないので水深のある港に停泊する。時々皆で陸にあげて付着したフナムシと洗い落とす。この作業が大変なのだ。」

「さすが大型船を操る海人族。」

「当たり前、幼い時から遊ぶのは船と海だからな。」

「お前、塩ジィの若い頃のように船長として海を駆け回るのか?」

久米族は大型船を取り仕切る頭領を輩出する。現に塩ジィの跡目は弟であるケンの父が継いでいるのだ。当然、腕っぷしの太いケンは次期頭領の有力候補で間違いない。

「いや、俺は武人になる。先輩は、今は行政官として赴任されているが本来は武人だ。将軍としての素質はピカ一だ。俺には行政官のアタマはないが武人としてなら先輩のマネはできると思う」

真面目な顔で続けた。「俺は蜀で活躍した(ちょう)(うん)が好きだ。武人の美学を守り通す姿勢が良い。中国研究会に入っているのも船乗りの為ではない。倭国の趙雲になるのが目的なんだ。」とキッパリ宣言する。

「そーかあ。私欲持たずに勇猛果敢の趙雲。徐先生が話してくれた三国志のキャラクターでは(こう)(めい)の次に好きだなぁ。俺も。」とトシは応じた。

しかし・・と塩ジィの顔が浮かんだ。「塩ジィはお前がゆくゆくは頭領として久米族を引っ張っていくのを期待しているんじゃないか?」

ケンはそれに答えず船の舳先(へさき)を見ていた。「もうすぐ屋敷だ。三雲桟橋(さんばし)に着く。」


三雲は伊都国の源である。北西に見える平原(ひらばる)の丘には大巫女様と呼ばれる現国王の曾祖母の墓と祭祀台、そして太陽をはじめ天体の運行を測量する天文台がある。日向(ひなた)(とうげ)に向かい、国王自ら、季節の変化を観察して田畑の種まきのタイミングを計り、民に指示を下していた。

「あの、大巫女様は、卑弥呼様の祖母にあたるらしいよ。」ケンが囁いた。

卑弥呼様の母が伊都国から邪馬台国に嫁ぎ、大巫女様が体系づけた巫女術をヤマタイ全体に浸透させた。それが今の、卑弥呼様のヤマタイ連合国家に繋がっているのだ。

となると、ミクモ姫は卑弥呼の遠縁と言う事になる。となると、卑弥呼様も美形なのかな・・と思うが、よく考えれば卑弥呼様は既にご高齢。昔はどうあれ、おばあ様に変わりは無いだろう。

ともかく、伊都国の繁栄は背振山系、高祖(たかす)山、平原の丘にいだかれた、この地から始まったのだ。

桟橋を上がり、屋敷に向かう途中、大きな半円形の塚がいくつか築かれており、それを仰ぎ観るように大きな祠が建立されていた。

「あれは国王の祖先の墓だ。市場を活性化して伊都国を奴国に優る大国にした功労者を祀っている。」とケンが解説した。

さすが立派な墓と祖先を祀る祠・・・そこは細石(さざれいし)神社と名付けられていた。そこを過ぎると大きな屋敷群がまもなくだ。

三雲にある国王の屋敷は、一大率にある外交使節用の迎賓館(鴻臚館)にも劣らない居館、いや宮殿だった。三人は国王家族が暮らす本館ではなく賓客接待用の別館に通された。

館内のあちこちに中国製とみられる青銅器の品々、南洋の貝や真珠の装飾品が陳列され、交易で栄える伊都国の栄華を一目瞭然で感じことができる。


宴席の用意が整ったと告げられ大広間に招かれた。国王が中央に座し、右手に先輩、末席にトシとケン。左手に国王の妃とミクモ姫が座った。

「これは伝令役殿を慰労するための、内輪だけのささやかな宴。ありあわせのものですまないが気取る必要はない。十分に飲んで食べ、ヤマタイ本国への旅の活力とされよ」と国王が口火を切り、妃も「皆様、お役目ご苦労様でございます。そちらのお二方も姫のご学友との事。いつもお世話になっておりますれば、遠慮のう召し上がってくださいませ。」

驚いた。学園では一言も言葉を交わしたことがないのに、我々はご学友になっている。これは?・・姫のさしがねによって行われる宴であることは明らかだった。

「国王に感謝します。」と三人は口を揃えた。

「伊都国の繁栄を祈念して・・」先輩が乾杯の音頭をとり宴が始まる。

ささやかとは言われたが我々にとっては御馳走の山。どこから手を着けていいものか。先輩や姫が口にするものにならって食べ始める。ここでは普段の手掴みによる食べ方ではない。中国式の箸を使うのが厄介だ。

「キクチヒコ殿は邪馬台国の伊支(いし)()殿の推薦で韓半島に赴任されたのであるな。」国王が口を開いた。

「ハイ。伊支馬殿とは遠い親戚関係に御座いますので、お口添えを賜って貴重な経験を積ましていただいてます。」

「赴任する前は一大率学園におられたが年長での入学との事。それまでは何をされていたのであるか」

「ハイ。私は学問より武人として生きようと思い武芸の修行に勤めてまいりました。しかしだんだん考えが変わってまいりまして・・これからは韓半島はじめ広い世界を知る必要があると。それで伊支馬殿に無理にお願いし学園の門を叩いた次第であります。」

「念願叶って駐在になられたんですね。どうです韓半島でのお仕事は。倭国と違いありますか?」妃が尋ねた。

「私は伽耶(かや)の鉄の買付を担当しております。(らく)東江(とうこう)という大きな川がございまして川を遡上してその川沿にある梁山(りょうざん)という地域の製鉄所に参ります。そこの取引所で出来上がった鉄鋌を買い入れます。狗邪韓国と製鉄所を行ったり来たりの毎日ですが、風景などは倭国と変わりません。」

伽耶(かや)は倭人の祖地と言いますからね。私も男だったら一度は訪れてみたいですわ。」

「伊都国に伽耶山がありますが向うにも同じ伽耶山があるんです。一度行ってみたんですが、全く似てませんでした。伊都国の方に軍配が上がります。カッコ良い、山の姿ですから。ハハハ」

「製鉄所とは鍛冶工房のようなところかな。」と国王。

「同じ様に火を使いフイゴと呼ばれる火力を上げる装置を使うんですが、鍛冶工房とは比べ物にならないくらい大きなものです。作業場はとにかく暑い。沢山の鉄鉱石と大量の木炭を炉に入れて、高熱で溶かしたものが鉄になるんです。」

「鉄鉱石?。鉄は石なんですか。」

「鉄分を含んだ石から不純物を取り除いて鉄を取り出します。梁山に鉄鉱石の鉱山がありまして、そこで掘っています。私は中国から流れてきた製鉄職人と親しくなりましたが、その者が言うには伽耶の鉱山は露天掘りが出来、埋蔵量も多い最高のものだそうです。中国では掘出すのに山に穴を掘り長い坑道を作って運び出さねばならず大変な作業だそうですから・・」

「ほう。」

 「製鉄所は面白い所です。取引所には様々な国からいろんな部族が集まりますからね。韓半島や中国の情報はここからもたらされます。公孫が母丘倹を退けたという情報もいち早く流れて来ました。」

「そうだったか。」


「国王。取引所で感じた事があります。鉄鋌を買う国や部族間のバラツキです。帯方郡を牛耳る公孫氏が軍備増強で買っていくのはわかりますが、辰韓や馬韓の数ある部族のうち特定の部族達がその国の規模以上に買っていく。農具用だけじゃない量です。ヨロイ、カブト、鉄剣等武具を作る為の調達じゃないかと思われるんです。部族間に軍事力の差が出てくるということは、そのうち馬韓、辰韓でそれらの地域をまとめる統一国家が出てくるのではとも考えられます。」

先輩の言葉に熱が入ってきた。

姫を前にした会話にふさわしくない気がするが・・

「一方で倭国と親しい弁韓はというと、鉄鉱山のお膝元なのに抜きんでた軍事力を持つ国が無い。鉄のもたらす権益を部族間で分け合い、そのことで得る比較的豊かな経済基盤が抗争を生まないんでしょうけれど・・。」

さらに先輩の熱弁が続いた。

「しかし北方の弱肉強食が当たり前の国家間対立の波が韓半島南部に押し寄せた場合を考えると弁韓の無防備は気になります。何かのきっかけで圧迫され領土を奪われるとしたらどうでしょう。弁韓が呑み込まれるのはともかくとして、倭国への鉄供給が難しくなったり、あるいは最悪のケースで倭国自体が侵略の対象になるのではと恐ろしくなるのですが・・。」

「韓半島駐在になって日も浅いのにそこまで考えるのはたいしたもんだ。ただ、現時点で馬韓、辰韓で統一国家を目指す者が現れて、戦乱があったとは聞いたことがない。部族連合がうまくいっている証ではないのか。あまり先回りしては杞憂と言う事になるぞ。ハハハ」ややウンザリ気味に王が応じた。

「しかし・・」と先輩が続けるのを遮って国王が言う。

「今日は姫がねぎらいの為、舞を舞うそうだ。さあさ、食べて飲んでうちの孫娘を観てやってくれ。」


舞が始まった。先ほどミクモ姫が席をはずしたと思ったら何時の間に衣装を変え、あでやかな舞姫姿になっている。笛や太鼓、中国伝来の琴の楽隊も従えて、神楽(かぐら)(すず)を微妙に打ち鳴らす踊りは圧巻だった。

きらびやかな衣装と化粧は女性を変える。可愛らしさに妖艶さが加わり、これはっ・・とトシが感じ入った時に、ケンが肩を寄せ耳打ちしてきた。

「ミクモ姫に色気が出ては死角なし。賭けを忘れるなよ。」既に勝ち誇った言い方だ。

「素晴らしい!」とその踊りを褒めちぎっている。

舞が終わり、姫が酒を注ごうと先輩に向かい、満面の笑みでお酌する。

「お口に合うもの、ありましたか?」

「全て美味しい。有難う。そこの二人にも少し注いでやってくれ」

未成年飲酒禁止がない時代である。

「恐縮です。戴きます。」

「お二人ともキクチヒコ様の警護役でしょ。キチンと守って下さいね」

トシは「勿論ですとも。ご学友の頼みなら」と茶化して言ってみた。

姫はいたずらっぽく笑って声をひそめてささやく。「私に味方して下さいね。」

ケンも答えた。「勿論ですとも。ご学友ですから。」

三人で笑ったのもつかの間。ミクモ姫はキクチヒコのもとに足早に戻る。

「お話でおうかがいしました洛東江は大きい川なんですか?」

「ヤマタイ国のなかで一番大きいチクシ川よりもっと大きい。ただ、上流と下流の高低差が少なくゆっくり流れる川なんで、河口に土砂がたまって湿地を形成しているのが難点ですね。海から直接、川につながってないので船が使えず、陸路でモノを運ばないとならないのが厳しい。鉄鋌は重いんでね。」

「大変なお仕事ですのね。」

「鉄鋌はヤマタイに富をもたらします。宝を持ち帰るんですから頑張らざるを得ません。」

・・・会話はなおも続いている。が、姫が笑顔なのに先輩は生真面目に答えるだけ。姫の舞に言及することもなく、イマイチどうもノリが足らない。先輩には、あの妖艶さは届かないというのだろうか?

懸命に話を絶やさないようにする姫をさえぎって先輩は国王に礼を述べた。

「私どもの為にご歓待頂き有難うございます。もう十分頂戴致しました。明朝は夜明け前に出立したく存じますので、ここらで失礼させていただきます。有難うございました。」

宴はまだ半ばとも言える時間だった為、国王も一瞬憮然とした表情を見せたが・・

「おお、キクチヒコ殿は急ぎの長旅で疲れておられよう。この辺でお開きとするか。出立の用意をさせておくゆえ今日はゆっくり休まれるがよかろう。」とお開きになった。

寝室に入ると先輩はすぐに寝息をかき始めた。我々も久々の酒が効いてきたようだ・・・。


翌朝。まだ夜明けも遠い深夜に属する時間帯に先輩に叩き起こされる。我々が動きだしたのを察知してか、料理番が朝食を持って来てくれ部屋食する。

弁当は出立までに作っておきますので調理室に取りに来てくださいとのこと。兵服に着替え調理室に行ってみるとミクモ姫が待っていた。

「これはあなた方の。こちらはあの方の為の弁当と水筒です。」

竹の皮に包まれた弁当類を受け取った。

あの方の弁当箱には花飾りが施されている。学校で見るタカピーな姫からは想像もつかない言動に戸惑う、ここ一両日である。

姫は見送りにも出てくれた。「帰還される時にはまた、是非、当家にお立ち寄り下さい。国王がそう申しておりました。」

セレブお嬢様が深々お辞儀するのを背に我々は出発した。


程なく山裾に入ると木製の鳥が上にとまった鳥居が見えた。伊都国境界のそこにはに関所があり、左手は日向峠、直進すれば伊都峠と道別れしている。夜中でも(かがり)()が焚かれ兵士数人が警備している。

こちらが一大率兵士の正装をしていたこともあり、難なくフリーパス。あとはケモノ道のような道を、伊都峠を目指してひたすら山登り。白々と夜明けを迎え、鳥のさえずりがやかましく聞こえて来た頃には三瀬峠に向かう道に出た。

先輩とケンは体を鍛えているだけあって急な坂道も、へでもなく歩む。トシには慣れない兵装と鉄剣が体に食い込むようにこたえる。弁当・水筒はケンが面倒みてくれているのにこのザマ。日頃、体を甘やかしている自分がうらめしく思える。途中すれ違う商人でさえ重い荷と護身用の剣を携え、疲れを見せずに歩いているというのに・・。

やっとの思いで三瀬を越え、北山に入った水場で休憩を取ることをトシが提案する。

二人は憐みの表情で渋々承諾してくれた。

例の花飾り弁当を渡しながらケンが言う。

「先輩はモテますねえ。姫の手作りですよ、これは。いやー、マイッタマイッタ。」これまでの愛の進捗状況は、姫だけが積極的で、先輩の反応が薄い。

ケン、このままでは賭けに勝ち目は無いと悟ったようで何かを狙う作戦に出たのか?

竹皮弁当の中味は蒸しおこわの握り飯にアサリの煮物と塩漬け野菜。美味しく頂いたが先輩の分にはアワビとハマグリの煮物が添えられていた。

「昨日は国王の評価もマズマズだったじゃないですか。お似合いですよ。いかがです。なんたって姫はあの卑弥呼様の遠縁にもあたる育ちの良さですよ。伊都国王の親戚になれば出世間違いなし。大夫(大臣)か一大率長官も夢じゃありませんよ。」とご学友として約束の「味方」を実践した。

が、「バカを申すな。俺はあんな小娘は好かん。笑顔を作って寄ってくる女は大嫌いだ。」と一蹴された。

「いや、それは先輩にだけ特別に見せる好意です。普段、学校では近寄り難いオーラで笑顔一つ見せたことはありません。軽い女じゃありません。気を引こうと精一杯のサービスのつもり。いじらしいじゃありませんか。」

トシも援護射撃するが「俺には関係ない話だ。どうでもいい女のことはもう話すな。」と撃沈した。


「俺は、本当は国王に倭国統一への理解をしてもらいたかった。」先輩の目があやしげな光を帯びてくる。

「国王が言われるように現時点では部族連合でもなんとか国の運営は出来る時かもしれん。しかし、いつかは統一国家にせねば後悔する時が来る。倭国は広い。東方にはイズモやキビ、その先どこまで伸びているかわからんと言うではないか。それらを統合して強い倭国統一国家を創り上げれば、何が起ころうと安泰な国づくりが出来るというものを。」先輩、韓駐在になって何か大きな事に気付いたようだ。どこまでも倭国統一にこだわる。

「部族連合では対外リスクに対応出来ませんか?」

「昔、今の馬韓沿岸部に浦上八(うらがみはっ)(こく)と云う倭人の海人族が住んでいたのを知っているか。馬韓の連中が南下し領土を圧迫されて沿岸の島に逃れた。今では倭寇(わこう)と呼ばれて、逆に馬韓の連中に海賊行為や略奪を行って恐れられている。」

「海人族ですか?」自分も同じ海人族のケンが相槌を打った。

「昔は自分達の土地。それを奪われた者にとって仕返しするのは当然、と、暴力を正当化しているが、悪事を働く事をひとのせいにするのはならず者の論理だ。部族に安住し、外からの侵略に備えなかったのが問題だ。八国がまとまり、弁韓、辰韓と連携しておれば国を奪われずにすんだ。部族同士のゆるい連合など、用意周到な敵が牙を剥けば弱点を突かれて瓦解するのが当たり前。まして内乱が起こるような部族連合は恰好の餌食になろう。」

「内乱と言えば塩ジィが子供だった頃、倭国大乱があったと言っていた。今は卑弥呼様共立のもと平和が戻ったと・・」ケンが反応したが、先輩はこれを無視した。ピントがはずれていたのかも知れない。

「倭国を狙う対外勢力があるとすれば、それは誰でしょう?」

「いろんなシナリオがあるからな。俺が言いたいのは仮に今現在、外敵がいなくとも備えをすべしということだ。」

それに・・と続けた。

「侵略が無いとは誰も言い切れん。現に我々だって韓半島弁韓伽耶族が祖先というではないか。海を渡り倭国に来て、当時居た原住民の土地を乗っ取るかたちで定住している訳だ。もともとの原倭人、(つち)蜘蛛(ぐも)族にとって我々は侵略者なのだ。」と先輩は言う。

そういう見方も出来るのだ・・とトシは新たな視点を教えられたように感じた。


「そろそろ行くか。」

歩き始めて「そういえば、ここから西に行ったところに温泉があるそうですよ。」とケンが言い出す。

「温泉?」

「徐福サンが見つけた、湧き出る生暖かい水のことで、そこに浸かるとたちどころに傷が治り病気が癒えるという不思議な温泉だそうです。キジが言ってた。」

キジとは今年中国研究会に入った新入部員である。

「ほう、面白そうだな。火を噴く山もないこの地に温泉が湧き出るとは。」こちらのケンの話は、ピントが合っていたのかもしれない。

「行ってみますか?」とケンが冗談を言い、トシが「寄り道している場合か。」とそれをたしなめる。

我々はヤマタイ本部がある神崎(かんざき)の地に急ぎ、歩き始めた。


有明海に注ぐ城原川沿いに急峻な山道を下りると、そこは神崎の関所。麓に本部があるせいかハンパないほど兵士が多く警備厳重。その兵士達に取り囲まれた。しかし一大率兵士の正装の効果はテキメンで本部に行くことを許された。日は暮れていたが、高官と面会が叶う段取りになる。

本部では我々の持つ剣でさえ窓口預かりとなった。いよいよ面会。高官とはいえ、この時間に会ってくれるのはせいぜい次席クラスと思っていたが、待ち受けていたのは、なんと長官、伊支(いし)()様。

邪馬台国の(かんむり)として女王の卑弥呼様がいるものの、ヤマタイ連合国を実質的にきりもりしているナンバーワンである。


接見の間に呼び入れられた。中央の一段高いところ、眼光鋭い壮年の男が我々を見下ろしていた。相手はキレ者との呼び声高い、伊支馬様その人である。

「お久しぶりで御座います。その節は大変お世話になり感謝の言葉を言い尽くせません。お蔭様で卒業後韓半島駐在の大役を拝命することが出来ました。この度は伝令役を仰せつかり、こうして再びお会い出来る事を嬉しく思います。」

「おう。俺もお前と会えてうれしい。この日が来るのを楽しみにしておったぞ。」

「早速ながら一大率長官の書簡にござります。」手渡された木簡の封泥を解き、確かめるように文面を読んだ。

「やはり公孫は事を起こしたか。魏も甘く見過ぎていたな。」と呟く。

「ヤマタイとして公孫への祝いの使者は先送り。来年の朝貢時に情況をみながら対応すべしというのが一大率の意見じゃな。わしもそのように考える。」読み終えた伊支馬様の目が先輩に向いた。

「狗邪韓国はじめ各地の長官、伊都国王も同意見で御座います。」

「皆もそうか。判った。男弟殿に答申し卑弥呼様へ報告の上、最終結論を得よう。明日こちらに参った折、本部としての正式返書を渡すゆえ本日はゆるりと疲れをとるがよい。」と言ったあとで、思わぬ言葉が下った。

「とは言ったものの、既に男弟殿はお休みだ。明朝会う事になる故、今の私には時間がある。どうだ、おぬしと一杯いくか。」

「恐れながら、この供の者達、学園在籍時にいたサークルの後輩でもあります。御一緒させても宜しいですか。」

「ああ。わしは構わんぞ。」

驚きの展開だ。近くで話が聞ける機会など思いもよらない、ヤマタイのトップ達に連夜で会える。これも先輩のお蔭と二人の後ろについて別室に入った。


驚きだ。てっきり上座に座ると思っていた伊支馬様が、先輩と同格の座り方で対面した。

「のう。キクチヒコ。おぬしも相応の歳だ。嫁を取る気持ちはないか?」

「はあ。今のところその予定は御座いません。半島で学ぶことが山ほどありますので・・」

「そうか。急ぐ話ではないのだ。相手もまだ幼い年頃だろうからな。実は伊都国王爾支殿の孫娘にミクモ姫というのがいて・・」

「その娘なら知っております。」

「学校では入れ違いで会うはずはないがのう。」

「昨日伊都国王宅に宿泊させていただき、その折に会っております。」

「美人、美人とえらい評判でウワサがこちらにも伝わっておる。会っているなら話は早い。仲立ち致すがのう。」

ヤマタイナンバーワンが仲人を買って出る。一体、先輩はナニモノ?との思いがふくらむ。

「その話、ご勘弁下さい。美人であることは認めますが、あの手の小娘には興味ありません。嫁は自分で探しますので心配御無用に願います。」

「そうか。飲みたくない水を無理やり飲ますわけにはいかんなあ。まあ、こちらの水はイヤではなかろう。ハハハ」先輩の持つ杯に、酒をなみなみと注いだ

「ところで韓半島は面白いか?」と話題を転じた。

「ハイ、非常に面白く御座います。」

「だが公孫の独立宣言でキナ臭くなっている場所だ。製鉄所などお前が出入りするとこまで戦火が飛び火する事はなかろうが、お前の身体が心配だ。呼び戻して誰かに担当替えさせてもよいぞ。」

「お気遣い有難う御座います。しかし、だから面白いのです。半島情勢がどうなるか、それを受けて倭国はどうあるべきか。」

「大きなテーマに興味持つのう。それでは現場にいるお前の意見を聞こうか。」と伊支馬は満足気に耳を傾ける素振りを見せた。


先輩は公孫の独立に起因し、今後韓半島で起こり得る可能性として三つのシナリオを指摘した。

一つは公孫が魏に対抗する勢力として独立を維持した場合。公孫の真の狙いは中国・中原の地にあるが、魏からその地を奪うためには基盤強化が不可欠。韓半島を完全勢力下に入れて傘下の国から徴兵。軍事力を高める方向に行くとすれば・・。

これまで韓半島南部の経営にはあまり関心を示していなかった方針を転換、当然弁辰の鉄も公孫体制に完全に組み込まれてしまう。倭国にも同盟を強要する事だって無いとは言い切れない。

一つは魏が再び公孫討伐に進軍、公孫を滅亡させ楽浪、帯方郡を取り戻した場合。支配力強化が進めば、韓半島に対してもこれまでのようなゆるい支配では済まなくなる。

最後は、公孫が倒れた場合で、高句麗が公孫と同様に遼東・韓半島を狙って版図拡大に乗り出す場合。

先の戦いでは魏の母丘倹に援軍を送ったとのウワサがあるが、かねて公孫と高句麗は互いにスキあらば、と争い合ってきた。と同時に魏に対しても、同様に敵対を繰り返していた。援軍派遣は、あくまで敵の敵は味方との理屈に過ぎない。

考え方の根っこは公孫と同じ穴のムジナだけに、同じく魏に対抗する基盤強化を韓半島に求める可能性が出て来る。高句麗が帯方郡や韓半島南部の掌握を狙い、自国に味方するよう迫られたら・・。

次に言及したのは先の三つのシナリオで、いずれかの勢力が韓南部に本格支配の触手を伸ばそうとした場合に、それに対抗して何が起こるかだった。

今は馬韓、弁・辰韓とも多数の部族国家の連合体になっているが、他勢力の支配を嫌ってこれに対抗する軍事力を蓄え始める部族が出てくる可能性があると先輩は指摘した。

弁韓以外の馬韓、辰韓にはその兆候がある。どこかの国が圧倒的力を持てば無防備な弁韓は弱い部族から呑み込まれてしまう危険性があると。その結果としての弁韓崩壊。

弁韓崩壊となれば倭国にも大きな影響が出るだろう・・・と伊都国王に話した内容を伊支馬にも披露した。

・・ヤマタイのナンバーワンに臆せず自分の意見を披露するとは・・ホントに只者ではないなあ。この人は。


「なるほど。」相槌をうつ伊支馬相手に先輩の弁に熱が入る。

「こうした情況で我が倭国はどうあるべきか。」酒が手伝って声も一段と大きくなる。

「私は倭国を強靭化(きょうじんか)するしかないと思っております。韓半島がいかに動乱し、流動化しても対応できる力です。対外勢力に対して防衛するにしろ、対抗するにしろ、外交交渉するにしろ、背後に軍事力があれば選択肢は拡がります。」

そして・・と続ける。

「イザという時狗邪韓国に大軍を駐留させる能力があれば、鉄の権益が脅かされたにせよ、弁韓が窮地に陥った場合にせよ、それに即応して速やかな対応や支援が出来るでしょう。伽耶部族の弁韓諸国が無防備なままなら、我が倭国が故地弁韓への発言力を強め、或いは盟主となって君臨する事も可能です。」

おっと、火の粉を振り払う方策が韓半島への倭国進出の手段にも使えると言っている。奇想天外な発想をする人だ。

伊支馬も苦笑しながら聞いていた。

「ひるがえって今の倭国を見れば、その軍事力はお粗末そのもの。各国は小競り合いに備える程度の力しか持っていません。狗奴国を含めたオール九州で軍事力と統合すれば形は整うでしょうが、なお足りません。東方の倭国、例えばイズモなどを傘下に入れてオール倭国の軍団を編成すれば先の話が現実味を帯びてくるでしょう。」

「現実味を帯びるといったが、連合国家の枠の中で、そもそも諸国の軍隊を統合するなど不可能な事は分かっておろうに。」さすがに伊支馬様も話にブレーキをかけようとした。

しかし先輩は止まらない。

「オール倭国の統一国家を作るのです。もう部族連合、ゆるい連合国家では将来はありません。ヤマタイ国を中心に統一国家を作り、中国式に郡県制にすれば良いのです。軍事力のみならず農・工業の経済力が拡大し、国富も増え、民の暮らしも向上する・・そんな国家運営に切り替える、今はその転換点だと申し上げたいのです。」


伊支馬は腕組みしながら聞いていたが「実はな。わしも若い頃倭国統一を考えたことがあった。お前と同じく狗邪韓国に赴任して外の空気を吸えば今の体制で果たして良いのかとの疑問が出て来る。それは判る。」と応じた。

杯に酒を足しながら話を続ける。

「しかし、為政者とは正しいと思っても突っ走るものではない。正しい方向と思ったらどうすれば現実をその方向に舵取りできるか考える者なのだ。お前はこれからの倭国を背負って立つ人材。評論家や指南役ではない。さまざまな意見や考え方を調整し円滑に国を運営する要になってもらわねばならぬ。飛躍し過ぎてはならん。百年後、二百年後にはお前の考える潮流になるかもしれん。しかし、お前に期待されているのは将来を見据えて、今どう動き、その結果が自分の正しいと思える方向に動くか計算することにある。先読みは大事だが、し過ぎるのは感心せんぞ。」

「百年後のことなど考えてはおりません。今をどうするかです。」

「その性急さがいかんのだ。今の倭国を冷静に見てみよ。戦乱の時代を経て卑弥呼様のもとで一応の安定を得たばかり。今、各国の王に対し東方の国を含めて統一国家にしますので退位して下さいと言って誰を説得できる。内乱を誘発するだけだ。体制を変えるということは誰かの既得権を奪う事。万一、王が応じてもその取り巻きが黙っているわけは無い。」

「しかし。」

「もうそれ以上言うな。お前に必要なのはヤマタイの実情を知り、為政者としての能力を磨く事。お前をヤマタイに引き入れたのも先を考えての事。段階を踏んでこそチャンスは向うからやって来る。それを忘れるな。」

「条件が整うのを待っていたら目の黒いうちに志を遂げることは出来ません。」

「わからん奴だ。」伊支馬は不機嫌になって話を打ち切った。

「もう休んで明日に備えよ。返書の授与は明日の昼頃になろう。わしは忙しいゆえ暫しの別れになる。が、これだけは忘れるな。お前に期待してる。大事に思っている。だから性急に事を急ぐ前に、考える事だ。いろいろ学ぶ事だ。達者にしてろよ。再び会うのを楽しみにしておる。」と退席された。


三人は寝床に入ってアッと言う間に眠りに落ちる。返書を待つ間ゆっくり起床することが出来た。事務方より封泥された竹簡を与えられ次第、伊都国向けに出発する段取りになる。

「今日は昼過ぎの出発になる。となると、何処かで一泊せにゃならんということになるなあ・・。とすれば、なあ、ケンが言ってた徐福の湯とやらに行ってみるか。たまには命のセンタクも大事だからな。」

「マジッスすか。ヤッター。一度は行ってみた方んですよ。温泉に。かといって特段の病気はなし。勉強嫌いの病に効くなら心ゆくまでつからんとナァ」

ケンがはしゃいで、おどけた口調で応じた時、担当官が返書を持参してきた。さあ温泉に出発だ。 


道すがら、昨夜は暗くて見えなかったハミズハナミズ(ヒガンバナ)の赤い花が田んぼの傍らに咲き、そこに懐かしい勝ガラスが姿を見せていた。

ケンが「なんで毒を持つ赤い花を植えるんだ?」と聞くので、ばあちゃんが農家をしているトシが教えることにした。三雲川での船の蘊蓄(うんちく)のお返しだ。エッヘン。

「毒があるからネズミやモグラが田に近寄らない。おまけに、この根は、毒はあっても長時間水にさらせば食えないことはない。」

「凶作の時の備えに植えているのか。」

そんな会話をしながら北山を西に折れて徐福温泉を目指す。ちょっとした旅行気分で歩いていく。


温泉では大事な返書を守る為、二人が見守る中を一人だけが入浴する事にした。湯守りの話では鹿など野生動物も湯浴びにやってくると云う。トシが浸かっている間にも野猿らしき叫び声が聞こえた。いい湯だ。何らかの効能があるに違いないだろう。湯治客の為の宿泊所が隣にある。今日はその宿で三日連続の酒宴となった。

ケンが「それにしても先輩、ヤマタイの総帥に気に入られていますねえ。」

彼も先輩が何者なのか不思議に思っているに間違いない。

伊支馬の遠い親戚というだけで出自は謎のまま。学校でも皆よりはるかに年長で、学校では中国語研究会のメンバーを除き、親しく付き合う仲間もいなかった。

先輩はその話題に触れたがらず話を変えた。「それよりお前等は将来、何になりたいのだ?」

即座にケンが「武人になります。」と答える。

「ほう。武人か。それは良い。しかしお前は塩ジィの親戚。海人族の頭領として船乗りになるんじゃないのか?」

ケンの顔に彫られた塩ジィと同じデザインの刺青を見ながら応じた。

「武人がダメなら船乗りですが、第一志望はあくまで武人志願です。趙雲のような将軍になるのが夢です。」前に聞いた時と同じ、キッパリとケンが断じた。

「趙雲は良いねえ。軍人として良き人生を送る事のみ欲してきた。俺もそうありたい。伊支馬はいろいろ言っていたが、近いうちに倭国は大きく動き、軍事力が必要な時代がくる。小競り合いを指揮する武人頭ではなく大軍を引率する将軍が脚光を浴びる時代だ。勿論、戦いが目的ではない。戦わずして倭国統一を図るには軍事力が必要だからだ。」

「トシ、お前も武人になれ。」

先輩から急に話を振られたトシ。武人とは縁遠い自分に・・と戸惑いを隠せない。

「エッ。私は書記官コースですよ。夢は通訳として外交に携わってみたいのです。」

「当面はそれで良いがそれだけでは小さい。小さ過ぎる。倭国統一にお前は孔明の役割を果たせ。正直、お前は武人としては頼りない。が、武人というより参謀だな。戦わずに勝てるように、戦うにしろ最小限の被害で相手を降伏させるのだ。その役割を果たせ。」

「今はレベルの低い孔明だがな。」とケンが揶揄する。

うるさいな。お前だって趙雲と比べりゃレベルを語る資格なかろう。と思ったが、ここで言い争いを続けるのはみっともない。トシは切り替える為に先輩に話しかけた。

「それでは先輩は何になるんですか?」

「俺は曹操になる。変革せずに何の男子たるべきかだ。曹操といっても漢皇帝をないがしろにする曹操ではないぞ。卑弥呼様を頂点に担ぎ、倭国統一のエンジンとなる曹操だ。」曹操と言えば三国志で悪役のイメージがつきまとうが物事を動かす力では最高の人物。その点では曹操になりたいとの言葉も分からない訳ではない。

その時、宿の主人がデザートの桃を持ってきた。旬は過ぎているが美味そうな桃である。当時の桃は今の品種と違い晩夏が旬であった。現代と違いお尻っぽい形とは異なる、扁平な形をしていた。

先輩が桃を前に悦にいった表情になる。

曹操(そうそう)(ちょう)(うん)(こう)(めい)が揃ったな。これは面白い。桃園の誓いならぬ、温泉桃の誓いといこう。劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)のメンバーは全て入れ替わったが倭国統一を目指す三兄弟だ。」

「我は曹操。他国に負けぬ強い倭国を創る。」

「我は孔明。戦わずして倭国を統一する。」

「我は趙雲。戦わざるを得ない時には死力を尽くし勝利を呼び込む。」

桃にかぶりつき誓いの儀式は終了した。

「いやー愉快、愉快。めでたしじゃ。」

と上機嫌の先輩。珍しくノリノリに盛り上がって眠りについた。昨晩の伊支馬のアドバイスはどこへやら・・先輩は今にも倭国統一を成し遂げる・・そんな夢を見ておられるようだ。


三人は再び伊都国に戻ってきた。

「帰りに立ち寄るようにと国王の指示がありましたね。」

「うむ。早く一大率で報告を済ませたいところだが、国王の要請を無視するわけにはいかん。」

屋敷にて面会を求めると、ミクモ姫が小走りに出迎えた。差し出された汗をぬぐうオシボリ。

「お疲れ様に御座います。さあさ、遠慮のう。さあさ、おあがり下さい。」

気が利く所作に先輩の心は動かされないのだろうか。

別館に通され姫が手配した食事で小腹を満たした後、国王と接見する。

「ヤマタイの反応は?」

「皆様の仰せの通りにされると言われました。この返書にもそのように記載されているものと存じます。」

「ウム。ご苦労であった。」

「こちらこそ出立の折にはお心遣いいただきまして有難う御座います。」


「ところでキクチヒコ殿!」

国王が急に、声高に名前を呼んだ。

「そなたは伊支馬殿の遠縁と聞いておったが実は()()(こく)の王子というではないか。それは真実か。」

静寂が拡がり、間が長く続いた。

狗奴国?聞き間違いではないか。狗奴国はヤマタイの宿敵なのだ。先輩は伊支馬様の親戚。狗奴国とは関係無い筈だ。ましてや王子など・・。

先輩が口を開く「真実で御座います。しかし・・その事はどこでお聞きになられましたか。」

衝撃の事実である。

「慣例でな。半島からの使者の内容は伊都国から()(こく)に伝えることになっておる。奴国王がこちらに聞きに来た時、おぬしの話題がでた。あくまでウワサとのことだったが・・」

「ここだけの話にしてもらいたいと存じます。昔から邪馬台国と狗奴国に(いさか)いが続いているのは御承知でしょう。但し、その一方で、水面下では関係改善の動きも続いておるのです。その一環で私がヤマタイに参りました。ただ、私の母は邪馬台国から嫁いでおり、伊支馬様と遠縁にあたるというのも、まんざらウソというわけではないのです。」


遡ること四年前。両国の架け橋になる若者として選ばれた先輩は伊支馬と会う事になった。それまで反ヤマタイの中心人物として武人修行をしていた自分に、架け橋などとんでもないと思っていた。が、伊支馬様からヤマタイの現状、韓半島の情勢の話を聞き、世界を広く知る事の必要性を感じ一大率学園への留学を決意したという。

「この学園留学、加えて、今の駐在経験で考えが変わりました。半島情勢を見るにつけ倭国は一つにまとまるべきと心に刻んでおります。いま暫くヤマタイで御厄介になり、時来たらば、私の想いを実現すべく、生死をいとわず懸命に働くことを考えております。」

「成程。伊支馬の奴、そんな布石を打っていたのか。判った。この件は他言無用。お前達が洩らせば打ち首を覚悟せよ。」

トシとケンの存在に気づいて二人を睨んだ。無言の時間が過ぎた。

 

「どうだ。わしの孫娘と結婚せんか。」突然耳を疑う国王の言葉。

「おじい様、そんな事」

ミクモ姫があわてて制止したが、その顔は輝いていたように見えた。

「キクチヒコ殿とミクモが結婚すれば狗奴国、邪馬台国のみならず、伊都国にとっても万々歳の慶事となる。それとも姫では幼すぎるかな?」

色よい返事を期待していた国王に笑みが浮かんだ。

先輩はニコリともせず口を開いた。「お話、光栄に存じます。私のような者に、かように美しき姫をと、おっしゃって戴き、まことに恐縮の至りで御座います。しかし残念ながらこのお話お受けできません。姫にはもっと相応しい相手が宜しいかと存じます。」

ミクモ姫の笑みが消えた。

「突然に持ちかけたわしが悪かった。かようなこと、順序を踏んで進めねばならん事だ。いろいろ事情もあろう。急ぐことではない。そのつもりでゆっくり考えて行こうではないか。」国王が場を収拾させようとした。

「いえ。この話はなかったことにして戴けませんか。私には既に心に決めた女性がいるのです。他の事はともかく婚儀の件は重ねてお断り致します。申し訳有りません。」

姫の表情が凍りついた。

そして、先輩はこの間、一度も姫を見ることもなかった。

トシは姫が可哀そうと想うと同時に心に決めた女性がチクシであることを確信した。自分も体が固くなって行く。格も能力も何をとっても勝ち目のないライバルがハッキリ宣言しているのだ。頭がクラクラしそう。

「国王、今から一大率に返書を届けねばなりません。これにて失礼致します。」

国王はメンツを潰された怒りを先輩に向けるが、先輩はそれに動じる事もなく、打ちひしがれた姫を背にしてスタスタ歩き始めた。


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