初めての町
主人公の名前が明かされます。
2日に1回は更新したいと思っています。
遠近法というものがある。
遠くのものは小さく、近くのものは大きく見えるというあの現象だ。そして、その現象のせいで時に人は対象との距離を見誤る。
異世界の出発点から意気揚々と走り出した俺に考え違いがあったとすると、平原の見通しが予想以上に良かったことと、すでに見えていた町の城壁が予想以上に大きかったことだろう……。
「やっとついた……」
足にたまった乳酸と体力のなさに絶望しながら、ようやくたどり着いた城門を見上げる。城門は石造りの巨大なもので、まだ日中だからか完全に開放されている。
見えていた城壁に向かって走り出したら意外と遠くてびっくりした。
「こんなことだったら時間を気にして走り出さずに歩いて移動した方がよかったかもしれないな」
体力を使うのはこれからだというのにもうすでにヘロヘロになってしまった。
しかし、そのおかげもあって太陽は若干低くなったとはいえ、まだ高い位置にある。夜になる前に色々なことができるだろう。
「とりあえず、町に入るか」
いつまでも門の前で疲れているわけにもいかない。せっかく稼いだ時間なのだから有効に活用しないと。
……なによりさっきから門兵の人からの視線が痛い。さっさと入った方がいいだろう。
異世界に行くにあたって、心配なことがあった。それは異世界人と言葉が通じるかということと、異世界の文字を読むことができるかということだった。
しかし、いぶかしそうにこちらを見ている門兵に話しかけるとき、俺は全くと言っていいほどコミュニケーションについて心配していなかった。
――なぜなら、言葉が通じないと魔族を倒すなど夢のまた夢だからだ。
あの意地悪な少女の話からすると、俺はこの異世界で魔族を倒さなければならないらしい。ならば、言葉が通じなくて町に入れずそのままのたれ死ぬなんて事態にはまずならないはずだ。
さすがに文字については分からないが、少なくとも会話に関しては心配しなくていいだろうとの判断だった。
「……それで、旅の目的は?」
門についたちょうど20分後、俺は話のつじつまを合わせるために脳を酷使しながら、門兵の質問に答えていた。場所は門の横に設置されていた取調室のような部屋の中だ。まあ、取調室とはいっても木造の小屋のようなもので、中には木の机と椅子が置かれている程度の簡素さだった。なぜ俺がこんなところにいるかというと身分を証明するものを何一つ持っていないと言ったら丁寧にこの部屋に案内されたからだ。
「広い世界を巡り、見分を広めるためです」
外国への入国審査のような模範的な回答をしながらも、ふと顔を上げて目の前の門兵の顔を伺う。
門兵は若干のばした髭にがっしりとした体格をしていた。俺よりも二回りはでかいんじゃないだろうか。もし俺があらぬ疑いをかけられてこの部屋から逃げないといけなくなった場合、取調室の扉にたどり着く前に捕まるのが目に浮かぶようだった。
何とか無難な答えを返して、町に入れてもらわないとな。
決意を新たに、門兵からの質問に備えて脳内で何パターンか質問の例を考えておく。本来は取調室に入る前にやっておくべきことだったが、なんにせよ疲れていて頭が働かなかったのだ。
「なにで旅の費用を稼いでいる?」
予想外の方向から質問が飛んできた。頭を回転させて詰まらないように答える。
確か、生まれを聞かれたときあまり他と関わらない小さな村と答えたはずだから、
「山などで採取できるハーブやキノコなどをとり、町で売って稼いでいます」
目は利く方なんですよ、と付け加える。
その答えに門兵は特に疑問を持たず、次の質問に移る。
「そうだ。聞くのを忘れていたが、名前はなんて言うんだ?」
初めに聞いておくべきことだったのだろう。聞き忘れたことを思い出して、門兵はそう質問してきた。
これに対する答えは簡単。素直に自分の名前を言えばいいだけだ。
「えっと、俺の名前は……」
……何だ?
思わず言葉に詰まってしまう。
「どうした?」
言葉に詰まった俺を不審に思ったのか、門兵は首をかしげてこちらを見つめる。しかし俺はそれどころではなかった。
名前を忘れる。それは自分が何者なのかを忘れるのと同じことだ。名前を忘れたことのショックは俺の体を蝕み、確実に思考を侵食してくる。目の前が真っ暗になった錯覚を覚えながらも、何とか口を開くと、
「……カズキです。俺の名前はカズキです」
なぜか一番に頭に思い浮かんだ名前を口にする。口にした感覚から多分本名ではないのだろうと推測はできたが、やはりなぜこの名前が口をついたかは分からなかった。
そこまで重要な質問でもなかったのだろう。門兵はカズキという名前を聞いて、了解とばかりにうなづいた。
「犯罪を犯したことは?」
「ありません」
なるべく不審な雰囲気を出さないように答える。実際に犯罪を犯したことはこの異世界でも地球でもないから嘘ではない、はずだ。……信号無視程度ならあるかもしれないが。
「ふん……まあ、魔族でもなさそうだし問題ないか」
答えに満足したのか門兵はそうつぶやくと机の上に広げていた書類をまとめて、腕の中に収める。
「よし。町に入ってもいいぞ」
門兵は取調室の扉につけていた鍵を開けて、外に出るように促してくる。
取調室って鍵ついていたのかよ、という感想を喉にしまい込んで、さっき門兵がつぶやいていた言葉を思い返す。
――魔族でもなさそうだし
もちろん、ここで魔族について問いただしてせっかく町に入れそうな機会をふいにするようなことはしない。しかし、当たり前のように魔族を警戒しているあたり、人類と魔族の確執が見られる。
「やっぱり魔族は危険な存在なんだな」
異世界に来て初めてと実感した魔族の存在。そんなことをつぶやきながら、俺は取調室を出て町のメインストリートのような場所に来ていた。メインストリートは下に敷き詰められた石畳を木造の家に囲まれてまっすぐ町の中心の方に続いている。家や通りを見る限り、この世界の文明レベルは地球には追い付いていないようだ。
「日はまだある。それまでにやらないといけないことは……」
まず第一に思いつくのが宿を探すこと。しかし、念を入れるならば今かばんに入っているこの金色の硬貨が使えるものなのか、また使えるとしてどれほどの価値を持っているのかについても調べなければならない。そのためには……
「仲間が必要だ」
しかもただの仲間ではない。どんな質問にも正直に答え、なおかつそれを不思議に思わない、もしくは不思議に思っても一切口にしない仲間。加えて言うなら常に俺と行動を共にし、この異世界の常識を持ち合わせ、識字率は知らないが、しっかりと文字を読める能力も必要だ。
この世界の文字が読めないということは取調室で門兵が机の上に広げていた資料を見てよく分かった。何らかの法則性を持った文字だというのは何となく理解できたが、あの文字を今の自分が読めるとは思えない。今後文字を読めないと不利益を被る場面も少なくないと思う。やはり、文字を読む能力はなくてはならないものなのだ。
「そんな都合のいい仲間、普通いないぞ」
普通は。つまり、地球での常識を考えるならば、だ。
町のメインストリートに出てみると、異世界について色々なことが分かった。例えば、詳しくは分からないが、人間以外の種族も人間と共存していることや、スーパーのようなものはなく露店で様々なものを売っていること。そしてなにより、首輪をはめた人をちらほらと見かけること。
首輪をはめた人――つまり奴隷身分がこの世界には存在するということだ。奴隷を持つことには確かに抵抗はあるが、もし奴隷を買うことができたら理想としている仲間像にぐっと近づく。
「やるしかないか」
まだ、硬貨の価値を調べていないが仕方ない。奴隷を購入する覚悟を決めると道行く人に奴隷を売っている場所を聞く。大体の道順を教えてもらい、お礼を言ってその場を離れる。
今日の一日は長いようで短い。時間を無駄にすることがないように、早速俺は教えられた道をたどることにした。
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