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始まり

開いていただきありがとうございます。

 ――油断していたのはたった3秒だった。

 

 それは通っている高校からの帰り道。小さいころから何度も通っていたY字路で起こった事故だ。

 危険な場所だというのは分かっていた。カーブミラーがゆがんでいて使い物にならず、交通量もそこまで多くないから信号機すらないという最悪の道で、地元でも時々車との接触事故が起こるということで悪名高い場所だ。


 「油断した俺も悪かったけど、ほとんど速度を落とさずに突っ込んできた車も許せねえ」


 俺は暗闇の中で1人、誰に聞かせるともなくつぶやく。頭を打ったせいか、事故の瞬間をうまく思い出せないのがしゃくだが、今更思い出したとしても何の役にも立たないだろう。なぜなら、


 「植物状態っていうのかな。体の感覚が全くない……」


 俺がいる暗闇の中、意識だけがはっきりしていて体の感覚に現実感が全くない。一応は体を動かしたような気にはなれるが、あくまで意識の中だけで実際には1ミリも動いていないような感覚だ。言い換えるなら、まるで夢の中に心だけが閉じ込められたような……



 「よく分かったな。お前は今植物状態で自宅近くの大学病院のベットで寝ているぞ」


 暗闇の奥から聞こえた妙に若い声に、俺ははっと顔を上げる。


 「誰だ?」


 俺は警戒して声を荒げる。確認するすべはないがもし今の俺に表情があるなら非常に険しいものになっていただろう。なぜなら、ここに自分以外の存在がいるということは自分の心の中に異物が侵入した事と同じなのだから。


 「まあそう警戒しないでくれ。君にとって私は救世主みたいなものなんだよ」


 暗闇から俺の目の前に現れたのは、同い年くらいの女性だった。色素が抜けたように白い長髪が暗闇の中で怪しく存在を強調していて、容姿でいえば俺が見てきた中でもトップクラスに整っている。


 「救世主か……また胡散臭い言葉を使うな」


 俺は少女から目をそらさないように注意しながら、挑発ともとれる言葉を口にする。

 せめて相手の反応を見ようという俺の目論見に反し、俺の言葉を気にも留めていない様子で、自称救世主の少女は言葉を続けた。


 「覚えてるかな? 君は自動車との衝突事故にあったんだよ」


 言葉を無視されてムッとするが、わけのわからない少女の手前、下手に行動すると何が起こるか予測できないため、素直に答える。


 「細かいところは忘れたけど大体は覚えてる」

 「うんうん。それはよかった」


 自称救世主は話が早くて助かる、と嬉しそうに顔をほころばせる。


 「君はその事故のせいで死ぬまでずっと半死半生の植物状態で生きる予定だったんだよ」

 「……予定だったっていうことは、そこんところを救世主様が何とかしてくれるのか?」


 目の前の存在が俺の妄想でない限り、救世主と名乗った以上俺に救いを与えてくれるはずだ、と高をくくった俺はあまり悲観せずに答える。しかし、そんな俺のリアクションが面白くなかったのか、救世主の少女は口をへの字に曲げて分かりやすく不機嫌さをアピールしてくる。


 この少女は俺が絶望に浸る表情でも見たかったのだろうか。


 「君に依頼したいことがあって私はここにいるの。君には私が指定する異世界に行って、その世界が抱える問題を解決してほしいの。その報酬として、植物状態から回復させてあげるわ」


 異世界に人を送れるなんて、私くらいのものなんだから、と少女は自慢げに続ける。そんな少女の浮かれた態度とは裏腹に、俺は顎に手を当て、注意深く少女の言葉に対応する。ここで対応に間違えるということは、最悪植物状態で生涯を終える可能性まである。慎重にならざるを得ない。


 「異世界の抱える問題って何だ?」


 俺の質問に少女は待ってましたとばかりに腰に手を当てて、


 「よく聞いてくれたわ。君に解決してもらいたい異世界の抱えている問題は”魔族”の存在よ」


 魔族。聞くからに人類の敵のような名前だ。大体の物語では一般人では到底倒せない程度には強く、性格が壊滅的に悪かったと記憶している。そして、少女の話を聞く限りどうやらその魔族とやらを俺に駆逐してほしいそうだ。しかし、


 「俺がどうやって魔族とやらを倒すんだ?」

 「ここから異世界に移るとき、君に能力を一つ渡してあげる。その能力を使って、魔族と戦ってね」


 それと、能力の内容は異世界に行くまでは知ることができないから、と少女は付け加える。

 能力が与えられるということは、逆に言えば今の状態では逆立ちしても魔族には勝てないということだ。得られる能力が分からないというのはかなりの不安要素だが、俺にとって報酬がおいしすぎた。


 植物状態からの回復。


 植物状態の人を1人抱えることで家族が被る迷惑を考えると、自分ひとりの問題ではないことがよくわかる。


 「報酬はいつ渡されるんだ?」


 俺が恐る恐る少女に聞くと、少女は笑って、


 「そんなの問題が解決したらに決まってんじゃん」


 と無邪気に答えた。

 あまりにも当たり前のことを聞いてしまったと顔を赤くするが、この少女の返答で腹は決まった。


 「その提案、受けよう」


 この時から俺の異世界での受難が始まった。


 しかし、俺はそれに気づかず、それに気付いている少女はただ無邪気に笑うだけだった。

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