Doki Dokiまいんすいーぱ!
※この作品に登場する専門用語は作者がテキトーにでっち上げた造語です。そのような言葉は存在しませんので真に受けないでやって下さいませ
アナログな時計の秒針が時を刻む音がこんなにも焦燥感を生むものだと俺は今日まで知らずに生きてきた。
それはこれまでの俺の人生が順風満帆に進み、何不自由なく過ぎてきたからなのだと今なら思える。
だが我が身の幸福を改めて実感したところで状況は好転しない。
とにかくどうにかしなければならなかった。この目の前の物体を。
恐らくは時限爆弾と呼称されるこのたちの悪い代物を。
まったく何という休日になってしまったことか。
目の前の物体ではなく、腕にはまった時計を確認すると、支倉貴士は久しぶりの休日が間もなく終わりに差し掛かっていることを悟った。
アナログ時計の文字盤の下には周回回数を表す数字が刻まれていて、今現在その数字は"1"を示している。
こいつが時限爆弾だとしたら、残り時間は1時間程度。
あと一度、長針が短針に重なった時(奇しくもそれはちょうど日付が変わる頃だ)、俺はこのアミューズメントパークもろともふっとぶ。
彼女は無事だろうか。
もう数時間姿を見ていない恋人を想うと早くここから出なければという焦りばかりが募る。
事の発端は単純だった。
武装したテロリスト数名がアミューズメントパークの中に侵入し、人質を取って立て籠った。
要求は"仲間の釈放"
極めてわかりやすい。
彼らはパークの中心部にある子供騙しなビックリハウスに立て込もって政府からの応答を待ったが、派遣された警察の特殊部隊によって先ほど全員が取り押さえられた。
ならば何故、俺がひとり爆弾の前に取り残されているのか。
簡単なことだ。
俺がいるのがビックリハウスではなく本格的なお化け屋敷の中だからだ。
血を流した武者の生首がずらりと並ぶ室内に取り残された支倉の精神はすでに限界だ。
足元から流れる冷気が体温を容赦なく奪ってくることもあり、眠りに落ちたら目を覚ますことはないんじゃないだろうかと不安は募る一方である。
悪ふざけなのか爆弾は間抜けに口を開けた武者のその口中に仕込まれている。
こんな事になるなら嫌がる彼女に従ってお化け屋敷なんてスルーすべきだった。
だがホラー好きの支倉はどうしてもこの"戦慄!武家屋敷の迷宮part4"に入りたくて彼女を外に置いてひとりでここに入ったのだった。
その直後に事件は起こった。
事前にここに爆弾を仕掛けていたのだろう、テロリストはお化け屋敷に踏み込むと爆弾を起動した後、出入り口を物理的に封鎖してしまった。
さらに間が悪いことに支倉が入場した時間帯には他の客は一切いなかった。おかげで犯人逮捕までだれにも気づかれる事なく無為に時間は流れてしまった。
支倉が閉ざされたこの場所から正確な情報を入手できたのはついさっきのこと。
爆弾の所在地を確認した女性刑事からの連絡が入ったおかげだった。
そして彼女はおそるべき提案を支倉に申し付けるのだった。
「あの、僕は一般人なんですが…本気で言ってます?」
「大マジよ」
やけに自信たっぷりに刑事・緋川まいんは言った。
「いやね、普通、爆弾の解除というのはプロの方がやるべきなのではないでしょうか?」
「かもね」
何て軽い受け答えだろう。
この時点で支倉は世間一般の感覚からのズレを感じ始めている。
「じゃあ、どうして僕が?」
「不景気は公務員も同じなのよ。日曜日に人質になるほうが悪いと思わない?」
全然答えになってない。
要するに人手不足なのだろう。
「ま、本来ならそういう物騒なモンは液体窒素をぶっかけて凍らせて、"ハイ、おしまい"なのよ」
「じゃあ是非そうしてください」
「残念、品切れ。仕入れ担当が言ってたわ。"液体窒素?ごめん、ないよー"って」
軽い。何という軽さか。
こっちは命がかかってるんだ。
冗談じゃないぞ。
「というわけで張り切って解体しましょう。あと10分で終わらせるわよ。私、早く帰らないといけないのよ。今月、残業ヤバイの。怒られるわ。協力して」
「こっちは生命がヤバイんですけど…」
もはや眼前の物体よりもナビゲートしているこの女性のほうが恐ろしくなってきている自分がいる。
いや、ホントに。
マジで大丈夫なのか、こいつ?
「ちなみに刑事さん、爆弾処理の経験は?」
「ああ、ごめん。私、刑事じゃないから。生活安全課だし」
死んだな。
100%死んだわ、俺。
「お願いしますよ、僕はまだ死にたくないんですからね」
「ん?まあ、大丈夫よ。爆弾なんてどれもおんなじ様なモノだから。心配しないで。のんびり、でも迅速にやるわよ。はい、あと9分!」
まだ何も始めてないじゃないか。
それに何が大丈夫なのかわからない。
間違いなくこの女性に爆弾処理の経験はないだろう。
話していればわかる。
この女は危険だ。
テロリストよりもよほど。
だがとにもかくにも始めなければならない。何もしなければ死は確実だ。
支倉はテレビ電話状態になっているスマートフォンを爆弾のほうに向けて画面のむこうの緋川へ状況がわかるようにする。
さあ、これで少しは焦っただろう。
いい加減まじめにやってほしいものだ。
「ほぅ、ギレンミランか。なるほどね」
「え?ギレ…何ですか?」
「ああ、何でもないわ。こっちの話よ」
何でもないわけあるか。
何だその得たいの知れない単語は。
いったい何の話をしているんだ。
わかるように説明しろよ。
ひとりで納得してんじゃないよ、まったく。
「うん、じゃあ取りかかろっか」
心の声は虚しく、緋川はマイペースに解体作業を進めようとしてくる。
不安しかないのだが本当に生還できるのだろうか。
「よし、それではまずハストーシュをブラッシュして」
「え?」
「ハストーシュよ。ハストーシュをブラッシュするの」
言っている意味がまったくわからない。
俺の教養の問題なのだろうか。
いや、違うだろう。
こいつ、素人に説明する気がまったくないぞ。
ますます不安が募ってきた。
この調子でこいつは専門用語をずっと使い続けるのだろうか。
だとしたら果たして俺はきちんとこの無機質な爆薬を解除する事ができるのだろうか。
「ちょっと聞いてるの?時間がないのよ!早くハストーシュをブラッシュなさい!」
緋川がひとりで盛り上がっている。
すごい剣幕で捲し立てているところ申し訳ないのだけれども、ちょっと意味がわからない。
「あの…ひとついいですか?」
「なによ」
「もうちょっと簡単に…誰にでもわかる感じで説明お願いできないですかね」
「私に指図する気?」
「いや、指図も何も言ってることの意味が…」
「まったく、どんくさいわね。簡単なことじゃない。まずはハストーシュをブラッシュして中からイアルレーゼを取り出すの。そうしたらプレッパーを引き出してひとつずつ切り離していけばいいわ。その作業が終わったらヨンビルが煮沸的融解極点を指し示すまでダズルアップして少し待つ。最後に右の信管をプルしてCRUをレストポールに乗せたら安全圏に入るわ。こんなの5分もあれば出来ることよ」
謎言語を駆使して説明されても困る。
画面の向こうの緋川が勝ち誇った顔でこちらを見据えているのにも腹が立つ。そのドヤ顔はどういう自信の現れなのか。
はなはだ疑問である。
「間の抜けた顔しないでよ。そのまま死ぬ気なの?」
いぶかし気な俺の表情を見てとった緋川が目を細める。
こいつ。今ので伝わったと本気で思ってるのか。ヤバい。ヤバすぎる。
情報伝達のスキルが低すぎる。
刻々と進んでいく時間に合わせて心臓の鼓動は早まっていく。
眼前に迫る確実な死の気配に支倉は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「ふぅ、しょうがないわね。わかったわ。頭が不出来なあなたの為に簡単な言葉に置き換えてあげる。ちょっと待ちなさい」
聞き捨てならない言葉が間に挟まれていたもののようやく緋川はこのままでは一向に解除作業は進まないことを悟ってくれたらしい。
だが今度は緋川が頭を抱える番だった。
顎に手を当てて必死に言葉を捻り出そうとしている姿にさっきまでの飄々とした態度は見られない。
支倉は少しだけ反省した。
こんな状況なんだ。
現場に不馴れなのは何も自分だけじゃない。
専門用語や隠語とは特定の作業を円滑に進めるために、ひとことで複数の情報を伝えるためにある。
時間との戦いを強いられる爆弾処理において、それを平易な言葉に直して説明する手間は素人の想像を絶することだろう。画面の奥の緋川へ声援を送る。
彼女を信じるしかないのだ。
この状況から脱するために俺が頼れるのは緋川しかいないのだから。
「じゃあ何とかやってみるわ」
支倉は唾を飲んだ。
もはや自分にも緋川にも余裕はない。
「まず上蓋を外してちょうだい」
「へ?」
「これ以上簡単には説明できないわ。上蓋を外して!」
いや、そんな事はわかっている。
今度ばかりは言語の意味がわからないなんてことは間違っても言わない。
俺がツッコミたいのはそこではない。
さんざん悩んだ謎言語の訳がそれなのか?
"はすとーふ"とか何とかいう言葉の意味がそれなのか?
さっきまでの感傷は何だったのだろう。
俺の反省を返せ。
やるせない思いで支倉は爆弾の上部に取り付けられている蓋を外した。
「よし。じゃあ次はイアルレーゼね。さ、取り出して!」
また謎言語に戻るのかよ。
お前はカモか。
何となくそれっぽいモノを爆弾から取り外して外に出した。
薄い基盤に無数の導線が絡み付いている。
無理だ。
やっぱり無理だ。
俺にはこんなものを解体することは出来ない。
「じゃあ次の手順に移るわよ」
「ま、待ってください!まだ心の準備が…」
どうやらさっきの謎言語はこの基盤を指していたらしい。
正解を引き当てたのはいいがもう限界だった。
ひとつの行程を終えるだけで今までに感じたことのない激痛が胃の奥から沸き上がった。まるで直接臓器を絞り上げられているかのようだ。
こんな状態でまともに思考することなんて出来ない。
無理だ。どう考えても無理だ。
「やっぱり無茶ですよ。僕には爆弾のことなんてなにひとつわからないんですから。もういいですよ。こんな恐怖に耐えながら作業を進めるくらいならいっそ早く楽になりたいです。みんな逃げてください。僕はこいつと心中します」
心にもないことが口をついた。
そう言えば誰かがヒーローのように救ってくれると思っていたのかもしれない。
とにかく支倉はもう楽になりたかった。
爆弾とふたり、この空間に取り残されるのは散々だった。
「勝手に諦めんじゃないわよ。あんたが死んだら悲しむ人がいるんじゃないの?そんな簡単に投げ出せるような人生を歩んできたわけじゃないでしょ。足掻きなさいよ。必死こいて生きることにしがみつきなさいよ!」
「緋川さん…」
それは緋川が始めてみせた警官らしい使命感だった。
画面の奥からでも伝わった。
彼女の熱い想いが流れこんでくるのがわかっ…
「あんたに死なれると私の査定に響くのよ。減給どころじゃないわ。懲戒免職だってありうる。冗談じゃない。私はまだ甘い汁を吸ってないのよ」
前言は撤回しよう。
ヤツはヤツだ。
せめて少しくらいは感傷にひたる時間を与えて欲しかったが。
もういい。
こうなったらやれるだけの事をやってから死んでやる。
"はるとーふ"でも何でもかかってくればいいさ。
やぶれかぶれになると力が湧いてくるもので、謎言語を翻訳するという余分な一行程を挟みながらも支倉は順調に導線を切除し爆弾の解除を進めていった。
時を刻む針は短針に重なろうとしている。時間は無情に過ぎていく。
いくつの導線を切断しただろうか。
基盤の奥から信管が顔を出した時には支倉の指は真っ黒に汚れていた。
あと少し。
危機意識が麻痺したのか、気分の高揚にも似た昂りが身体の芯から呼び起こされてくる。
「次は何ですか?」
もはや謎言語も意に介してはいなかった。
次はどれを切るんだ。
目の前に広がる色とりどりの導線の波に己の全感覚を研ぎ澄ましていく。
「やっとここまで来たわね。次が最後の手順よ。右の信管をプルして」
右の信管をプル(引っ張る)。
やっと意味のわかりそうな単語が現れた。
これなら聞き直さずに作業が進む。
支倉は慎重に手を伸ばすと基盤の右側に埋まった信管をつまんで引き出した。
途端に警告音が部屋全体を震わすほどの音響で鳴り響く。
画面の奥の緋川までもが耳を塞いだ。
「な、なにしてんのよ!プルしろって言ってんでしょうが!」
「し、しましたよ!ちゃんとプルしました!」
「違うでしょうが!何で信管を引っ張り出すのよ!起爆スイッチが入っちゃうじゃない!プルっつったら時計回りに43度回すのが常識じゃない!」
知らねーよ。
その二文字に込められた情報量は何なんだよ。それに43度ってどういう中途半端さなんだ。45度じゃダメなのか?
警告音が止まらない。
秒針が凄い勢いで時を刻み始めた。
まずいぞ。
これは究極的にまずい。
「あーん、もう!こうなったら強行手段を取るしかないわ!基盤の中心にある太い線を探して!」
こちらにまで飛んできそうなほどに画面につばを撒き散らして緋川が怒鳴った。
今までになく焦っているにも関わらずその言葉は今までになくわかりやすい。
迷うことなく赤と青のふたつの導線を探し当てると支倉は次の指示を待った。
「いいこと。良く聞きなさい。その導線はどちらか一方が解除コードに繋がってる。もう一方は即時起爆のスイッチよ。こればかりは制作者に聞かなきゃわからない。運を天に任せて片方を切るしかないわ。さあ、やりなさい!」
「ちょっ…何て無責任な!他に方法はないんですか!」
「あんたが手順を間違えるからそうなっちゃったんでしょうが!あと1分しかないのよ。迷ってる暇はないわ。切りなさい!」
"あんたが"ってお前が訳のわからん言語ばかりを使うからじゃねーのかよ。
最悪の責任転嫁を目の当たりにした気分だが、確かに彼女の言う通り状況は切迫している。
コードを切るより他に道はない。
くそっ。
やぶれかぶれだ。
「幸運の女神から最後の指示よ。赤を切りなさい」
「え?」
「私の名前よ。"緋川"の緋は"緋色"の緋。赤色よ。最後に私に賭けなさい。神に祈るよりは現実的でしょ?」
どの口がそれを言うんだ。
お前のどこを信じろって言うんだよ。
「グッドラック!」
二本だけ立てた指を額から画面に向かって敬礼をするように動かすと緋川はそのまま通話を終了した。
最初から最後まで無責任なヤツだ。
もはや迷っている時間はない。
生か死か。
俺の判断が全てを決める。
支倉はコードに手を伸ばした。
赤色に触れてみる。
いくら抑え込んでも身体の震えは止まらなかった。
これを引き抜いたら全てが終わる。
深呼吸。
引き抜く直前、支倉はコードを赤から青へ変えた。
幸運の女神はどうしたって?
なあに、簡単なこと。
俺の彼女の名前は"藍"だ。
運を天に任せるなら最後は愛する人を信じて逝きたい。
そう思っただけのことだ。
コードを引き抜いた。
同時に両耳を塞ぐ。
そんな事をしたって爆弾が起爆すれば何の意味も持たないのだが、人は限界まで追い込まれるととかく意味のない行動をとるものらしい。
だが結果としてそれは無意味に終わった。爆弾が起動することはなかった。
長針が短針に重なる直前、ギリギリのタイミングで時限装置はその動きを止めていた。
助かったのか。
支倉が膝を落としたのと警官隊がバリケードを突破してお化け屋敷の建物内に突入したのはほぼ同時だった。
黒ずくめの特殊部隊が支倉の両脇を支えながら助け起こすと、もう要をなさなくなった爆弾を抱えて出口に誘導してくれる。
助かったんだ。
ようやくその実感が沸いてきた。
終わった。
悪夢のような1日がやっと。
腕時計は0時を回っている。
休日は過ぎてしまったが今はただ戻ってきた日常が愛おしい。
そして側にいなくても自分を救ってくれた恋人も。
お化け屋敷から出ると強烈なスポットライトが建物を照射していた。
警官隊に混じって人質だったのだろう、憔悴した表情の男女が毛布にくるまっている。
警官隊の中央にはパンツスーツ姿の女性。
緋川まいんだった。
支倉は微笑んだ。
緋川も頷いてそれに答えた。
初対面にも関わらずその眼差しは歴戦の同士に向けられたかのような暖かみと敬意に満ちている。
支倉もまた絆に近いなにかを感じていた。
極限状態がふたりの間に奇妙な連帯感を生んでいた。
「お疲れさま。私を信じたあなたの勝ちよ」
「ええ…まぁ」
あのまま赤を切ったら死んでいたところだが黙っておこう。
「大したもんよ、あなた。爆処理に来ない?」
「遠慮しときます」
もうこりごりだよ。
爆弾なんてものには二度とお目にかかりたくないものだ。
「コーヒー用意してるわ」
そう言うと緋川は支倉へ円柱型の水筒を手渡した。
「ありがとうございます。あれ?これ最新型のやつじゃないですか。どうやって開けるんですか?」
そんな事もわからないの?
と言ったそぶりで頭を掻くと緋川は口を開いた。
「簡単よ。じゃあ、まずハストーシュをブラッシュして」