砂鬼と鬼神
『絶対忘れないからね。絶対……忘れないからね。砂鬼ちゃんは1人じゃないんだよ』
森の奥の開けた場所。大きな岩は花で囲まれていた。ボロボロの着物を泥だらけにして女性が泣く。下駄は鼻緒がほつれ足は血だらけで手や顔は泥だらけ。女性は汚れた手で涙を拭い笑顔を見せた。
「妖怪の全てと言われても読めないんだよな」
『書体が筆だからな。活字のお前達には読めんだろう』
光多は部屋で机に片肘をついて足をぶらつかせながら妖怪辞典をパラパラとめくる。ふとあるページで光多の手が止まった。そこには人間の絵が書かれている。文字をなんとか読もうと指でおいながら頑張ってみる。
「人………後……?…鬼……あーダメだ読めない」
「お手伝いするっパ!!」
「うわぁっ!!」
河童が光多の机の下から顔をのぞかせる。突然現れた河童にびっくりした光多は椅子ごと倒れてしまった。リキが呆れたように言う。
『お前はなぜ机の下にいた?』
「暗くて狭いところが落ち着くっパ」
もじもじと恥ずかしそうに言う河童に大きなため息をついたリキ。光多は椅子を立て直し河童に本を渡す。
「えっとこれなんだけど」
「カパこれは…人の死後彷徨いし者鬼となりて災い与えんて書いてあるっパ」
『それが気になるのか?』
「うん…なんかね。人の死後か…」
『山にでも探しに行ってみるか?もしかしたら鬼がいるかもしれん』
リキはぶるぶると体を震わせ背伸びと欠伸をした。光多はハンガーから上着を取る。
「そうだね、行ってみようか。俺を守ってくれるんだよね?」
『当然だ。清海のような力が無いタダの人間だからなお前は』
「河童も河童も行くっパ」
『お前は別行動だ。市内で物怪を探せ』
「了解っパ……」
悲しそうに敬礼する河童。光多は動きやすい服に着替えてリキのリードを手にし首輪にリードをつける。
「この山危ないから立ち寄るなって昔から言われてたんだよな」
『間違いではないな。これは確実にいる』
光多が住む街から二時間半ほど歩いた先にある小さな山。あたりは畑や川があり長閑な風景だが山だけが異彩を放っていた。光多はリキのリードをしっかり握り締め山へ足を踏み入れる。途端に感じる寒気。初夏の昼間とは思えないほど薄暗い。木々が生い茂る山を歩く。小枝を踏む音だけが響いているが虫や動物の気配すらない。道があるのかもわからない。
「あれ?……ここさっき…」
『迷ったな…』
地面の匂いを確かめるリキ。何かに気付いたように目線を右側へ移した。薄黄色の何かが映っている。それが光多へ近付いてきた。
「お前ら何しにきた?」
「外国人……?」
「チッめんどくせぇ…」
薄黄色の着流しを着た美しい青年。金色のフワフワした髪、青い目、白い肌。光多を睨みつける。
「おい、何しに来た?犬神なんぞ連れて」
『まずは名を名乗れ。私はリキ、こちらは光多。お前は誰だ?』
「俺は砂鬼……」
砂鬼が上空を見た。目を細める。
「めんどくせぇ……また誰か来やがった…」
「この山に人はくるの?」
「なわけねぇだろ」
「じゃあ誰が……砂鬼、俺達は仲間を集めてる!」
「仲間になれと?図々しいなガキが」
砂鬼は気配を追って行ってしまう。その後を2人は追いかける。木々の中を潜り抜け、足元の枝を気にすることなく砂鬼は進む。視界が開けた。大きな岩がありその上に優男が座っていた。優男は背中に刀を差しており笑顔で砂鬼を見つめる。
「やぁ。君がこの山の主?」
「めんどくせぇ…なんなんだ?」
「物怪を集めてるんだ。どう?僕と来ないか?」
「出ていけ…つうか死ね」
砂鬼の手から風と砂が舞い上がる。男は刀を抜いた。砂鬼が手を前方に突き出して放った砂を刀と気ではじく。風と共に砂は地面へ消えていく。砂鬼は面倒そうに砂を風に乗せて砂嵐を起こす。
『なんだあの優男は』
「っ…リキ、止めなくていいの!?」
優男が小袋から物怪珠を取り出して放り投げた。
「リキ、あれ!!」
『物怪珠!!』
大きな翼を羽ばたかせ、たたらをふみ下駄を鳴らして威嚇する。現れた天狗に砂鬼は嫌そうな顔をし砂嵐を止めた。
「ってめぇ……山神かよ……」
「悪いね。天狗とそこの犬神だけが神様じゃないんだよ」
優男をリキは睨む。優男は笑いながら刀をしまい意識を集中させると姿が変わった。髪の毛を振り乱し鋭い目つき、伸びきった鋭い爪はまさに鬼。
「あーもう、めんどくせぇ……」
「そう言わなくてもいいじゃない。僕は君と仲良くしたいんだ」
「俺はお前みたいな男嫌いだクソやろう……」
油断した隙に天狗に腕を掴まれる砂鬼。砂を固めて切りかかるが天狗に伸されてしまう。リキが唸り声を上げて鬼神に飛びかかる。光多も鬼神に飛びかかった。その瞬間鬼神の様子がおかしくなる。
「っ…やめろ!天狗!!こいつらをなんとかしろ!!」
『すまぬな。いくら涼司の頼みでもできぬ。自分で誤解を解け』
「ああっもう!!僕が悪かった!!だから離して!!見た目的に悪役なのはわかってるから!!君を傷つけるわけにはいかないから!!」
『お前まさか……』
鬼神を離すと鬼神は元の優男へ戻る。天狗が砂鬼の腕を放した。光多はリキと目を合わせ砂鬼は大きな岩へ寝転がる。
「僕は櫛木野涼司。見ての通り鬼神だ。物怪珠を集めてる」
『目的は?』
「…鬼神として物怪の頂点に立つためにね」
「頂点に立ってどうするの…?」
「待ってる人がいるんだ」
天狗が砂鬼の隣に腰掛けるが砂鬼は嫌そうに岩から降りる。その腕を天狗が掴んだ。
「離せ…」
『離すわけにはいかん。涼司のためだ』
「……めんどくせぇ……」
何度か振り解こうとするが天狗の力は強く振り解く事ができない。砂鬼は仕方なく天狗の顔目掛けて砂を投げた。今度は油断していた天狗が目を押さえもがく。その隙に逃げ出した砂鬼は木の根元に腰掛けた。
「リキどうする?」
『私とて力が戻るまで時間がどれくらいかかるかわからない』
「……涼司さん、協力しませんか?目的は違っても物怪集めは同じみたいだし」
「協力か…まぁ仲間はいるに越したことないし君達だけじゃ不安だしね」
『うぐ目が目が……涼司、コイツはどうする?』
目を押さえながら天狗が言う。
「勝手に話を進めるな……それに俺は物怪じゃない」
不機嫌そうな砂鬼に涼司は吹き出してしまう。
「イヤイヤ、君はどこからどう見ても物怪でしょう?幽霊は砂を操ったり出来ないよ」
『……ふむ。お前は人間のまま彷徨ってるのか』
砂鬼が涼司を睨みつけ大きなため息をつき頭をかく。
「まあな……砂は勝手に体から出るようになった。めんどくせぇ……」
「俺達と来ない?リキは力ないし河童は頼りないし」
その言葉にリキは光多の足を噛む。
「あー……めんどくせぇからそれでいい…どうせもう無駄だろうしな」
後半小さな言葉でボヤいた砂鬼。
「鬼神の僕と組まない?鬼同士さ」
「ふざけんな。てめぇよりはガキのほうが楽そうだ」
「ガキって俺?」
「君しかいないでしょう。僕28だもん」
「うわぁ意外とおじさんなんですね……」
「ちょっとそれどういうことかな?まだピチピチの20代だよ!!」
ため息とともに砂鬼は岩へ目を向けた。風が吹き抜ける。大岩の隣には小さな岩があり花が添えられていた。その小さな岩の上にボロボロの着物をきた女性が立つ。
―砂鬼ちゃん、1人じゃないよ―
「……そうだな……」
砂鬼は女性に向かって微笑むと光多のあとをついて歩く。
――遠い遠い昔。他国との交流がなかった日本に金色の髪に青い目をした少年がいた。少年は人々に鬼と恐れられたった1人で過ごしていた。その少年をずっと見ていた1人の小さな女の子。木陰に座り本を読んでいた少年に近づく。
「お兄ちゃん頭綺麗だね。きらきらしてるー」
小さな女の子に頭を鷲掴みにされ不機嫌になる。少年は少女の手を取り家まで送ることにした。花や虫を見かける度にアチコチに走って行く女の子を連れ戻しながら。
「ほら、お前の家だろ。毎回毎回邪魔しやがって」
「えへへ!ね、お兄ちゃんの名前は?」
「名前?ねーよ。……鬼って呼ばれてるけどな」
「じゃあねじゃあねさきちゃん!!」
「はぁ?人の話聞いてたか?」
笑顔でさきの手を握る。その手をさきが握りかえした。今まではうっとおしくて相手にしなかったが久しぶりに誰かの手を握った。暖かく小さな手。しかし女の子は母親の姿を見ると手を離して去ってしまう。
「お母ちゃーん」
少しだけ寂しさを感じ、さきは山へ帰る。帰る家なんて彼にはなかった。それ以来女の子の相手をするようになった。女の子の方がさきへ会いに来るから半ば仕方なくと言ったとこだろうか。
「お母ちゃんがね、さきで男で鬼なら砂の鬼がいいんじゃないかって。頭さらさらだし」
「だから何故勝手に名前をつける」
「だって砂鬼ちゃんよびなないとふべんだもん。お兄ちゃんじゃなんか嫌」
そんな女の子と砂鬼に村人達は恐怖を感じていた。自分達とは違う病的なまでに白い肌、青い目は全てを冷たく見透かすようで怖かった。女の子と出会ってから数年が立ったある日砂鬼は山の奥、開けた場所で本を読んでいた。この国を作った神について書かれた本。
「国神なんぞいるわけがない。ここは俺の国じゃない……」
草村から音がした。動物でもいるのかと目を向けると少女がいた。数年立っても少女は相変わらず砂鬼にベッタリで離れようとしない。
「またお前かクソガキ……」
「えへへー。見て見てー新しい着物作ってもらったの。あげる!」
少女の手には薄黄色の着流しがあった。
「俺よりてめーらの着物何とかしろよ。ボロボロじゃねぇか」
「砂鬼ちゃんには黄色が似合うよキラキラしてて」
「相変わらず人の話聞きゃしねぇ……」
着てみてと言わんばかりに差し出され渋々試着してみる。
「うわぁやっぱり似合うねー。ねぇねぇ今日は森で遊ぼう!!」
「めんどくせぇ……」
「いいから行こう!!」
無邪気に笑う少女に手を引かれる。気づいたらいつも隣にいる少女。砂鬼に物怖じせず自分から近づいてきた。しかしそんな面倒臭くとも暖かい時間は続かない。村人達は鬼退治を決意する。森の中、数人の村人が草村から猟銃を構えた。開けた場所で木を背にして本を読む砂鬼に向けて引き金を引く。鳥達が一斉に飛び立ち砂鬼はゆっくりと倒れた。それを確認すると村人達は使命を全うした鬼の祟りがあってはいけないとその場を離れる。あれは鬼ではないと村人達はわかっていたかもしれない。しかし異質な物を受け入れられなかった。これで鬼が立ち上がることはもうない。
「あー……やられたな……情けねぇ……」
何処かから物が落ちる音がした。動かない体。目を向けたくても出来なかった。でも音の正体はわかっていた。
「砂鬼ちゃん砂鬼ちゃん!!」
「クソガキ……また来たのか」
「砂鬼ちゃん死なないで!!!!」
涙が止まらない少女に砂鬼は笑う。
「砂鬼ちゃん?」
「俺は……お前の家族を見守っててやるよ……だから泣くな……めん……どくせ……」
砂鬼の動きが止まり冷たくなる。息をしていない。少女は暫く呆然としていたが涙を拭って動かなくなった砂鬼の墓を作ることにした。泣くなと言われたから必死にこらえた。小さな体で何日もかけて穴を掘り砂鬼を土の中へ埋める。寂しくないように花も集めた。
「砂鬼ちゃん1人じゃないよ」
呪文のようにその言葉を繰り返しながら。少女が女性へとなった頃大きな岩を見つけて1人で運んできた。運搬車に岩を載せて何日もかけて運んだ。途方もない墓づくり。ボロボロの着物、体は傷だらけ。それでも砂鬼のために作り続けた。砂鬼が存在した証を残すために。
―いい加減にしろよクソガキ―
そんな声が聞こえてくるような気がして彼女は墓を作った。岩を置くだけで数週間かかった。周りに花を植え岩を洗う。体はもう限界。それでも満足そうな女性。しかし墓が完成すると涙があふれてきた。
「砂鬼ちゃん絶対忘れないからね。絶対、忘れないからね。砂鬼ちゃんは1人じゃないんだよ。だから……私が死んだら隣に寝かせてね」
泣きながら言う女性。優しい暖かい風が吹いた。砂鬼は岩の上に寝転がって空を見上げる。女性には砂鬼の姿は見えていない。
―いつかお前に子供ができてまた子供ができて、それが続いたらずっと見守っててやるよ。鬼は人間と違って怖いものなんてないからな―