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第二部 下降する現在  第二章 過去からの課題

No.50

 頭の中に、雨が降る。細かい霧のような雨だ。

 夜九時過ぎ、マンションの駐車場に、車を止めた彼は、傘を広げ、マンションに走った。階段の前で、傘を閉じて、水滴を払う。下を向いて、階段を昇って行く。

 廊下を、一歩一歩歩いて行く。マンションの外に顔を向ける。雨が強くなっている。鍵を開け、玄関のドアを開ける。部屋は暗い。玄関の電気を点ける。傘を立てかけ、靴を脱いで、部屋に上がる。寝室に、鞄と、上着を投げ捨て、居間で、ソファーの上に、寝転んだ。

 何時もと同じ事、毎回言われる事。自分の歩き方を指摘される事。

 駅に着き、彼女は、改札を出て、電話を掛けた。傘を差して、駅前の商店街を歩いて行く。途中、スーパーマーケットに寄り、夕飯の買い物をした。店を出て、個人商店が並ぶ通りをゆっくりと歩く。傘を持った人達、それぞれに、何処かに向かう。後ろから、自転車が来て、勢いよく通り抜けて行く。

 ビニール袋を、左手に持ち、坂を上がる。傘の位置に気を付けて、荷物が濡れないように、歩いて行く。マンションが見えて来る。

 傘を閉じて、郵便受けを見る。傘を立てかけ、郵便物を取り出し、袋に入れる。傘を右手に持ち、階段を昇って行く。途中で住人に会い、挨拶をする。

 廊下を歩き、窓枠に傘を吊り下げる。ドアを開け、中に入る。玄関の電気は点いているが、部屋の奥は暗い。鍵を掛け、靴を脱ぐ。荷物を持って居間に向かう。

 快癒した私とは、私であるだろうか? 病気だけが、私を理解する手掛かりではないのか? 暗い所では、もっと深くに、狭い所では、もっと小さくなるべきであろう。

 ドアが開く音がした。彼は起き上がって居間の電気を点ける。彼女が、買い物袋を持って、居間に入る。少し話をし、彼は寝室に行き、着替えた。服をハンガーに掛け、吊るす。ポケットから、タバコとライターを取り出す。それを持って居間に戻った。

 会話というのは、とても困難が伴う。話を聞き過ぎる人間は、それはそれで嫌だが、話を聞かな過ぎるのも、やはり嫌だ。長い時間をかけなければ、溶かせない事もある。だけど、それは、どのくらい長い時なのだろう?

 彼女は、買った物を取り出し、それを冷蔵庫にしまい、残りを台所に置いた。彼は居間に戻って来た。彼女は、ソファーで寝転ぶ彼を見た。テレビを付けて、タバコを吸い始めていた。洗い物を片付ける。

 食材を一つ一つ取り出し、包丁で切っていった。火を点し、フライパンで料理する。皿を出し、それらを、盛り付けた。彼女は、寝室に行き、着替えた。

 僕や私と言い、俺や君と言う。己や自身、部屋や空間、世界や自分。別に取り立てて、何の不自由も無い。私は何か忘れているのかもしれない。何処だったのだろう。取りに行く、ところ? 時間? それとも、全て、消える事は無いのだろうか? 私が、埋葬し忘れていたのだろうか? 祈りを、私の口から、私に向かって、捧げなくては、いけないのだろうか? だが、何を祈ればいい? 死は在るのか?それならば、祈れない。

 彼は、電気釜から、白米を茶碗によそい、テーブルに着いた。料理を口に運ぶ。時々テレビの方に顔を向ける。彼女が、戻ってくる。

 今と、昔の境界線。今と未来の境界線。それは、何か繋がりそうで、繋がらない。貰うもの、あげるもの、すること、されること、釣り合いがとれそうで、とれない。理解しているだろうか? 理解しないでいて、もらえるかな? 共有したまま、ただ、そのままにして。この世界との境界線、それははっきりしているのに、私の中に在るものは、はっきりしたものが見当たらない。手繰り寄せる、その、太い綱、何かとの繋がりが、まだ、見つからない。

 彼女は、台所に行き、冷蔵庫からワインを取り出し、グラスと一緒に持って、テーブルに向かう。グラスにワインを注ぎ、飲んだ。会話があり、料理を食べた。

 与えられた生活、確かに私が望んだ生活。ゆっくりと、時間が流れ、私はすっかり安心して、くつろいでいる。しかし、私は此処には無い。同じ問い、昔から繰り返し、呪文の様に唱えてきた問い。その時々によって、答えの変わらざるをえない問い。半分は、私が担っていくべきものだ。世界の半分は私がその権利を有していると言える。半分は、半分は、誰に尋ねるべきだろう? 皆親切だ。下らない事は聞くまい。私の半分は、未だ、黙ったまま、何一つ、私に答えてはくれない。私の問いが間違っていたのか? それとも、疑問なんて、無いのか。疑いを持って眺める事が出来れば幸せだろう。

 彼は食べ終わった食器を、流しに置く。

 子供の頃、よく夢を見た。同じ夢を、何回も見た。夢は、自分から出て来るのか、それとも、境界線の外から、やって来てしまうものなのか。私の届かない所にあるもの。私が私から距離を置く事が、出来なくなる時、その時に、私は誰と居ることが出来るのだろう? その人は、私の夢を知る事ができるのかな? 語られることの無い言葉を理解してくれるのかな? 大人に成った私は、あまり夢を見なくなった。私は確かに……、私の世界は広がった。沢山の人と係わって、色々な面を見た。それは、夢が、出てこない事だ。同じ夢を繰り返して、見ることはもうないのだろうか?

 彼女は、ワインをグラスに注ぎ、また、それを飲んだ。

 もうすぐ、季節は変わり、春が終わるだろう。





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