番外編 ハイエルフとミノタウロスのお医者さん
今回はいつも以上に山なし落ちなし。
意味は……どうだろう。
構成も考えてないぐだぐだした会話ですわ。
チャイムに呼ばれたミノタウロスの彫り師が出入り口の引き戸を引くと、ハイエルフと思われる男が立っていた。
「なんだ、あなたですか」
「久しいな」
仕事の片付けをしていた時のことだ。入れ墨を彫るための針は使い捨てで、塗料も一回ごとに捨てなければいけない。感染症を防ぐためだ。
彫り師のミノタウロスは来客のチャイムが鳴ってもすぐには出なかった。廃棄を忘れると、何かあったときに困るのは自分だと分かっている。世間の目は厳しい。
さんざん待ったはずのハイエルフはミノタウロスの記憶にある通りの涼しげな顔立ちで立っていた。人ならばまだ青年といった見た目の彼だ。肌も若々しく皺一つ無い。だがミノタウロスの男はハイエルフの男が百を超えると知っている。かつての恩師で、世話になった。
「病院、放っておいていいので?」
「今日は私の診察はないよ。手術もね」
白衣を着ていない恩師を、そういえば見るのは初めてだなとミノタウロスは記憶を辿る。そう、このハイエルフの男は、医者なのだ。ずいぶんな優秀な医者で、内科も外科もやる。彼が経営する医院が掲げる“揺り籠から墓場まで、院長先生が見守ります”の言葉通り、日本じゃ一番長く働いている医者だ。
ハイエルフは寂しそうに話す。
「周りが休めってうるさいんだ。まだ私は若いってのにね。おかげで、こうして君に会いに来られる」
若々しく美しい笑顔を向けられたミノタウロスは学生時代を懐かしむ。
彼は見た目は若いとはいえ、齢百を超える男を立ち話させる訳にもいかぬと思い立ち、ミノタウロスは脇へよけ、ハイエルフに中に入るよう促した。
「ハイエルフでも疲れはあるでしょうに。ま、上がってください。お茶ぐらいは用意します」
「ああ、邪魔するよ」
彫り師の家は入ってすぐが事務所兼応対室になっている。事務仕事をやるためのパソコンが乗ったデスク、入れ墨デザイン用のパソコンとプリンターが隅にあり、中央にはソファとテーブルといった応接セットが置かれている。全体的に金の掛かった家具だが、部屋自体は狭く、パソコンやパソコンが置かれたデスク自体は実用性に優れ安価な家具だった。
ハイエルフはミノタウロスに促され、2~3人掛けの長ソファ中央に座る。
「ふむ」
ハイエルフの尻がソファ適度に沈む。彼は、このソファが疲れにくい姿勢を維持するように柔らかさが調節されているらしいと推測した。
「いい家具だ。相当奮発したな?」
「俺を育ててくれた恩人がくれたんです。自分も使うからってね。たまに新人と来るだけだってのに」
茶葉を急須にざらりと入れながらミノタウロスは答えた。値段の張る茶葉に大雑把な扱いだ。彼に茶の良さはいまいち分からず、また濃い方が良いのだろうという考えから来る行動であった。
「よい親だな」
「……相変わらず冗談が下手なことで」
ポットの保温されていたお湯を急須に注ぐ。沸騰してからかなり時間が経ち、熱湯とは呼べない温度のお湯だ。
「本音だよ」
「ヤクザもんですよ?」
「親としては度量があるし、子供を優秀に育てた。掛け値無しに優秀だよ」
ミノタウロスは湯飲み二つと急須を盆に載せ、テーブルまで運んだ。
「その話はやめにしてください。感謝はしているが、出来ることなら関わりたくない」
ソファに座り、湯飲みに温い茶を注ぐミノタウロス。ハイエルフの男は、ミノタウロスの表情から彼の感情を読み取ることは出来なかった
「同ほ、いや、よそう。今日はそんな用事じゃないんだ」
ハイエルフはそう言うと、差し出された湯飲みを取った。一口啜る。温くて苦い。ハイエルフの美貌は思わず歪められた。
「行きませんよ、俺は」
話題を先んじてミノタウロスは言う。もう一つの湯飲みにお茶を注ぎ、自分の口を湿らせた。
「医者に戻れ。私の病院で働くんだ」
ミノタウロスの言を無視し、ハイエルフは告げる。
「お前は優秀な医者だ。私の教え子の中でも片手で数えられるほどに」
「彫り師になるためです。それ以外に、医師免許を取った理由はありません」
入れ墨とは、医療行為ではない。だが、針を深く肌に刺し色素を入れるという性質上、衛生的な問題がある。医業に分類される行為なのだ。そのため、施術には医師免許が必要である。が、医師免許を取得していない彫り師も多い。
「俺はミノタウロスです。何かあったら、同じミノタウロスの皆が困る」
「お前が初めてだよ。彫り師になるために医者になったのだ。だがその知識と技術、ここで腐らせておくには惜しい」
ハイエルフはお茶のような何かを飲み干す。不味いが、飲めなくは無い。
「医者に戻れ。お前のためにもなる」
「俺はミノタウロスですよ? 牛頭に診られたい患者なんて、いませんよ」
研修時代から、あまりいい目をされなかった。彼が担当した者は皆、拒否はしなかった。文句も無かった。だが、目だけは正直だった。
「先生のとこの評判も落とします」
「気にしないさ。患者は正直だ。お前ほどの能力があれば、皆喜ぶ」
感謝はあった。自分を見る目は次第に変わっていったのは、ミノタウロスの彫り師も覚えている。だが周りの目はどうだ。
変わらぬ奇異の目。
彼は、やはり戻れないと思った。
「それに、お前はもう忘れられないはずだ。治療が終わったときの満足感。患者からの感謝。デカいオペの後の心地よい疲労。そして努力と能力が及ばなかったときの悲しさと悔しさ。すべて、お前の糧だ」
覚えている。忘れられるはずがない。
「……先生、すみません。俺はやっぱり、行けませんよ」
ソファに座ったままのミノタウロス。ハイエルフの医者は、彼をいつもよりも小さく感じた。
テーブルに湯飲みを置き、ハイエルフはため息を一つ、吐く。予想はしていたことだった。
「そうか」
ハイエルフは立ち上がり、出口に向け歩く。
「恩は、返したいもんな」
「はい」
ハイエルフの背に届く返事は短い。
「だが、そのうち口説いてやるさ」
じゃあなと、ハイエルフは後ろを振り返らずに手を振って、戸を開けた。