ハイエルフのお医者さん
「ほんに、ありがとうございます」
最新式の電動ベッドに寝かせられた老婆が脇に座る男性を見上げた。
「コレが仕事だからね。弱気にならないで」
男性は老婆の脈や呼吸音を聞き分け、老婆と繋がった機械から老婆の状態を計っていた。
「……もう、長くないのでしょう?」
「美奈緒ちゃんのことは私が美奈緒ちゃんよりずっとよく知っているよ。大丈夫」
老婆は弱々しく、誰もがもう先が長くないと判断するだろう。男もそうだ。
男――短くした金髪と、長く尖った耳からハイエルフと分かる――はそれでも励ます。医者だから、ではない。
「私が治すさ」
医師歴今年で八十五年のベテラン医師は断言した。
だが、老婆は左右にゆっくりと、首を振る。
「孫もたくさんいて、もう思い残すことはありません」
「まだやれますよ。だからお薬しっかり飲んでくださいね」
男は優しく老婆に語りかけ、立ち上がった。彼の患者はこの老婆だけではないのだから。
それから数日後。
「先生、探しましたよ」
病院の屋上で、ナースの一人が男を見つけた。
「ん? ああ、お前か」
ハイエルフの男は煙草を口に咥え、パイプ椅子に座って背もたれに寄りかかっていた。もう何十年も前に課税により高級品になったものだ。火も灯っていて、先端より細い煙が空に消えていく。
「例の患者さん、出発しちゃいますよ」
「葬式には出る。今は良い」
ナースが腰に手を当て、ため息をつく。
「揺り籠から墓場まで、院長先生が見守ります」
空を見上げる男が、呟いた。
「うちのキャッチコピーですか?」
ハイエルフは当然人間より長生きだ。常識のように広まっている。
「たしか……お前のじーさんだったな。このフレーズを広告に載せたのは」
「そうだったんですか?」
ナースが近づきながら聞き返す。
「あの時は若かったが、実際にそうなると……な」
男は彼自身の手によって設置した灰皿に煙草を押しつけ火を消した。
「ああ、煙草、健康に悪いんでしょう? やめましょうよ」
ナースは腕を組み、男に忠告する。だが男は首を横に振った。
「早死にするならコレだと思ったんだがなぁ。どーやらハイエルフにニコチンは害にならんらしい」
次の煙草を出そうと、白衣の胸ポケットに入った箱に手を掛けて、止めた。
「ああ、そうだ。こっち寄ってくれ」
人差し指で叩いて箱を戻し、男はナースに手招きをする。
「どうしたんです?」
ナースは近寄った。一歩の距離だ。
「いや、もっとだ。ほとんど孫みたいなお前に頼るのは筋違いなんだが……」
ナースはもう一歩、近づいた。
「すまん。少し胸を貸してくれ」
ハイエルフはナースの胸に顔を埋める。
「キャッ! 先生!?」
「すまん。もうすこし、このまま」
男の声は震えていた。
「大丈夫だと思ったんだが、ダメだ。2歳のガキの頃から知ってる女の子だったんだ。」
「先生……?」
「やっぱ、ダメだ。ふぐぅっ! ぐぅうううう!」
ナースには声しか聞こえない。初めてだった。ナースには、男がこんなに感情を動かすところを見せるのは、初めてだった。
「先生……よしよし」
ナースは男の背に腕を回し、背中を優しく撫でる。
男が赤くなった目を他人に見せない片目を閉じながら屋上を出るのは、それから4分後だった。