押し付けられた子供
彼女はどこの国かは忘れたそうだけど、自分でも外国人だと宣言してくれた。
別にいらないけど。
「わたしここに泊まるからなーよろしくなー」
「お、おう、よろしく」
俺の家だよね。決定権はないの?
別に困ることは…………あった。
この家は前述したとおり、かなりの広さを誇っていて、一人だけじゃ部屋がたくさん余ってしまい手入れも大変なので、ルームシェアしている同居人が一人いる。
「ここにはさ、もう一人幼なじみが住んでいるんだけど……いいかな?」
「こわいのか? ダメって言われるのか?」
「そういうことは言わないと思うんだけど、こればっかりは会ってみないとわからないよ」
「そっかー。じゃあ会ってみる!」
アイツのことだからいいとは思うんだけどね。と、メールだ。しかも今話題にしている同居人からだ。
『今夜は遅くなる。帰るのは明日の朝ぐらい』
アイツらしく簡潔な文だ。
「帰ってくるのは明日になるんだって。今日は帰らないって」
「そっかー。朝帰りかー。ほー」
「そういうことは知ってるのな。仕事だよ仕事」
「そうなのか。朝帰りの仕事か」
間違ってはいないけど、違う意味を持っているような気がする……。
さて、
「はあ……ノーラちゃん、晩ご飯はなにがいい?」
子供らしく、けれど難しい顔をしてむーんと唸り考えている。いいのを思いついたのか、急に満面の笑みを取り戻し言う。
「ステーキ!」
「そんなものありません」
「スシ!」
「ありません」
「にゅー」
「二つだけで困らないでよ。もっとあるでしょ。カレーとかさ。子供らしいもの」
「わたしは子供じゃないぞ。もうひらがなとカタカナと漢字は書けるし」
「じゃあ問題です。『轟木久夜』と漢字で書いてみてください。これ紙と鉛筆」
「こうか?」
書いたのは『轟』という字を『車』ではなくて『東』になっていたけれど見なかったことにした。
「……すごいなー」
我ながらひどい棒読みだった。
「ぜったい思ってないでよ」
「そ、そんなことないけどなー」
「にゅー」
まだちょっと棒読みになってしまったかもしれない。
適当に、カレーでいいかと思い、作り終わるところで。
「おじちゃん、風呂入りたい。日本の風呂、せんとー!」
俺のことか「おじちゃん」って公園でもそんなこと言っていたような。
「おじちゃんはやめてくれないかな」
「じゃあ、おにーちゃん」
「……世間的にもちょっと……」
「久夜」
一気にテンションダウンである。なぜ?
「それがいいかな……」
おにーちゃんよりはいいか。それより
「銭湯か。……砂まみれだもんな。家の風呂じゃだめ?」
「せんとーがいい!」
「じゃあ行くか。幸い近くにあるし」
「やったーへへへ」
「って着替えは? なにも持ってないじゃん」
「うんそうだけど?」
「そうだけどじゃない! せめて一日分の着替えぐらいは持って来てほしかった。特に下着とか」
こんなことを言うのは自分のためじゃないですよ。この子のためですからねっ。
――ということで、銭湯である。
「せんとーせんとー♪せーんーとーせんーとー♪」
なんか知らない歌を歌いながらの行幸である。子供は無邪気だなー。
「じゃあ後で」
と別れようとしたのだが、なにげなく後ろをついてくる。
問題は男女の違いである。俺は男でノーラは女の子。俺が女風呂に入る訳にはいかないので。
番台に座るおじさんに確認すると
「十歳までは構わないよ」
との気楽な返事。なにを基準に十歳なのだろうか。わからん。なんか怖いことになりそうなので深くは聞かないことにする。
擬音語でいうところのスポーンという感じに服を脱ぎ捨てて、風呂場に駆け出て行ってしまった。
「危ないから走っちゃダメ」
「にゅー」
変な返事だが了解の意らしい。
……わかっていることではあったけど、小学生女子の裸である。まだ未発達の部位とすべすべした肌。触れていなくてもわかるぐらいきれいですべすべだ。
いやいやいやいやいやいやいやいやいや。
こ、これっぽっちもやましいことなんかないんだからねっ。
――定番のツンデレ台詞になっていしまったではないか。
いきなり浴槽に浸かろうとするので、
「待って待って、まずは身体洗ってから」
「なんでー?」
「マナー……日本のルールだからです」
「しかたないなー」
俺の横にちょこんと座り、見よう見まねで体をゴシゴシ。
「背中あらってー」
「はいはいはい」
だ、だからやましいことは、以下省略。
ぼうっとしていた俺は飛んでいったわけではないけれど、ノーラの背中を流しにいった。
描写はやめていいかな? 煩悩に打ち勝つのに大変だったので。
いや、や、やましいことは、以下省略。
端的に言っておくと……疲れた。だってゆっくり入れなかったし。「熱い!」とかいってすぐに出て行ってしまった。十ぐらい数えてから上がりなさいって言われなかったんだろうな。
そしてやっぱり銭湯の定番、牛乳である。手を腰に当ててグビグビと飲む。これこそ銭湯のお約束、規則、法律。ちゃんと外国人であるノーラにも説明して二人でグビグビ。
「にゅーねむいよう」
「……そうか。おんぶしてやる。乗れ」
「……ZZZ」
おんぶした途端寝てしまったようだ。力が抜けてノーラの全体重がかかってきた。さすがそこは小学生、ムラムラくるような体つきではないので、やましい気持ちが起こる気配がない。
気にしているのがこれだけというのは変態になる兆候か? あまり考えないようにしておこう。
これからどうするか、そんなことを考えながら帰路を歩いたがいい案はでてこなかった。だってまだ具体的に困ってないし。
空いている部屋――家のほとんどの部屋が空いているので別に困るようなことはなかった――にノーラを寝かしつけて、ダラダラとテレビを付けていたが、おもしろいこともなかったので俺も寝ることにした。
*
「ただいまー」
「ああ、おかえり」
今日は土曜日、仕事に行かなくていい日。就職していない俺がいうのも違うけれど。これから毎日休日だしな。さて、これから喫茶店と開くのに、準備しなければ。
深夜番だった同居人が帰ってきたようだ。
「うう、ねむいよう」
「寝るか? 飯にするか?」
「それとも私? とか言わないでよ」
「なんだ言ってほしいのか。じゃあ俺にする?」
「しないから! ご、ご飯、ご飯で!」
「わかった少し待ってろ。すぐできるからな」
「うん」
同居人、藤倉朝葉。わかっているだろうが、同居人は女性である。……まだ、結婚しているわけではないからあしからず。っていうか、付き合っているわけですらないんだが。
幼稚園の頃からのつきあいで、いわゆる幼なじみというやつである。もうなんかね、家族のような気がするぐらい深い関係かな、精神的に。
別にこの家は広すぎて使い切れないから、朝葉の職場――近所の私立小学校――に勤めることになっていたので同居してもいいかなと、双方の同意の下ルームシェアしているというわけだ。
「にゅー……おはよう」
「おう、起きたか」
ノーラが起き出してきたようだ。さすがに八時だしな。妥当といえば妥当だ。
「……ん」
「ん?」
「…………」
「…………」
どうした? 時間が止まったぞ。なんか困ったことがおこったか?
ノーラと朝葉が一瞬見つめ合って……二人とも同時に、
「誰なのよこの子!」「誰だこいつは!」
そういえば連絡していなかったっけ。忘れていた。
ノーラは光るような銀髪を、朝葉は腰まで届くポニーテイルを振りまいて俺を問い詰める。どうどうどう。
「とりあえず落ち着こうぜ。……ちゃんと説明するから」
「落ち着いてるわよ。さあ早くしなさいよ、こかすわよ」
なんでそんなに怖いんですか朝葉さん。全然落ち着いているようには見えませんが。
「そ、そうだな。ノーラ。こっちは前に言っただろう幼なじみの藤倉朝葉だ。で、こっちがノーラ・フェイツだ」
「……よろしく」
「……うん、こちらこそ」
握手はしているんだが、ふたりともピリピリした空気を振りまくのはやめてもらえませんかね。お互い紹介したからさ。
「で、こんな子がなんでこの家にいるのよっ。こかすわよ」
「なんかな、母さんが預かってくれって」
「……あの人はもう……なにか考えてやっているんでしょうね……」
「さあ? 母さんのことだから考えていないと思う……」
「……だよねー」
「だめかな? 預かっても」
ここぞというときに、子供独特のきらきらした視線を使うノーラ。教師というだけあって、「うっ」として、しぶしぶ了承する。
「ま、まあいいんじゃない。あんたどうせ暇なんだし」
「うっせー」
もう昨日のノーラが来る前に勤め先が潰れたことは連絡してあった。
今日の朝食は昨日のカレーである。一晩置いたことでコクが出てるんじゃないかな。特別に用意することもない。「パン」か「ご飯」かを選ぶぐらいだ。
「おお、カレーだぁぁ。なんで朝からこんなに豪華なのだ。昨日の朝なんかお茶漬けだったぞ。おいしかったけどなー」
あのババァ――殺気とか寒気がするので――じゃなくて母さん、子供には栄養のあるものを出せよ。……大学で学んだことであるが。
「まあ、昨日の残りだけどな。喜んでくれてうれしいよ」
「にゅにゅにゅ」
うれしそうにお変わり三杯もする。休みだからってちょっと食べ過ぎだろ。
「なあ朝葉……付き合ってくれないか?」
「ななななに言ってんのよ。ももももしかしてあんた、私のこと…………好きなの?」
後半が聞き取れなかったが、まあいいか。
「は? なんか言ったか? あのな買い物を手伝ってほしいと思って」
「……なんだ。そんなことか……はあ」
「いやな、ノーラの服とか買いに行かないといけないからな」
「……そっかー」
「そうなんだ。お前が起きたら行こうぜ」
「ん。わかった。じゃあ寝るわ」
お昼までたぶん朝葉は起きてこないだろうから、掃除とか洗濯してしまう。ノーラはテレビを見ている。アニメとか子供が見るような番組ではなく、国会中継である。
ええぇぇぇぇぇぇ~国会? 大人になっても見たことのない国会見るの? 子供だよね?
……子供離れした子だなあ。
「政治に興味があるのか?」
「うん」
そんなに元気よくして見るような番組ではないよ……。
おお、今日は暖かいって。桜が咲くのはもう少し先のようだけど。
「ねえ何を買うの?」
「うーん。とりあえず服と下着と食器、あとは……食料かな」
喫茶店のためにはもう少し軽食について整える必要があるだろう。出かける前に調べてみると、コーヒーや紅茶の材料……でいいのかな? それはたくさんあったのだ。
ちなみに朝葉にも喫茶店を開くことは言ってある。「いいんじゃない?」との返事だったが。
「し、下着ぃぃ? この変態!」
「公共の場でそんなことを叫ぶな。ほらみんな引いてるだろうが! だから朝葉に来てもらったんだよ」
「そうだよね……よかった……」
「こっちもだよ。これ軍資金。いつの間にか母さんから振り込まれたいたから、存分に使ってくれていいよ。じゃ、俺は生活用品とか飯買ってくるよ。だから服とかは頼んだ」
「はい、頼まれました」
まあ、女の子は女性に任せるのが良いだろう。
布団と買い、ぶらぶらと晩飯何にしようかと、白菜を見定めていると、ノーラと朝葉が二人とも両手いっぱいに紙袋を抱えてやってきた。
「どうだった?」
「うん大丈夫。困らないぐらいには買ってきたよ、いろいろと」
「おう、ありがと」
「いやいや、別にいいよ」
少し照れながらの返事。こんな素直な反応されたらこっちも困るな。
「いい夫婦になったねぇ」
顔見知りの魚屋のおじさんが話しかけてきた。それにしても夫婦とは…………そう見えてしまうのかなあ。反論しようと口を開けるが、先に
「ふ、夫婦? いいやそんなわけないじゃないですかあはははは」
案の定朝葉が食って掛かった。
「おや、まだ結婚していないのかい? それはすまなかった。もう子供までできてしまったのかと思ってなあ」
ノーラを連れているし、それは仕方ないのかもしれない。久しぶりにここまで足を運んだのだから。
「そこまではまだですよう……つきあってもいないんだから……」
「そうですよ。まだ付き合ってさえいないんですから。この子はノーラといって、しばらくうちで預かることになったんですよ。ほら、あいさつ」
「よろしく、魚屋のおじちゃん」
「おお、こちらこそよろしくな。元気いいなあ。やっぱり子供は元気が一番だな」
「そうですよね」
その点に関しては全面的に同意します。
「そうか、子供預かってるのか……。じゃあさ、もう一人ぐらい預からない? 困っている人がいてさ。一人も二人も同じじゃない?」
「そんなことないでしょうよ……まあ暇ですし……返事はまた今度でいいですか?」
「そりゃもちろん、いつでもいいからさ。いい返事を待ってるよ」
「期待しないで待っててください」
「おうさ」
保育士とか幼稚園に勤めるのはイヤだけど、家で子供を預かるのはいいかなと思う。だってさ、幼稚園の先生ってぜっったいバカにする人がいるでしょう……俺の両親とか。だから資格を取った割にこの二つの職に就かなかったのだ。
このことを決めるのは、やはり朝葉に相談してからというのがものの道理だろう。
「はやく、行くよ」
おじさんと話している間にここでの買い物も済ましてしまったようだ。
「はいはい」
「ふふふ……夫婦か……ふふふ」
なぜか朝葉が上機嫌なので、さっきの話を持ち出すのは気が引ける。ノーラが来ていたことだけでも、キレていたのがなあ。鼻歌とかもしちゃっているし。ノーラまでつられて楽しそうだし、あとでいいかなと結局話せずしまいで家に着いた。
「お、もうこんな時間か、風呂順番に入ろうぜ」
「今日はせんとーじゃないのか?」
「家じゃダメかな?」
「せんとーがいい!」
……まあ今日は朝葉がいるし、昨日みたいにはならないだろう……。
「……今日は?」
じとーとした朝葉さんの視線が怖いんですが。
「日本文化に触れたいからって、母さんの家では銭湯に入ったんだよな! そうだよなノーラ!」
フォローしておかないとまずい気がする。ノーラに「話を合わせて」とのアイコンタクトを送り成功したかと思ったが、
「おばさんのところでは行ってないぞ。昨日行ったのにもう忘れたのか?」
はい、核心を突いての返事ありがとうございます。さすがにまだ八歳。空気を読むことは難しかったようだ。
「久夜ぁぁぁ。なにしてんのよっ。こんな無垢な子供に! こかすわよ」
「こかしてるじゃん。なにもしてないからやめてぇぇぇぇ。ぐええええぇぇ」
足を払われ尻餅をつき、朝葉に腕ひしぎをかけられた。痛い痛い、それ以上やったら折れるって。ギブギブギブゥゥゥ。
「わたしもする!」
なにを勘違いしたのかノーラも飛び込んでくる。
「よし、ノーラちゃんは私と同じようにしてみ………そう、ここに足をかけて……で、腕を引っ張る」
「こうか?」
「そうそう、うまいじゃん」
「痛い痛い。やめてぇぇ」
ノーラまで参加してきた左右両側からの腕ひしぎがかけられています。
ちなみにこんなことをしながらも……朝葉の豊満な胸が腕にあたっているんですよね。思いっきり引っ張っているので力いっぱいあたっているのだ。健全な男子としてはやめてほしいというか、そのままのほうがいいというか、どっちなんでしょうね。自分にもわかりません。
……やっぱり、痛みの方が辛いので早々とやめてください。
言わなくてもわかったと思うけれど、ノーラにそんなことを期待したらだめですよ。小学生ですよ。
やっと解放された。朝葉、限界をちゃんとわきまえているよな、さすがに大人になったんだし。
でも、それがわかっているからって、限界まで挑戦しなくていいと思う。
「まあ、今日は朝葉がいるんだし。行こうぜ」
「今度から銭湯にいくときは私がいるときにしてよねっ」
「お、おおう」
なんかよくわからないような約束を不本意であるが取り付けられてしまった。
別に困ることはないからいいんだけど。