王様の爪痕
貴族の割れんばかりの拍手。満面の笑み。そして賞賛の嵐。
これだ! これがあるから、芸はやめられない——道化師は城内での宴会で掴んだ賛辞に興奮を隠しきれませんでした。しかしながら大広間を見渡すと、肝心のあの方の表情が冴えない——そう、王様です。
あの日以来、王様はすっかりふさぎ込んでしまい、笑顔はどこかに消え失せてしまいました。王妃はことのほか事態を憂慮し、狩猟や宴会を次々と開くものの、王様は心ここにあらず……道化師は必死に王様を盛り上げようとしますが、お手上げの状態になっていたのです。
宴会が終わった後に王妃が道化師に歩み寄ってきました。
「今日も大ウケね。とっても楽しかった」
「ええ、まぁ……」
「今までの中で三本指に入る出来じゃない?」
「そう言っていただけるなんて。身に余る光栄です。しかしながら……」
「そうね。あの人がね」
「いっそのこと、皆さんにスベり倒した方が、こちらとしてはスッキリするのですが」
「そう言わないで。王様を元気付ける人が、他に誰かいて? つまらない侍従? 生真面目な医者? それともオチを知らない司教?」
まっすぐな瞳で見つめる王妃に、道化師は思わず言葉を飲み込みました。
「あなたが唯一の希望なの」
あの日——
自慢の衣装を披露すべくパレードに出た王様。愚か者には見えないという衣装に身を包み颯爽と登場したものの、領民の間では戸惑いからか盛り上がりに欠けます。
「まさか……」
王様に一抹の不安がよぎった頃には、もう時すでに遅し。
「王様は裸だよ」
男の子の一声に、周囲は騒然としました。
「裸だ! スッポンポンだよ」男の子ときたら、情け容赦ありません。「ねぇ、パパ見て! ほらっ、パパ、パーパッ! 王様は……」父親の顔は引きつり、慌てて男の子の口をふさぎます。
素っ裸でパレードに参加した王様は、飛んだ笑いものとなりました。もともと衣装など見えないのに、大衆に見せびらかしたのです。遠い村では尾ひれが付いて、いつの間にか「王様が激しく裸で踊っていた」ということになってしまいました。
行きは意気揚々と、帰りは意気消沈で——。
道化師は頭を抱えていました。宴会の次なるネタに困っている訳ではありません。如何にして王様に笑顔を取り戻すか——道化師は気付きます。手段ではなく、根本的な部分に目を向けないと。笑顔以前に、国王としての自信を取り戻せねば。しかし、どうしたものか……そんな大それたことを、たかが道化師の自分が。
今日も王様は豪華な夕食を、浮かない表情で黙々と口にしていました。食後、見かねた道化師は意を決して、城の中庭で星空を眺める王様に声を掛けたのです。
「王様、一つお話が」
「どうした? 急に」
「その……次の宴会で披露しようとしている芸がありまして」
「ほう」
「王様に見ていただきたく」
「おいおい、先に見せては宴会芸にならないぞ」
道化師は意に介さず手品を使って、赤い小さな瓶を王様の目の前に差し出します。
「とある旅芸人から手に入れまして。私の余興に使うつもりでしたが、王様に進呈します」
「何なんだ?」
「百聞は一見に如かず」道化師はそう言い残し、目の前にある一本の大木の裏に回っていきました。しばらくして、何の気配も無いので王様が大木に近付こうとすると、耳元に聞き慣れた声がしました。
「ご安心を。私です」
ところが、王様がいくら周りを見回しても道化師の姿が見えません。
「木の裏に回ってください」声の主が言います。
王様が怪訝そうに木の裏に行くと、道化師の服が無造作に置かれていました。
「どうなってるんだ⁈」
「透明人間です」道化師が王様の耳元で囁きます。
「えっ?」
「触ってみてください」
王様は恐る恐る、隣にいるかと思われる道化師に手を伸ばしました。
「あっ、下はダメです」
「何てことだ!」王様は驚愕の面持ちです。見えないのですが、そこに道化師はいました。
「先程、お見せした瓶ですが『魔法の薬』が入ってまして。飲むと体が透明になるのですよ、王様」道化師が得意気に言います。
「信じられん」
「そうは言っても、現実にこうやって」
「そうだな……でも何故、わたしにくれようとするのだ?」
「まずは外の空気を吸い、ゆっくり気ままに歩き回ってください。そうすれば民の暮らしぶりが見えてきます」
「ほう」
「しばらくすると、気付きが出てきます」
「それで?」
「そのうち改善点が浮かんできます。『ここは、こうすればいいのではないか? あそこは、ああすればいいのに』。侍従達の当たり障りのない、退屈極まりない報告がどれだけ時間のムダだったか……思い知らされます」
「なるほどな……」
「実際にご自身の目で見て、耳で聞いたことを政策に活かせば良いのです」
王様はじっと、天空でひと際輝く星を見つめていました。
「どうか、あきらめないでください。王様」
「そうは言っても……もう、手遅れだろ。何もかも」王様は自嘲気味に笑いだしました。「何しろ、裸の王様だから」
「人はいつでも、やり直しができるんです。それが伝われば——」道化師は恭しく片膝をつきます。
「自ずと民は付いてくるでしょう」
「さてさて、お前の言う通り、やり直せるものなら……確認までだが、今度も裸なんだな」
「前回は愚か者には見えない衣装とやらでしたが、今回はそもそも、裸でも誰にも見えません」
「どっちに転んでも、裸の王様か。結局のところ」
「そうおっしゃらずに。王様だとバレないのが重要です。隠密行動ですからね」
王様の様子を遠くから見守っていた王妃は、思わず使用人に言いました。。
「さっきから、ずっとブツブツ独り言で……大丈夫かしら」
翌日、王様は半信半疑で赤の瓶に入った『魔法の薬』を飲みました。鏡の前に立つと、見る見るうちに体が透明になり、衣装が宙に浮いているような状態です。
「衣装は私が預かります」道化師は喜びに満ちあふれていました。「お帰りになられたら、この緑の瓶を飲みましょう。そうすれば元の姿に戻ります」
王様は道化師の案を受け入れ、視察に行くことにしました。道化師の言うことにも一理あったからです。王様としてはあのパレードの一件以来、周囲の事なかれ主義、自己保身、欺瞞に満ちた世界にウンザリしていたのでした。反面、裸そのものに対する恥じらいは、周りが思うほど気になりません。いつも重くて暑苦しい服装からの解放感が、思いのほか心地良かったのです。人には言えませんが。
城の窓からは道化師が、見えるはずもない王様の姿を追い続け、いつまでもいつまでも見送っていました。
その後、王様は初夏の日差しを浴びながら、領民の生活を見守り続けました。視察を通して気付いたのは貴族と違い、民の生活に潤い、すなわち日々の娯楽が無いということ。そこで王様は周囲の反対を押し切って年貢取り立てを見直し、都市や村に風呂屋と居酒屋を大々的に広げていったのでした。矢継ぎ早の政策に領民は大いに喜び、王様の評判はうなぎ登りとなったのです。もう誰も『裸の王様』などとは言いません。
「王様、万歳! 王様、万歳!」今や、あちこちで聞く民の声です。
王様はすっかり自信を取り戻して威厳を保ち、自然とよく笑うようになりました。道化師も遂にやり遂げたと小躍りしたものです。
「どんな魔法をかけたのかしら」王妃は興味津々でした。
「そりゃあ、素っ裸で歩き回ってますからね」とは、さすがに道化師といえども……声に出たのは「王様は、裸一貫で民の心を掴んだのです」
感銘を受けた王妃を横目に〝当たらずといえども遠からず〟、道化師はそう自分に言い聞かせました。
日の入りが早くなり夏の終わりを迎えると、王様の復権への旅路も終着点に辿り着いたのでした。
「王様。いよいよ最後の『魔法の薬』となります」
「いや、実に愉快であった。礼を言うぞ」
「恐れ入ります」
「視察から世相というものが、嫌というほど分かった」
「城内の生活だけでは知り得ません」
「見えないものを見ようとして、見えるものを見ようとしない」
「思慮に富んだ言葉ですね」
「似た者同士で固まって、価値観の違いに目を背ける。そもそも狭いコップの中に閉じこもっている状況にすら気付いていない」
「ごもっとも。困ったものです、最近の風潮は」
「有意義な旅であった。しかしな」
道化師は、王様の決意みなぎる姿を感じ取ります。
「わたしには、まだやり残したことが一つある」
なおも領民の為に奮い立ち、献身的に振る舞う——道化師は感動に震えました。
「何なりと。お見送りします」
透明人間なので王様の姿は見えませんし、きらびやかな衣装もありません。ですが道化師の目には、まばゆい陽光の中にくっきりと映っていました。
今や揺るぎない自信に大いなる風格、そして溢れ出る気品を、王様は身にまとっていらっしゃるのだと!
*
ある日の夕刻。とある民家で。
突然、壁や床をドンドンと叩く音がし、椅子が勝手に倒れるといった騒乱を手始めに不思議なことが起こった。
室内には家族以外に誰もいないのに——何かによって——三人娘には顔面に卵が投げつけられる。母親は、目の前でフワフワと宙に浮かぶ飼い猫を見て気絶。父親はというと頭からビールを浴びせられる始末。男の子は突然ズルッとズボンが脱げ落ちたのに慌てふためいて、屋外に逃げ出す。とどめの一発でお尻に吹き矢が当たり、思いっ切りこけて大泣きしたそうだ。
ちなみに、この男の子は『王様は裸だ』と言った子らしい。
(中略)
一家が呆然としていると、辺りには何とも言えない、どす黒い笑い声が稲光の中で響き渡っていた——この怪奇現象は未だに解明されず、まことしやかに国じゅうへと語り継がれるようになったのである。〔司祭の手記より〕




