0話「勇者」
◇
目が覚める。
正確には、目を開くとそこにいた。
果たして眠っていたのかどうかすら判断が付かないが、ただ俺は立っていた。
視線を走らせると、どうやらここは薄暗い地下のような場所に思えた。
「…こ、こは」
酷く喉がカラカラで振り絞るように声を出す。
特に喋る必要はなかったが、状況理解の為に敢えて言葉にする事で脳のリソースを割いた。
考える。直前までの記憶を辿ろうとするが、何度やっても空白。
人としての最低限の事以外は一切靄がかかったように何も思い出せない。
自分が一体誰なのかさえもだ。
一度考える事を諦め、視界に入れないようにしていた俺を取り囲むようにして跪いている黒いローブの人達とようやく向き合う。
「おお…おお!成功だ…ついに!」
「これで世界は救われる…」
「神よ、奇跡に感謝致します!」
「お目覚めですか、勇者様…!」
まるで示し合わせたみたいに次々と感嘆の声を上げる。
勇者と口にしたが、俺の事なのか?
「すみません。状況が呑み込めないんですが…?」
「これはご無礼を!申し訳ございません!」
「いえ、大丈夫です。とにかくどうして俺はここにいるのかを教えてもらえると助かるんですが…」
「それはわたくしがお話しましょう」
ざわついたこの空間を静まらせる凛とした鈴のような声。
声の発生源は俺を取り囲む黒ローブよりも更に奥。こちらへ確実に歩みを進めている。
「お初にお目にかかります…わたくしはこのアセルニア王国の王女、クィン・クェリリ・アセルニアと申します。お見知りおきを」
「丁寧にありがとうございます。俺は……すみません、どうにも自分の素性を思い出せなくて…」
「恐らく召喚の影響で記憶が朦朧としているのでしょう。過去の文献にもそう言った事例が…と、申し訳ありません。どうして勇者様がここにいらっしゃるのかを知りたいのでしたね」
クィンと名乗る王女は息を呑む程美しい赤髪の可憐な少女だ。
見るからに気品を感じさせるドレスに身を包んでいる。
「単刀直入に申し上げますと、あなたは我がアセルニア王国、ひいては世界を救う為に異世界より召喚された勇者様です」
「俺が、世界を救う勇者…?」
「はい。詳しくはこの後我が父にしてアセルニア王国、国王ルーゼン・ウォグリ・アセルニアの待つ謁見の間にて話させていただきたいのですが、体調の方は大丈夫でしょうか?」
「ああ、はい。記憶がない以外は至って正常だと思います」
「では御足労かけますが、今一度わたくしに着いてきてください。案内しますね」
言葉にせず、こくりと頷く。
柔らかな笑みを浮かべ、踵を返して案内をする王女に続くように、俺も歩き始めた。
◇
どうやら俺が今までいた場所は地下だったらしく、ほどほどに長い階段を登ると豪華としか言い表しようがない王城に出た。
そこからも時間は掛かり、広い廊下を歩いた末に俺は謁見の間に繋がると言う大きすぎる扉の前に到着した。
扉の前には2人の兵士が武器を手に立っていて、王女が目配せをすると緊張した顔持ちでそそくさと重たそうな扉に手を掛けて押し開いた。
謁見の間。中には護衛と思わしき兵士が左右にズラリと並び立ち、最奥には主たる王が玉座に座していた。
傍に立つのは大臣だろうか。
王女が小さな声で「参りましょう」と歩き出すので、釣られるように玉座の前まで移動する。
「お父様、勇者様をお連れしました」
「…うむ、ご苦労。下がってよいぞ」
「失礼します」
去り際の王女と目が合うと、彼女は「それでは後ほど…」と囁いて行ってしまった。
「…既に聞き及んでいると思うが、私がアセルニア国王、ルーゼンだ。此度は勇者召喚に応じてもらった事、深く感謝する」
「いえ。感謝されるほどの者じゃないと思うのですが…そもそも自分が誰なのかも分からなくて」
「勇者召喚による記憶喪失、あるいは一時的な記憶の欠落か…過去にも似たような事例が見受けられている。最後まで思い出せない者もいれば旅の最中で思い出せた者もがいたとな。お主には辛いかもしれぬがどうか受け入れてもらいたい」
王女も古い文献で見たような事を言っていたな。
なくなったものは仕方がないし特に気にしても戻って来るものでもないと思うし、とりあえずは様子見だ。
「せめてなんで俺が選ばれたのか教えていただきたいのですが…」
「うむ。そこが本題なのだが、実はこの国、いや…世界は現在魔王の支配により崩壊しつつあるのだ」
勇者に魔王。記憶をなくしている俺でさえ知っている存在だ。
御伽噺や逸話で度々登場する平和の為に戦う正義の使者である勇者と、世界征服を目論む悪の化身である魔王。
そんな勇者に俺が選ばれただなんて未だに信じられない。
「察するにその魔王を勇者である俺に、倒してほしいと…でもどうして異世界から召喚する必要があるのです?」
「どうして、か…。この世界にはな、永らく英雄と呼ばれる類の人物が誕生していないのだ。魔王討伐を買って出た者もいるが、全て帰らぬ者となってしまった。しかし、魔王による支配が続く中、我が先祖にあたる者達が異世界より強き者を召喚する術を編み出し、見事魔王を打ち倒してみせた。以降我々は異世界からの来訪者達の事を、関係のない異世界の為に戦ってくれる勇気ある者…勇者と総称する事にした」
「勇者についてはまあ理解しました。しかし、英雄が生まれないのはどうしてなのですか?」
「…強すぎたのだ」
「強すぎた?」
「魔王もそうだが、始まりの英雄アーセルと言う男があまりにも強すぎた」
始まりの英雄、アーセル。その名を聞くだけで不思議な気持ちになる。
「英雄アーセルの伝説は至る場所に散らばっていて、旅する最中耳にする事もあるだろう。だから私からはひとつ、彼は唯一無二の希望であったとだけ言っておこう」
王にここまで評価される英雄。少し興味をそそられる。
彼はゆっくりと重い腰を上げると、咳払いをひとつ。
「少し話が逸れてしまったな。改めて本題だが、勇者よ!お主にはこれより旅をし、力をつけ、時には仲間と共に、魔王の手から世界を救ってもらいたい!」
「…俺に成し遂げられるかどうかは分かりませんが…拝命いたします」
「期待しているぞ、勇者よ……して、名はなんと呼ぶべきか?」
「仮の名でもあればいいのですが…」
いっその事、英雄アーセルの名前を借りるとか。…流石にまずいか。
お互い首を唸らせていると、王が不意に何か思いついた素振りをした。
「そうだ、勇者召喚は神との古の契約が発端とされている。なれば勇者は神の使徒と同然…そこから拝借してエジルと言うのはどうだろうか?」
「エジル…はい、いい響きです」
「うむ、それでは勇者エジルよ。ここを出れば既に最初の仲間が待っておる。お主の活躍を期待しておるぞ!」
「はい、この勇者エジル。必ずしや魔王を討伐してみせましょう」
「ではゆけ!新たなる勇者よ!」
跪き、首を垂れた俺はその言葉と共に立ち上がり、身を翻して謁見の間を飛び出した。
ここから勇者としての旅が始まる。記憶がない分、余計な心配もしなくていい。
かえって記憶は邪魔だったかもしれないな。
「魔王か…どこにいてどんな奴なんだろうな」
「勇者様、お話は終えられたのですね」
謁見の間を出て長い廊下を少し歩いていると、不意に呼び止められてしまう。
廊下の壁沿いに、彼女はいた。
「王女様…?」
「クィンで大丈夫です。敬語も構いませんよ、これからは苦楽を共にする仲間なのですから」
「…何?」
「お父様よりお聞きになってないのですか?わたくしもこれより勇者様の旅をサポートする治癒術の使い手としてお供する事になっているのですが…」
最初の仲間がいるとは聞いていたが、それがまさか王女だとは誰が予想出来ただろうか。
…いや、そう言えば去り際にそれでは後ほどと言っていたな。
顔色を窺うとあまりにも王女が不安そうな顔をしているので、慌てて俺は王様の思い出した素振りを真似する。
「そう言えば、話の途中でチラっとそんな感じの事を言っていた!すまない、あまりにも壮大な話だったから少し記憶が飛んでいた!」
これ以上記憶が飛んだら洒落にならないが。
「そうでしたか。無理もないですね、突然召喚されて世界を救えだなんて言われたら…」
「そう気に病む事でもないさ。とにかく、これからは仲間だ」
クィンに手を差し出す。
「俺はエジル。呼び捨てで大丈夫だ。記憶が戻るまでの仮の名だけど、よろしく頼む」
「はい、エジル。改めて私はクィンです。こちらこそ、よろしくお願いします!」
握手を交わし、お互いに笑い合う。
こうして、クィンが仲間に加わった。
「早速なんだけど、色々と教えてくれないか?腹も減ったんだ」
「それなら城下町を案内がてらにどこかでお食事を摂りましょうか。美味しいお店があるんです!」
「それは楽しみだ」
勇者の冒険は始まった。きっと過酷な旅になるだろうが、誰も欠かさず、多くの人を救い、最後は笑い合えるような終わりになればいいと心から願う。
前を歩く可憐な少女の後ろ姿を見ながら、俺はこれからに思い馳せたのだった。




