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狂い回る歯車 【Ⅳ】

季節は夏休み明けの晩夏。まだまだ半袖を手放せない時期の中、仁は最寄の駅から遠く離れたファーストフード店で山岡と二人、ポテトを摘んでいた。

冷房のかかった屋内だというのに、仁の鼻の頭には汗の玉が浮かんでいる。眉間には小さく皺が寄っていて、視線はテーブルに注がれているものの、どこか虚ろだ。

夏休みのほぼ全ての日数をサッカーに費やしていたとあって、小麦色どころか褐色に日焼けした山岡。

そんな彼とは正反対に、仁は不健康なまでに青白い。日に焼けにくく、影のない場所に二時間もいれば軽い炎症を起こす厄介な体質をしているとはいえ、美白コスメCMに出ている女優顔負けのこの生白さは異常だと、最近鏡を見る度に自嘲を禁じ得ない。

原因は考えるまでもなかった。中学時代から夏になると、かの男は食べ物だけでなく日焼け止めを差し出してそれを嫌がる仁の体に塗り手繰っていたが、今年はそれに加えて夏期講習や部活動、そして鳥羽家への訪問を除いた不必要な外出を断固として許さなかった。

もはや“籠の中の鳥”と表現するに相応しい休暇の過ごし方だったと振り返る。

「こうやって顔をつき合わせて話すの、随分久しぶりだよね。学校じゃ鳥羽の目があるし、夏休みも四六時中見張られてたんだろ?」

「四六時中ってわけじゃなかったけど……うん、殆ど毎日会ってた。何かされるんじゃないかって内心ビクビクしてたけど、家と学校以外じゃ鳥羽の家のリビングでおばさんも一緒だったし……おかげで過剰なスキンシップもなかった」

「うん、そこら辺は電話で言ってたよね。とりあえず無事で何より」

身を乗り出して軽く肩を叩かれるが、その表情は苦笑というには若干引き攣っていた。

「そういえば今日呼び出された理由、聞いてないんだけど?わざわざ麻生を離れた場所に呼び出すくらいなんだから、鳥羽関係だっていうのは嫌でも分かるけどさ」

俯き加減になりながら、仁は言い淀むように視線を彷徨わせるが、やがてポツリポツリと語り始めた。

「本人に言われるまですっかり忘れてたんだけど、もうすぐ鳥羽の誕生日なんだ。去年までは僕の身に着けてたキーホルダーだったり、目覚まし時計だったりしたんだけど……」

「ちょっ……?!もしかして今までずっと自分のお古あげてたの?!」

「鳥羽に強く強請られたんだよ!それにわざわざ買うくらいなら、お古だろうが傍にある物を適当にあげる方がお金使わなくて済むし」

「………」

両肘をテーブルの上に立てた山岡は頭を抱き、大きく溜息を吐く。

誕生日プレゼントに中古を与えるというのも考えものだが、誰よりも恐れている相手に金がかからないという理由で自分が先日まで使っていた物を差し出していたというのが信じられなかった。あの鳥羽がそれをどういった意図で使用しているのか、仁は気付いていないのかもしれない。

……脳裏に過ぎった如何わしい考えが自分の想像の産物であり、実際には行われていないことを、山岡は強く望む。

「あくまで予感に過ぎないけど、今年は例年と違う物を欲しがる気がするんだ。具体的に説明はできないけど……」

「あ~……何となく分かる気がする。こんな言い方したくないけど、鳥羽の執着はストーカーに引けをとらないくらい凄まじいし。それに野外活動で言われたって言葉も引っ掛かる」


――――「俺、お前を俺なしでは生きてけないようにしてやりたいよ」


あの舌舐めずりした猛禽類のような眼差し。思い出すだけで背筋が震え上がる。

三流ドラマでも使わないだろう甘い台詞は、鳥羽の手にかかればそれは愛の囁きではなく、脅迫紛いの冷ややかさを孕ませる。

暗い、一寸の光をも窺わせない闇の底辺を這った瞳を向ける先は他でもない、杉林仁唯一人だ。

「具体的に何か欲しいって言ってきた?」

「いや、単にプレゼント楽しみにしてるとだけ。だから当日に予想もしてなかった物を強請られる前に、先に買っとこうと思ったんだけど……」

「どんな物が良いか分かんなかったわけだ」

仁が一つ頷くと、最後の一本だったフライドポテトを口に含んでいた少年は小さく唸りながらそれを飲み込み、喉を潤してから漸く口を開いた。

「正直な話、鳥羽は杉林が選んだ物なら文句一つ言わず受け取ると思うよ。例え百均で買ったマグカップだったとしてもね」

「いや、それはさすがに……」

「うん。まぁ、今のは極端な例えだけど――――」

氷で薄まったジンジャエールを飲んでいると、テーブルの上に置いてあった山岡の携帯電話が緑のランプを点滅させて着信を知らせた。流れている曲は昨年流行したバラードだ。

「メールだ。誰からだろ?」

画面を開いて文字を目で追っていたその表情が、徐々に険しくなっていく。軽くではあるが、鼻に皺が寄っていた。文章を左から右へ読み終えると、顰め面のまま返信文を打ち、携帯を手早く折り畳む。よほどウンザリする内容だったらしい。

「……剣からだった」

憮然として山岡はそっぽを向くが、突然「あれ?」という顔をして仁を見る。一変した面差しに仁は首を傾げた。

「杉林、ケータイは?」

「家に忘れてきた……ってことにしてる」

「どういうこと?」

「家にいないと分かったら、連絡してくるのは目に見えてるから」

誰が、と誰何せずとも思い当たるのは一人しかいない。

「なるほど」

何故か神妙に頷く山岡の様子を訝しむが、それを訊く前に山岡は席を立った。

「んじゃ、とりあえずプレゼントの探索に行こうか。ここなら鳥羽の目も届かないだろうし」

口角を吊り上げ不敵に微笑む相手に少々戸惑うが、鳥羽の目も届かないというのは確かだ。だから久しぶりに鳥羽が隣りにいない時間を楽しもうと思った。



炊飯器から出る湯気は食欲を誘う玄米の匂いを漂わせ、温野菜は竹串がすんなり通るまでに柔らかく煮ることができた。なめこ汁は少し塩加減が濃くなってしまったが、及第点はもらえるだろう。あとは鰈を焼くだけだ。

エプロンを外し、両親の帰宅を待とうとソファーに腰を下ろした直後、チャイムが鳴った。そういえば新聞の集金が近かったことを思い出す。

「はーい。今出まーす」

ポケットに入れっぱなしにしていた財布を取り出して中身を確認しようと一度開くが、まぁ大丈夫だろうと再び折り畳む。

鳥羽へのプレゼントが結局決まらず、ファーストフードで使った分と往復の電車代しか流出しなかったので、一先ず一月分の新聞代を支払うには充分足りる金額が残っている。

財布を片手に、新聞集金だと疑うこともなく仁はドアを開けた。

「よっ」

厚みのある建具の向こう側に立っていた人物にギョッと目を見開き、押した扉を今度は引こうと反射的に体が動く。そう、咄嗟だった。

しかし仁が羨む長く角張った男らしい長い指が、それを阻んだ。

「……!」

無意識の自身の行動にも驚愕したが、それ以上に目の前にいる相手――鳥羽恭士を怒らせたのではないかと懸念する思いの方が胸中をじわじわと占めてゆく。キケン、と目の前が黄色く点滅しているような錯覚をしてしまう。

青褪める仁をよそに、鳥羽はニコリと笑んだ。まるで気にも留めていないと言わんばかりに。

「話があるんだ。上がらせてよ」

仁の返事も聞かずに、我が物顔で招かれざる客は杉林家の敷居を跨ぐ。七年来の付き合いもあれば、ある程度の部屋の配置は分かって当然だ。

そんな彼が向かった先といえば、仁の部屋ではなく、何故かダイニングキッチンだった。

「今日は和食か?美味そうな匂い」

「あの……一体何しに……?」

不審に眉宇を顰める仁を一笑し、彼は他人の家の冷蔵庫を許可もなく開けた。正確には中段の引き出しの冷凍室をだが。

「鳥羽っ?!」

「氷を貰うだけだって」

「氷?」

仁の困惑をよそに、懐から透明なビニール袋を取り出した鳥羽はそこに氷を詰め込む。二個入れたそれを二つ作り、仁を連れてリビングのソファーに腰掛けた。

「今日、何処行ってた?」

突然の質問に、居心地悪そうに身動ぎしながらもとりあえず「プレゼントを買いに」とだけ告げた。

山岡と一緒だったことは言わない。例え誰と一緒だったかと問われ、言うことを強いられたとしても、絶対に口を割ることはできない。山岡に何らかの被害が及ぶ可能性は否定できないからだ。

返答に、鳥羽は少し困った顔をした。その理由が分からなくて、仁も視線を落とし戸惑った表情をしてしまう。

「な、何?」

「プレゼント、もしかしてもう買った?」

「まだだけど……」

正直にそう答えると、あからさまにホッとされた。何か欲しい物ができたから、それを言うためにわざわざここへ足を運んだのだろうか。

思い返してみれば、帰宅してすぐに夕飯作りに取りかかった為、自室に置きっ放ししている携帯電話は未だ未確認のままだ。着信履歴やメール受信箱に、鳥羽からの履歴がいつも以上の件数で残っているだろうことは、想像に難くない。

「俺さ、ピアス開けようと思うんだ」

突然の告白に軽く目を瞠って驚愕するが、ビニール袋に氷を入れた理由はそれで合点がいった。ピアスを開けるとき、痛覚を麻痺させる為に冷やすのだと聞いたことがある。

「ここで開けるの?」

「そう、ここで。仁と一緒に」

左の耳朶を親指と人差し指で摘まれ、表面をゆっくりと撫でられる。頬の真横に伸ばされた腕から遡るようにして鳥羽を見上げ、視線がかち合う。

まるで大切な宝物を愛でるような眼差し。

しかし仁は気付いてしまった。その奥にある、暗くて陰湿で、濁り光った、歪な燻りを。

「……!」

全身の産毛が逆立ったと同時に、仁はその翳りに意識を侵食された。



……それからのことは断片的にしか覚えていない。

左耳に当てられた冷たい感触。

暫く経って鋭い針が肉を貫通する音。

そこから流れ出た赤い液体の生温かさと激痛。

目の前にいる人物の耳朶を、ピアッサーで刺した肉の感触。

他にも何かされたり、させられたり、言われたりしたかもしれない。けれどもその記憶も、蜃気楼の如くはっきりとしないものでしかなかった。



唯一、これだけは強く記憶していた。

唇に押し当てられた、肉厚で柔らかい弾力だけは。

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