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狂気の螺旋 【Ⅳ】

「胃が炎症を起こしてたんだって。ストレスで」

そう言ったのは山岡だった。

このご時世、ストレスで胃を傷める社会人が増えつつあるという話は耳にしたことがあったが、まだ十四歳の自分がそれを味わうなどとは夢にも思わなかった。貧血や盲腸と言われた方が、まだ信憑性がある気さえしている。病院のベッドに寝かされて、腕に刺された針と管を辿って点滴されている状態を認識してから随分時間が経っているというのに、未だ実感が湧かない。

仁が倒れたという知らせを聞いた両親はすぐさま病院に駆けつけたが、母親は着替えを取りに、父親は翌日が出張の為に家に戻った。なので、この個室には仁と仁の担当医の息子だという山岡の二人しかいない。

「主な原因は鳥羽?」

核心を突かれ、思わず身動ぎする。ストレスが原因と聞いて最初に浮かんだのが、小学校時代から友人として付き合ってきた男の顔だった。

指通りの良さそうな柔らかい髪に、意志の強さを感じさせる吊り上がり気味の目。鼻は特に高いわけでもないが、厚めの唇はどこか色香を感じさせる。それに成長期に入ったようで声も低くなり、背もクラスで四番目に高い。見目の良い彼に好意を寄せる女子がいるのも知っている。

だのにそんな異性をものともせず、鳥羽は仁だけを執拗に構うのだ。登校時、休み時間、放課後、休日。思い返せば、家族といるよりも鳥羽といる時間の方が明らかに多い。

仁の持つ時間全てを占めようとする男を、もはや以前のように弟のような友達だとは思えなかった。

「塵も積もれば山となる、なんてまさに的を射てるんじゃない?鳥羽の干渉と周りの軽口なんかでストレスが積もりに積もったって感じで。……八つ当たりで引き金を引いたキャプテンは、ちょっと気の毒のような気もするけど」

ああ、そうだ。鳥羽や鳥羽に関することを言われて倒れたなら必然といえるが、大文字の前で倒れてしまったのは本当に偶然だ。今度会うときは迷惑をかけたことを詫びようと、申し訳なさで項垂れる。

「杉林」

顔を上げると、山岡の心配げな顔があった。同じポジションなので何かと会話をする機会は多かったが、サッカー以外の話をしたことは、あまりなかった。内科医の息子だということも、つい今しがた知ったばかりだ。

「鳥羽がベッタリ杉林に引っ付いてるところとか、園田達が面白半分にからかってるところなんかも何度か見かけたことあったけどさ、あの程度なら適当にあしらったり、誰かに愚痴ったりすれば、そんなストレスになるようなことでもないと思うんだけど」

俯いた仁はキュッと唇を噛み締める。第三者視点からしてみれば、大したことに見えないのだろう。もしかしたら対象が仁でなく、例えば剣や園田ならば、適当にあしらったり、ネタにして面白おかしく笑い話にしていたかもしれない。あまり喋らない山岡だってこう言うのだから、自分なんかよりうまくかわせるに違いない。しかし話し上手でない仁はどう言葉にすれば最良なのか分からなかったし、愚痴を聞いてくれるような友達というのも思い浮かばなかった。

自己管理もできず、不器用で、心を許せる友達さえいない自分に、ほとほと嫌気が差す。

黙り込んだ病人を一瞥し、一度軽く嘆息を吐いた後、再度山岡は仁を呼んだ。

「僕もさ、話し下手だから相談できる友達とかって特にいないんだよね。もしかしたら部活で杉林と喋ってるときが一番多いかも」

そうは言うものの、いつも言葉をつっかえず喋っているので、話し下手というわけではなく、単に口数が少ないだけのような気がした。それにクラスメイトに勉強を教えている姿を時折目撃しているので、勉強面で頼りにされているという仁にはない強みがある。愚痴を聞いてくれる友人など、山岡がその気になれば作れる気がするのだが。

「だからさ、僕でよかったら話くらい聞くよ。聞くことしかできないだろうけど」

自分では頼りないかと問う同級生に、大きく首を横に振った。

胸の内に灯火が宿った気がした。段々と気分が高揚してくる。久々に優しい言葉をかけられたからだと悟り、眦に熱いものが滾りそうになる。それをどうにか堪え、潤んだ目で仁は礼を言った。



翌日、部活を早めに切り上げた大文字が剣と園田を伴い見舞いに訪れた。八つ当たりしたことを何度も謝る大文字を宥め、見舞いに来てくれたことに礼を言うと、同級生二人が互いの顔を見合わせた。どこか困惑しているようにも見える。ストレスによる症状だと聞いて、自分達の言動も要因の一つだったと思い当たったらしい。もしかすれば、山岡から何か言われたのかもしれない。

剣が口を開く前に、仁は三日後には学校に復帰できることを伝えた。三人に安堵の表情が浮かぶ。

ベッドに沈んでいる間、鳥羽の行動だけでなく、自分の弱さも周りの軽口を増長させた原因ではないかと考え付いた。鳥羽に曖昧な態度を取った理由でこのような結果が生まれたのなら、彼らの謝罪を受ける理由はなかった。

招かれざる客――――少なくとも教室に踏み入るまで会いたくなかった彼が現れたのは、そのすぐ後のことだった。

病室に入るなり、鳥羽は仁に抱きついた。憂えながらも真剣な顔をして抱擁する彼に、皆が固まる。

「昨日おばさんに救急車で運ばれたって聞いたときは、心臓が止まるかと思った」

いつもなら、大袈裟すぎると誰かが一笑していたことだろう。しかし鳥羽の醸し出す緊迫した気配に呑み込まれ、そんなことを言える雰囲気ではなかった。

「ホントは朝イチに来てずっと傍にいたかったけど、俺が学校休んだら他の奴が仁にノート貸すことになるだろ?そんなのぜってぇ許せねぇから、とりあえず授業は出てきた。それに胃が弱ってるってことは、食事は点滴か流動食だよな?それだけじゃ腹減るかなって思って、色々作ってきた」

学生鞄とは別に持っていた紙袋から取り出されたタッパーの中身は、ミルク粥、おからの白和え、オムレツと、胃にやさしい料理ばかりだった。さすがに少し冷めたらしく湯気はないが、食欲をそそる匂いがする。

病院食に物足りなさを感じていたのは事実だが、夕食の近いこの時間帯に食べるのはまずい。何より体を動かしてないので、この量を食べるとなると、いつも以上に脂肪を溜めることになる。

「……あのさ、鳥羽。僕の為に色々差し入れしてくれるのは嬉しいんだけど、今の僕、太ってるだろ?だからこれを機会に間食しない食生活を学んで、痩せようと思ってるんだ。それに入院してる間は病院で指示されてる以上の物を食べるの、禁止されてるし」

鳥羽を正面から見る勇気が持てず、仁は俯き加減でぼそぼそと言った。強気の姿勢をつくれないのは仁の性格も大いに関係しているが、それ以上に鳥羽の有無を言わさぬ目と行動を恐れているからだ。

見上げた先ではやはり、あの底冷えするような、拒否を一切認めない眼差しを自分に向けているのだろうか。

「仁」

頬に手を這われ、顔を覗かれた。

柔和に緩んだ眦。微笑を携えた口元。優しい指先。温かな雰囲気。

想像とは全く正反対の仕草に、掌が汗ばんだ。

「馬鹿だなぁ。仁は太ってないよ。気にすることなんて全然ない」

指の背で頬を撫でながら、鳥羽は仁の耳元まで顔を近づけた。体は動けないでいるのに、何故か視線は彼に合わせて移動する。食べられるわけではないと分かっているのに、蛇に睨まれた蛙の情景が脳裏に浮かんだ。

「寧ろ可愛い」

ヒクッと、咽喉が音を立てた。蛇が蛙を丸呑みするのを目の当たりにしたかのように。

眼前にいるのが誰なのか、心が理解するのを拒んでいる。弟のような親友でも、スキンシップの激しいクラスメイトでも、部活後に差し入れを持ってきてくれる同級生でもない。


コレハ、一体誰ダ?


仁から離れた鳥羽は満面の笑みを浮かべて立ち上がり、タッパーを紙袋に戻した。

「病院で禁止されてるなら仕方ないか。ありえねぇけど、食あたりとか起こして入院が長引く、なんてあったら御免だし。それじゃ、明日また来るから」

そう言い残し、台風の目は病室を後にした。災害に直撃したのは仁ではあったが、被害を受けたのは何も彼だけではない。サッカー部員は三者三様で動揺を露にしていた。

眼差し、仕草、発言……どれも親友に対する行動ではないと、視界で、聴覚で、そして肌で感じ取ったらしい。

仁にとって今更のことではあるが、しかし改めて鳥羽の執拗さを異常に思えた。

鳥羽が触れていた頬に手を添える。指先が小刻みに震えていた。

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