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狂気の螺旋 【Ⅲ】

視線が交わった翌日から、仁は鳥羽のことを名前ではなく苗字で呼ぶようになった。

親しい友人の位置から少し後退するという意で張った、薄っぺらな境界線。「鳥羽」と呼んだとき、相手は軽く瞠目しただけで、特に何も言ってこなかった。自分のことも苗字で返してくるかと微かな期待を抱いていたのだが、態度は変わらなかった。

休み時間に呼ばれても席を立たずその場で返事をしたり、移動教室の際はさっさと教室を後にするなどと、あからさまに鳥羽を避ける姿勢を取っていたのだが、仁が反応を示さなければわざわざ近付いたり、追ってきたりして、結局効果は見られなかった。



ひたすら距離を置こうとする仁の努力も空しく、干渉はとうとう部活動にまで及んだ。

多大な練習をこなし、空腹に苛まれていた部員達の前に突如現れた鳥羽。彼の持つ大皿からは、香ばしい匂いが漂っていた。覆っていた白い布を外せば、山盛りのクッキーが現れる。

「これ調理部の皆で作ったんです。よかったらどうぞ」

学年関係なく、二十余人いる部員の大半が一斉に手を伸ばし、齧り付く。

当然仁の胃も食物を求めていたが、鳥羽の出現でそれどころではなかった。関係ない部活にまで足を踏み入れる鳥羽の魂胆が分からない。

ふと目の前を誰かが横切り、部室棟へ向かって歩いていた。両手にはボールの入った籠を持ち、口を動かしている節はない。同級生の山岡(やまおか)だ。

甘い物が好きじゃないのかと思った矢先、近くで砂を踏む音がした。

「はい、あーん」

声のした方向を振り向くと、中途半端に開かれた口に何かが詰められた。歯を立てると簡単に割れ、舌の上で柔らかい感触が広がる。

……甘い。砂糖が所々で固まっている。

「それ、俺が作ったんだけど」

甘すぎる味に眉を顰めたまま見上げると、苦笑を浮かべた鳥羽がいた。無視したいのは山々だったが、さすがにこの味は酷すぎる。

「砂糖が多いし、材料がうまく混ざってない。焼き具合も中途半端。もう少し焦げ目が付くぐらい焼いた方がと思う」

「すごいな、一つ口にしただけでそこまで分析できるなんて」

口をもごもごさせながら園田が言う。詰め込むだけ詰め込んでパンパンに膨れた頬はリスのようだ。

「仁の趣味は料理だからな。何を作らせても上手いし」

「へぇ、知らなかった。それより鳥羽の持ってるの、クッキーだろ?どんなに不味くてもいいからくれよ。俺、マジ腹減ってんだって」

伸ばされた手をぞんざいに振り払い、袋を持った手が仁へと向けられた。

「え?」

「これは俺が仁の為に作ったの。誰がお前にやるか」

ケチと言い残し園田は再び大皿の方へと行ってしまったが、殆ど残っていないだろう。そんなことよりも、差し出された袋が気になる。サッカーボール一つ、入りそうだ。

「もっかい言うけど、これ、仁の為に作ったんだ」

「でも、こんなにいらな――――」

「勿論全部食べてくれるよな?」

唇の両端を吊り上げ、首を傾げて窺うような素振りだが、目は全く笑っていなかった。暗く、底冷えしそうな色を携えて問うその姿に、運動後の熱の残る体にも関わらず、四肢が震えた。

『拒むことは許さない』。耳元でそう囁かれているみたいだ。

「う、ん……」

ぎこちない動きで、仁は受け取った。

それからというもの、休日練習以外のほぼ毎日、鳥羽は仁に調理部で作った差し入れを持ってきた。誰かに分け与えることが許されないその量は半端ではなかったが、仁はどんなに不味く苦しくとも、きちんと自分の腹に収めた。

鳥羽を振り切る覚悟で異なる部を選んだが、構われ続ける恐怖を覚える胸の奥底では、いつも罪悪感が息衝いていた。

彼が傍にいなければ、引っ込み思案の自分が他人に話しかけることなど到底できなかっただろう。園田も剣も、鳥羽の友達だからこそ自分に接してくれるのだと、仁は信じて疑わない。

これは彼を拒んだ代償だ。自分が作った物を仁に食させ、それを眺める鳥羽の双眸はいつも語っていた。

『次に同じようなことを起こせばどうなるか、分かってるか?』



いくら運動部に入っていて過大な練習量をこなしていたとしても、摂取カロリーが消費カロリーを上回っていれば、当然脂肪が付く。中学に入学して二度目の身体測定を迎えたときには、仁の体重は中学二年生の平均数値を大幅に超えていた。原因は言うまでもなく、鳥羽の作った菓子類である。毎日半端でない量を胃に収めるのだから、否応なしに太る。それでも仁は鳥羽に逆らうことができなかった。菓子を渡す鳥羽の目を見れば、萎縮し、逆らえなくなる。

「仁、何読んでんだ?」

肩に手を回されると同時に、本を取り上げられる。以前教科書に載っていた文学小説だ。教科書の一文を読んだときは特に何も思わなかったが、こうして全文に目を通すと面白いものだということに気付き、少しでも時間を作れたら本を手に取るようになっていた。しかし学校にいるときはこうしてしょっちゅう邪魔をされる。

「この本はそんなに面白くないだろ。それより話そうぜ」

鳥羽は仁が本に興味を持ち出したことを知ると、同じように文学を中心に読み出した。雛が親鳥を真似るなんて可愛いものではなく、所有物の行動を把握していなければ落ち着かないというのが本音だろう。

学校内ではそんな素振りを見せないが、家で読んでいるらしい。最近では本の話題が語り草の一つとなっている。

「あらまー、肩なんか組んじゃって。俺達にラブラブをアピってるわけ?」

卑下た笑いを浮かべながら寄ってきたのは、剣と入れ替わりでクラスメイトになった園田だ。新学期が始まってからは顔を合わす度に、こうした嫌味を言うようになった。仁はそれが辛かった。

「俺達、十八になったら結婚する仲だもんな~」

「誰がするか!」

「結婚じゃなくて養子縁組だろ」

憂鬱な気分で否定する仁とは正反対に、鳥羽は園田のからかいを増長させるように仁を抱き寄せて清々しいほど満面の笑顔を浮かべる。それを必死で抵抗する影で、ギュッと胸の下を押さえる。

鳥羽の過剰なスキンシップが周囲の冷やかしを沸き起こし、更には仁のストレスを蓄積させた。

発散口が見つからない不快感が無意識の内に体を蝕んでいることを、仁はまだ知らずにいた。



限界を超えたのは、二月後のことだった。他校との練習試合で、仁は怪我をしたレギュラーの代わりにグラウンドに立った。もちろん控えは他にもいたが、ゴールキーパーを務められる二年生は自分を除き、先日手首を痛めた山岡だけだ。

幼少時からフットサルで鍛えていたという山岡にはさすがに劣るが、仁の実力は練習時より発揮された。しかし同点で引き分けかと思われた終了間際、失点を許してしまう。仁が転んで受け損なった、オウンゴールという形で。

「お前、あんな所で転ぶなよ!寄り集め部員の西中に負けたなんて、恥もいいとこだぞ!」

ミーティングで部員全員が揃っている中、大文字は頭ごなしに仁を怒鳴りつけた。確かにオウンゴールで逆転されたのは事実だが、仁の奮闘ぶりを見ていれば、足が縺れて転んでしまったのは仕方がないと皆思っていた。しかし大文字の迫力に押され、固唾を呑んで見守るしかできない。キャプテンである大文字も、もちろん頭では分かっていたのだが、選手を引っ張っていかなければならない立場にあるのに、思うように動けなかったという悔しさが、最後にミスをした下級生に牙を向けてしまったのだ。

「それに後半十分くらいのときも――――」

小言が続く中、仁は無意識に鳩尾の上を掴んでいた。

痛い。

大文字の言葉が耳から耳へすり抜ける代わりに、思考の半分がその言葉で埋め尽くされる。危険信号が点滅しているかのように、眼前で激しい色がちかちかしている。

じくじくとした痛みが更に食い込みを深くしたのはそのときだった。

「――――っ!」

あまりの痛みに声が出ない。

「杉林!」

意識がシャットダウンする直前に耳にしたのは、誰かの自分を呼ぶ声だった。

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