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狂騒曲の終わりと始まり 【Ⅲ】

頭部を撫でる大きな掌。指先は髪を梳き、耳朶を柔らかく摘んで、頬を突付く。

「ん、ぅん~……」

煩わしさを覚え寝返りを打つが、布の乱れる音とスプリングの浮き沈みを感じただけで、すぐにまた干渉された。けれども先程とは違い、今度は機嫌を取るようにして優しく頭を撫でてくる。その感触が酷く心地良い。

クスクスと軽やかに笑う声につられて思わず頬を緩ませると、ピタリと動きが止まった。

「……うぅん?」

首を擡げた違和感に名残惜しさを覚えつつ、眠りの世界に手を振って瞼を開けば、最初に飛び込んできたのは黒のデニムだった。薄暗い部屋の中で、仁より二周りは細い脚がベッドの縁で組まれている。

「起きた?」

上空より降り注がれた男声にそちらを見遣れば、柔らかく微笑んだ鳥羽が仁の顔を覗き込んでいた。

室内はオレンジの蛍光灯で照らされ、エアコンが点けられているのか室内は温かい。

毛布も被らず寝そべっていたので、あのままだと今頃くしゃみをして震えていたかもしれない。

「あ、りがと……部屋暖めてくれて」

「どういたしまして」

起き上がってシャワーでも浴びようかと思ったが、気だるさに負けて横たわったままの状態から抜け出せない。フットサルではかなり汗を掻いたので、全身から臭っているのは想像に難くない。掛け布団にまで臭いが染み付いていそうだ。

そこでふと気付く。

「鳥羽、お風呂入ってないの?」

カーキのジャンパーに破けたジーンズ。フットサルコートで目にした普段着のままだ。

「うん。帰ってまず仁がいるのを確認して、そのまま寝顔に魅入ってた」

宥めるような優しい手付きで、鳥羽は仁の頭を撫で始める。寝ていたときに感じた掌が鳥羽のものだったことに納得するものの、言われた言葉を胸の内で反芻して、疑問に首を傾げる。

「寝顔、魅入ってたって……?」

自分で口に出して鳥肌が立った。

「五時半か六時頃からだから、彼此六時間くらいかな」

それを聞いて堪らず頬を引き攣らせる。寝顔を見られたことなど、この数日の間に何度かあっただろうが、それでも口に出されるのとそうでないのとでは、与えられるダメージに違いがある。少なくとも今の今まで就寝中の顔を注視されていた自覚などなかったというのに。

「……もうすぐ今日が終わるな」

ベッドの上に置かれた目覚まし時計を手に取り、見せつけられる。PM11:50と文字盤には記されていた。

「俺が立ててた予定じゃ、今日は一日中仁と家に引き籠ってDVD観る予定だったのに。ほら、前に言ってた洋画のアクションもの。あれとか色々借りてたんだからな」

「そうだったんだ、ゴメン……。でも明日は祝日で部活もないし、一緒に観よう?」

腕を支えに上半身を起こそうとしたその瞬間、左肩を思いきり捕まれて再びベッドに押し戻された。

「痛っ!」

仰向けになった仁の上に、鳥羽が覆い被さるように四つん這いになる。仁の顔の横に両手を置き、真っ直ぐに見つめてくる。

「と、ば……?」

オレンジの光を背に仁の顔を覗き込む男の姿はまるで動物――――肉食獣だった。携える眼光は極限まで細く、鋭く研いだ純度の高い氷のようともいえる。けれどもその奥で、嫉妬に燃えるような真紅の炎もまた、見え隠れしていた。その赤は……そう、鳥羽のピアスと同じ色。貞節と忠実を意味するガーネットの色だ。

「もうすぐだな、誕生日」

突然の言葉に軽く目を瞠り、今日が一月十四日だったことを思い出す。そして成人の日である明日は仁の誕生日だ。

「ずっと待ってたんだ。俺が十六になった暁には、仁に俺のだっていう印をつけて……」

左耳に触れる指先。爪の先で石の輪郭をなぞり、一周すると親指と人差し指で耳朶を柔らかく挟む。

「そして仁が十六になったら、完全に俺のモノにするって決めてた」

愛でるように、慈しむように、嫣然と笑う顔。まさしく優艶を体現したようなその表情に、仁は震えが止まらなくなった。

耳朶から丸みのある頬へ――――

「中学に上がるとき、仁が違う学校に行くのが幼ながらにもの凄く嫌だった。親友が俺の傍から離れてく、なんて安っぽい気持ちじゃない。寂寥感なんかじゃ物足りない……寧ろ体の一部が切り離されるような、そんな恐怖だった」

頬から顎へ流れ――――

「仁、小学校のときから可愛かったから、中学校になったらもっと注目が集まるかもって、内心凄く怖かったんだ。だから仁に向かう視線は全部俺に来るよう、躍起になって目立とうとした。部活も当然、仁と一緒にしようと目論んだのに」

顎から首筋をなぞり――――

「でも違う部活だからこそ、仁を女子からも男子からも興味を無くさせる方法を思いついた。思春期の年頃は太ってる奴を恋愛対象には見難い。同性でも、例え友達付き合いで留まる間柄にしたって、ベタベタしたいなんて思わせないようにすりゃいいんだって。……俺だけが仁を見てればいい、俺だけが仁のことを分かってやればいいんだ」

「ち、がう……」

仁はゆるゆると首を振る。鳥羽を中心とした暖色の視界がぼんやりと歪んでゆく。

「分かってない。僕が……どれだけ鳥羽から離れたかったか。逃れたかったか……!」

目尻からこめかみにかけて涙が零れた。それを追うように同じ軌跡を辿ってぽろぽろと、次から次へと涙が溢れ出す。

「勿論知ってたよ。だから、何が何でも離れなかった。高校だって、仁が隠れて勉強してたのを知ってから、俺も影で猛勉強したんだぞ」

「何なんだよ……?!どうして……どうしてそこまでして僕を苦しめるんだよ?!」

上半身を起こそうと力んだが、それ以上の腕力で押し戻された。衝撃でスプリングが上下に揺れる。

力の差に愕然とする。

「ずっと、俺のこと考えただろ?俺のことを考えない日なんてなかったはずだ。例えそれが恐怖だとしても、仁の中に強烈に俺への想いは募ってただろ?」

そしてこれからも、それを深く塗り手繰っていく。

悠然とした態度で、優越感を纏い、うっとりとした笑顔を浮かべる男を前に、仁は力を抜いた。涙で濡れた瞳をいっぱいに覆うもの。それはまさしく絶望の闇――――

「十六歳おめでとう、仁」

鎖骨を撫でていた指先がついに、仁のシャツに指を掛ける。

肌に触れる他人の体温や涙の跡を追う、濡れた舌の感触。

与えられる全てを否定するように、仁は固く瞼を閉じ、思考を止めた。

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